妻と共にがんと闘った追憶の日々
君を夏の日にたとえようか 第8回
架矢 恭一郎さん(歯科医師)
顕と昂へ
君を夏の日にたとえようか。
いや、君の方がずっと美しく、おだやかだ。
――ウィリアム・シェイクスピア
第三章 ホルモン療法
8.フェマーラ、ホルモン療法
食卓にはヤブツバキ(藪椿)を活ける。
家の近くの住宅地の奥まったところで、おばさんが趣味を生かしてひっそりとコーヒーの店をやっている。2人で初めて訪れた。店内には手作りの小物も売っていて、いじりながらその素朴な贅沢さを楽しむ。木張りの床に、恭子と私だけの移動する足音がする。ほかの客はいなくて、2人でのんびりと手作りのケーキとコーヒーを、小川を眺められる窓辺の席でいただく。景色に春の気配が感じられる。小さなカフェを2人だけで独り占めして、夕刻の時が慈しむようにゆっくりと過ぎて行く。
やっと恭子の闘病記録に前向きな言葉が出てくるのは3月26日(2015年)辺りからだ。
「ようやく疲れが取れてくる。朝快調で動いたからか、夕方から疲れてくる。無理はできない。浮腫、手足、舌のしびれ、痛み、なんとなくの不調と、タキソテールは結構きつかった。明日、山崎先生の診察。半年、よく頑張った! 無理をするとしんどい(浮腫、だるさなど)。からだと相談しながらゆっくり体調を整える。疲れたら休む→回復」(恭子の闘病記録)
3月27日。山崎先生の診察日。谷本先生のところでの好結果を受けて、今後の治療方針などを示してもらった。MRI、PET-CTは3~6カ月ごとに。脳の造影MRI検査は、自分のところで4月30日に実施。破骨細胞の働きを抑えるビスホスホネート点滴は、2カ月に1度でもよい。浮腫の改善には半年ほど、しびれの回復には数年かかると言われてどっと疲れたらしい。
血液検査で閉経が確認されたら、副腎皮質のアンドロゲンから女性ホルモンのエストロゲンを作るときに働くアロマターゼの働きを阻害するフェマーラ(一般名レトロゾール)のホルモン療法を行う予定だと説明された。結果は30日にわかるらしい。
腫瘍が再び大きくなってきたら、そのときの状況で、別のホルモン薬か抗がん薬の使用を決めるとのこと。再増殖は折り込み済みなのだろう。
合唱の練習に生き抜く元気をもらいに行く
触診やエコーは、次から行うと言われて実施されなかった。
「今の状態を確認するために、触るくらいしてくれてもいいのに」と、夜そのことで私が不満を言って怒る。
「浮腫がひどくて、検査もあり、待ち時間も長くてとても疲れた」と恭子。ホルモン療法に変更することは、あらかじめ予想された当然の成り行きだから、嬉しいというより疲れたらしい。
「もう生物(なまもの)を食べてもいいですよ」と、先生が言われたらしい。
恭子の闘病記録には「パパとケンカした。私の現実を見て欲しい。イライラする」とある。「パパはあなたとケンカはしない、と言ったでしょ」と言っても、ケンカはケンカだったらしい。ケンカの詳しいいきさつを覚えていない。
午前中ぐっすり眠った恭子は元気を取り戻して、合唱団の練習に行く。生き抜く元気をもらいに行くのだ。
3月30日。閉経が確認され、山崎先生がフェマーラを処方される。
「副作用は関節痛など、骨に出る。だんだん強くなって、数カ月後くらいでピークになる」と言われる。
「今後は転移巣のコントロールのほうが大切だから、3カ月ごとにCTと全身の骨シンチを行い、原発巣のMRIは何か異変があってから撮影すればよい」と言われたらしい。急ぎのときのみ谷本先生のところで検査をお願いするということになるらしい。
フェマーラでは骨、関節の痛み、朝のこわばり、ほてり、吐き気などの副作用が出ることがあるらしい。骨密度の減少も認められるので、1年か半年ごとに骨密度を検査する。
家に帰って、恭子は浮腫や関節痛に運動がよいからと、トランポリンを再開する。10分ほど跳ぶとよいらしいが、今のところ2分くらいが精一杯だと言っている。
食卓にスイセン(水仙)を活ける。
夜、久しぶりに握り寿司を食べに行く。美味しい美味しいと言って食べてくれる。中川先生にからだ中凝っていると言われたらしい。恭子から「運動も取り入れて、体力づくりをしなくてはいけない」と、前向きな言葉が出てきた。
4月2日は私の56歳の誕生日。恭子は所属している音訳のボランテイア団体の総会に行ってみたが、疲れて途中で帰ってきたらしい。「いつもと少し雰囲気が違うね」と、誰かに言われて悲しいと言っている。浮腫のせいだと思っているのだろう、可哀想に。
