音声と嚥下を残す下咽頭がんのマイクロサージャリー再建手術

取材・文:黒田達明
発行:2009年7月
更新:2013年4月

  
川端一嘉さん
癌研有明病院頭頸科部長の
川端一嘉さん

下咽頭がんの手術といえば、これまで、がんを取り除く代わりに、音声と嚥下の機能喪失というのが相場だった。しかし、癌研有明病院頭頸科では、マイクロサージャリーという武器を駆使することによりこの難題を克服することに成功。すでに2000件以上の手術を行い、成功率は97パーセントという。

写真:マイクロサージャリー手術

2人の医師が手術台を挟んで向かい合い、それぞれの接眼レンズをのぞいて手術は行われる

写真:持針器

ピンセットのような持針器の先には、わずか0.1ミリメートルほどの針がつけられている

注射器から噴出する液体で洗われると、血液で染まった紐が透き通ったチューブに変わった。血の付いていない血管がそんな風に見えることを初めて知った。「血管の断面と内腔をヘパリン加生理食塩水できれいにしているんです」

関西の病院から手術の見学に来ていた医師が、私たちの見つめるモニターを指しながら教えてくれる。モニターに映っているのは、すぐ横で行われている手術を顕微鏡で捉えた映像だ。

巨大な顕微鏡が手術台に横たわる患者さんの頸の真上に設置されている。手術台を挟んで向かい合わせに座り、それぞれの前にある接眼レンズをのぞき込む執刀医と助手。

2人が手にしているのはピンセットだ。ガーゼの上には切断された太さ4ミリメートルほどの頸部動脈と、やはり切断された移植片の動脈。執刀医のピンセットは持針器という特殊なもので、挟んでいるのは0.1ミリメートルの髪の毛ほどの太さの針。この針に付けられた糸で縫って、2本の血管をつなぎ合わせようとしているのだ。顕微鏡を見ながら行うこのような微細な手術をマイクロサージャリーという。

下咽頭がんの切除後に行われる再建手術が進行中だ。切除によって生じた欠損部分に体の他の部分から切り取った組織を移植するのだが、その際に移植片に血を通わせるために血管をつなぎ合わせるところである。

息を詰めるような繊細な作業は、その後40分間に及んだ。

マイクロサージャリーが喉頭温存手術を可能にした

写真:血管と血管をつなぐところ

移植片に血液を通わせるため、血管と血管をつなぐところ。髪の毛ほどの糸で血管と血管の断面を縫い合わせる

下咽頭は「のど」の1番下の辺り、気道と食道の分岐点がある場所だ。口から入った空気は、この部分で披裂喉頭蓋襞に縁取られた喉頭(のどぼとけの位置にある)に入り、声帯を通過して気道へ吸いこまれる。一方、食べ物を飲み込むときは、喉頭の入口は喉頭蓋によってふさがれ、披裂喉頭蓋襞の左右にある梨状陥凹と呼ばれる孔から食道へ落ちていく。つまり、下咽頭は嚥下(飲み込むこと)には欠かせない部位だ。

下咽頭がん手術は、喉頭の同時切除が多く、音声機能を失う。そのため、腫瘍摘出だけなく、嚥下と音声の機能をどう回復するかが課題となる。

嚥下については、下咽頭を切除した後に残った上部の咽頭と食道との間を移植片でつないで、食べ物の通り道を再建する。

呼吸は頸に気管孔という穴を開けて、その穴を通じて行う。発声に関しては、食道発声法(※1)、電気喉頭(※2)、シャント手術(※3)などの方策がある。しかし、もし喉頭を切除しないでがんが治せるなら、それに優る方法はない。「下咽頭がん喉頭温存手術(以下、部分切除と略す)を私たちが最初に行ったのは1990年のことでした」と振り返るのは癌研有明病院頭頸科部長の川端一嘉さん。

「部分切除では、さまざまな形状の皮弁(皮下組織まで含んだ移植片)が再建に必要ですが、その要求に応じられるようになったのは、80年代に導入されたマイクロサージャリーによるところが大きいです」と背景を語る。

マイクロサージャリーで血管吻合ができなかった時代は、皮弁を採取するところから完全には切り離さず、一部をつなげたまま移植する必要があった。採取元から栄養が通されるようにしておかないと、皮弁が死んでしまうからだ。しかし、この方法では移植先の近傍から皮弁を採取する必要があるなど、皮弁の選択が限定された。

※1 食道発声法=気道や胃に空気を吸い込み(飲み込み)、その空気をはき出すときに咽頭、食道粘膜をふるわせて発声する
※2 電気喉頭=小型マイクのような器械を頸の皮膚に密着させ、電気的に振動させながら発声どおりに口を動かす
※3 シャント手術=シリコン製の短いチューブで気管と食道をつなぎ、気管孔を指などでふさぐと、肺から多量の空気がチューブを通って食道粘膜に震え、発声する

難しい選択
部分切除? 化学放射線療法?

まず、下咽頭がんの治療について簡単に説明しておこう。腫瘍が粘膜面から粘膜下層くらいまでの表面に局在している場合には、内視鏡切除で治療できる。ごく初期の状態で、たまたま発見されるようなケースだ。

病期が2期まで(リンパ節に転移がなく、がんが喉頭に及んでいないか、大きさが4センチ以下)なら、手術と化学放射線療法の2つが第1選択となる。

「部分切除の適応もだいたい同じで、手術をしても音声を失うことはないのですが、嚥下の機能が放射線で治った場合とくらべてどうしても劣ることが多いため、第1選択には化学放射線療法を選択します」

3期以上(リンパ節などへの転移があるか、腫瘍が喉頭に入り声帯が動かない状態か、大きさが4センチを超える)では、手術が第1選択。最も多いのは、下咽頭、喉頭および頸部食道の一部または全部を摘出する手術で「咽喉食摘」と呼ばれる。

下咽頭から頸部食道に広がったがん
下咽頭から頸部食道に広がったがん
摘出した喉頭、下咽頭、頸部食道
喉頭、下咽頭、頸部食道を摘出した


ただし、遠隔転移がある場合は、手術をしても根治は望めないので行わない。「下咽頭がんは自覚症状が現れにくく、初診時で7割が3期以上の進行がんです。多くの場合手術となりますが、部分切除が適応できる症例は多くはありません」

こうした事情から、部分切除はむしろ化学放射線療法後の再発例に対する救済策として期待されている。ところが、調査の結果、放射線照射前には部分切除が適応できたのに、照射後の再発時には咽喉食摘をするしかなくなっていた、というケースが少なからず発見された。「どんな症例なら、化学放射線療法を選択しても再発時に部分切除が望めるのか、初診時に判断できるようにするため、化学放射線療法を受けた患者さんに対する追跡調査が始まっています」

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