鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談
会社員・藤原すずさん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實
家族の気持ちをまっすぐに綴ったこの本を、がん患者の家族の方に是非読んでほしい
母ががんになって家族の絆を確認し合うことができました
ふじわら すず
1975年静岡県生まれ。会社員。趣味は国内旅行。高速道路をドライブしてどこまでも行くのが好き。27歳のとき、母親がすい臓がんになる。10カ月の看病経験をもとに、家族の気持ちを描いたコミックエッセイ『おかあさんががんになっちゃった』を出版。「産経新聞」や「週刊女性」などで紹介され、大きな反響を呼ぶ
かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)
53歳の母が宣告された「膵臓がん、余命2カ月」
鎌田 藤原さんが出された『おかあさんががんになっちゃった』という本が、がん患者さんやその家族に読まれているようですね。がんを告知されたときのショック、身内ががんになったときの心配な気持ち、がん患者さんを見舞うときの注意などが、マンガでわかりやすく書いてある。とてもためになります。
藤原 ありがとうございます。
鎌田 お母さんががんになったのは、いつですか。
藤原 平成14年の秋です。母が53歳、私が27歳のときでした。
鎌田 膵臓がんだったようですが、がんが見つかるまでの経緯は?
藤原 数日前から背中が痛くなり、どこか悪いのかと思って近くの病院に行って診てもらうと、「膵臓がんです。余命はあと2カ月です」と言われました。
鎌田 その前から、何か症状はなかったのですか。
藤原 今にして思えば、よく「腰が痛い」と言っていました。その3年ほど前に検査を受けたとき、大腸にポリープができやすい体質と言われ、それ以来、年に1度、ポリープの検査を受けていたんです。今にして思えば、母も私たち家族も、毎年検査を受けている、といって安心してしまっている部分がありました。
鎌田 それが盲点でしたね。定期的に診断していた医師が、「今回はエコーでもやっておきましょうか」とエコーを撮ってくれればよかったですね。もう少し早く見つけられた可能性はありますからね。
藤原 周囲から、「膵臓がんは見つけにくい」とか、「膵臓がんなら治らなくてもしかたがない」などと言われることに、ちょっと違和感を感じました。
鎌田 膵臓がんは進行が早いので、見つけても太刀打ちできないことが多いし、完治が難しいことは確かですけどね。「膵臓がんで、あと2カ月」という告知は、その日のうちに行われたのですか。
藤原 付き添った父だけに告知されました。父は、ちょっと具合が悪いという程度しか想定していませんでしたから、がんと聞いて相当動転したようです。私たちには、「母には内緒で、国立がん研究センターにセカンドオピニオンを求めたい」と言いました。
鎌田 お母さんはどう感じていたんだろう?
藤原 私たちは一生懸命隠そうとしたのですが、母は周りの様子で、がんと感じていたようです。私たちが無理に明るさを装っていたことに気づいていたと、あとで言っていました(笑)。
鎌田 セカンドオピニオンを求めてがんセンターに行くことについて、膵臓がんを見つけた先生は好意的でしたか。
藤原 先生は「どこへ行っても、膵臓がんは膵臓がんですよ」というようなことを言われましたが、紹介状とレントゲン写真を付けてくださいました。それで次の日にがんセンターに行きました。
開腹してみたものの転移で手術は中止
鎌田 がんセンターでの診療は順調にいきましたか。
藤原 実は、私の中・高時代に家庭教師をやってくださった人が、がんセンターの先生になっていて、しかも膵臓がんを専門に診ていらっしゃったんですね。
鎌田 それはラッキーでしたね。お知り合いのお医者さんがいるというのはさぞかし、心強かったことでしょう。藤原さんとしては、セカンドオピニオンは受けたほうがよかったと感じましたか。
藤原 そう思います。家族みんなが、やってよかったと言っています。私の場合はたまたま知り合いがいましたが、たとえ人脈がなくても、希望を持ってセカンドオピニオンを求めていけば、必ず糸口は見つかると思います。
鎌田 結局、お母さんはセカンドオピニオンを受けたがんセンターで治療を始めたわけですね。
藤原 はい。最初の診察でレントゲン写真を診て、「手術ができますよ」と言われました。私たちは、膵臓がんについて何も知らなかったので、「手術をする=治る」と思って、大喜びしました。それで家に帰って、母にがんであることを知らせ、「治るから行こうよ」と、がんセンターで治療することを勧めたのです。
鎌田 そこで初めて告知したわけだ。
藤原 母も「がんばるからね」と言っていました。ところが、その後、がんセンターで精密検査をしたところ、思ったより肝臓への転移が進んでいることがわかり、手術できないと言われてしまいました。
鎌田 お腹は開けたのですか。
藤原 はい。開腹してすぐに、がんの部位を切除しきれないことがわかりました。母は、8時間かかると言われていた手術が、すぐに終わってしまったので、事情は理解したようです。そのあと、父と母が病状について先生から詳しい話を聞きました。私は、「たとえ手術ができたとしても、5年生存率はたったの20パーセント」、という話を聞いて、「あぁ手術ができない。母は死んじゃうのかな」と、ひどくショックを受けました。
手術で治ると思って喜び手術中止で落ち込む
鎌田 しかし、最初に、あなたたちが手術をすれば治ると思い込んで、明るい気持ちでお母さんにがんを告知したのは、お母さんのショックをやわらげたと思いますよ。
藤原 あんなにはしゃいじゃって、家族としては申し訳ない気持ちで一杯でした。
鎌田 僕はよかったと思うな。膵臓がんの生存率など、最初から全部を知らされたら、お母さんもものすごいショックだったと思います。それが、手術をすれば治りそうだという希望のなかで、がんという病名が心に入った。それはお母さんにとって、ひとつの救いだったかもしれませんよ。
藤原 そうですか。最初に治ると言ってわぁわぁ喜び、そのあと落ち込んで、母には悪いことをしたと思いました。でも、いまの鎌田先生の言葉で、私も救われます。
鎌田 お母さんにしても、家族にしても、膵臓がんに関する知識は徐々に入ってくるわけです。お父さんはパソコンで、膵臓がんについての情報を吸収したそうですね。
藤原 最初は本から情報を得ていましたが、父がそれまで触ったこともなかったパソコンをいじるようになりました。「膵臓がん」と打ち込んで、クリックするとありとあらゆる情報が得られるわけです。なかには怪しげな情報もあります。父とは「あまりネットの情報に流されてはいけないね」と話し合いました。
鎌田 藤原さんの本の中に、がんセンターに行ったとき、「がんセンター」という名前がイヤだと思ったという話が出てきますね。
藤原 「がん」という言葉を入れないで、がん専門病院であることがわかる名前だといいのにねと、母と話したことを憶えています。国立がん研究センターという病院自体は好きですから、問題は名称だけです。「がん」という言葉は、患者さんや家族にとってはきついと思います。
鎌田 『おかあさんががんになっちゃった』のなかには、そうした素人っぽい話が随所に出てきますが、それが一般の人たちの感覚なんだなと再認識させられました。
藤原 がんセンターに連れて行くためには、本人にがんを告知していないと難しいですよね。がんセンターという名前でなければ、告知する前にでも連れて行けると思うんですが……。
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