「なんだか音訳が遠くなった。次はいつ行くだろうか……。本当に疲れた!」と。目の不自由な方の力になりたいという想いがずっとあるのだろうに。学生の頃は合唱団とは別に、点字サークルに所属していたのだから。それが思うように積極的に参加できないのはつらかろうね。QOL(生活の質)の一端は切り捨てられようとしている。
恭子の悩ましさは浮腫に集中している。「足がパンパンだ。足が曲がらない。曲げると痛い。顔も腫れている。足が重い。尿は出ている?」と。女性にとって浮腫というものがいかに嫌なものなのか、ということを思い知らされる。
2人で合唱団の練習に参加しても、顔が腫れて丸いと気にしている。確かにやや丸く腫れている。練習になかなか集中できなくて大変そうだ。顔には出さないし、一生懸命歌っているが……。
帰りの車の中で、「メンバーはうすうす気がついているよね」と恭子。
「いいじゃない。みんな大人なんだから、万事心得てくれているよ」
「それに、演奏会の会場取りを免除されて、協力できないのもつらいな……」とも言う。人気の会場を予約するには、1週間くらい前から会場に座ってじっと待っていなくてはいけない。それを、メンバーが交代で繋いでいくのだ。恭子には勿論できない。人に迷惑を掛けるのが本当に嫌いな性格だから、自分の役割を果たせないのは相当につらかろうな、と掛ける言葉もない。
命を感じてうれしい
食卓にローズマリーを活ける。
恭子は気の置けないランチ友達と久しぶりのランチに出掛けた。デパートの入った商業施設の家電コーナーや食品売り場を相当歩いたらしい。友人からは髪型が変わったねということと、歩き方が痛そうと指摘されたけど、膝が痛いことにしたらしい。「顔の腫れは気づかれなかったのかな? なんだか、こわごわ」と言っている。歩いたつらさの訴えがなく、私は内心ホッとしている。
トランポリンは1分間で百回ほど跳べるから、5分間、500回が目標なんだそうだ。勇ましいことだ。恭子の闘病記録から浮腫を嘆く言葉が減ってくる。
食卓にユキヤナギを活ける。
12時から5時までの合唱団の練習に2人で参加した。生き甲斐を感じながら歌う。「練習が1日あった割には元気だった」という前向きな発言が恭子の口から漏れる。嬉しい。
歌があるから私たちは頑張れるのだから、それを恭子が前向きに捉えてくれると、これ以上のことはない。合唱団のすべてのメンバーに感謝するのみ。私たちの異変を何も詮索(せんさく)することもなく、普段と変わりなく接してくださるのが本当に有難い。大人の合唱団なのだ。
ぐっすり昼寝をした恭子は、確実に元気になってきている。良かったと言ってくれる。顔のむくみはあるが、足は少し良くなってきたようだとも。舌のしびれ、味覚は悪く、これはキツイ。まつ毛はほぼ全滅。でも眉毛が少し青っぽい。「生え始めるのかな?」と期待を込めている。
食卓にはレンギョウを活ける。
恭子はお弁当持ちで合唱団の女声の練習に参加。帰宅後、町内会費を集めに回ったらしい。「元気になってきた!」「味、匂いは悪いけど、ふくらはぎもほとんどむくんでいないし、何より、嬉しいニュースがあるのよ」と、にこやかに「眉毛がうっすら生え始めたの!」
食卓にエビネを活ける。
「よく見ると鼻毛が生えてきたし、まつ毛も生えてきたよ」と嬉しそう。
「うぶ毛が生えてきたぞ 久しぶりの毛ぞり!」
4月29日、恭子のために庭に植えたハナカイドウ(花海棠)とシラーを活ける。ちなみに、私の花木はユキヤナギ。長男がサザンカで次男がコムラサキシキブ(小紫式部)だ。
私たちの所属する合唱団の演奏会当日。
「29日、演奏会! 午前8時に家を出発。9時に会場に集合。午前中、ゲネプロ。午後1時から3時30分まで本番。そののち後片付け、着替え。5時から打ち上げ! 心配だったが難なく切り抜ける。とても楽しい演奏会だった。思い切り楽しんだ。こういう楽しいことに、心残りないようにたくさん挑戦したい。もっと歌も上手くなりたいよ! 人の役に立てることを、もっと探さなくては。思いのほか元気で自分でもびっくり!」(恭子の闘病記録)
演奏会の翌日。食卓に紫のオダマキを活ける。
「パパお休み。朝疲れて二度寝。午後4時から脳の造影MRI検査に行く。のんびり。くたびれた! まつ毛も(とくに左)かなり生えてきた。顔のうぶ毛もいっぱい。体はどんどん回復している! 命を感じてうれしい」(恭子の闘病記録)