子宮頸がんステージⅢと診断され、子宮全摘手術を受けたフリーランス・パブリシストが綴る葛藤の日々

「必ずまた、戻ってくるから」 第5回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2018年8月
更新:2020年2月

  

橘 ハコ さん

たちばな はこ フリーランスのパブリシスト(広報)。1974年生まれ。大手広告代理店や老舗出版社で雑誌広告営業の経験を積んだ後、2005年、出資を受けニッチマーケティング領域の会社を立ち上げる。その分野ではパイオニアとして海外からも評判を得るも、その後より自由な立場で仕事をすることを選びフリーランスへと転身、今に至る。広報・PR、マーケティングコミュニケーションの領域でさまざまな業界の仕事を請け負う

<病歴> 2013年3月、子宮頸がんのステージⅠと診断される。転院後の詳細な検査により、右腸骨付近のリンパ節に転移が認められステージⅢと確定。同年6月に準広汎子宮全摘出術を受ける。病理検査の結果、極めて微小な膣がんも確認された。同じく7月末~9月上旬まで、放射線化学療法を実施。治療の後遺症で左脚に麻痺が残り(現在はほとんど見た目にはわからないほどに回復)、10月には1人暮らしを再開し、後遺症で日常生活も必死な状態のまま11月からフルタイムでの仕事をスタートする。

麻痺の残った左脚に極めて軽度のリンパ浮腫発症が見られ、開腹手術の影響で腸が過敏になり、サブイレウス、大腸憩室炎など腹部の疾患に度々悩まされる。2018年現在、経過観察を重ね、今のところ再発はなし

6月20日 基点はどこだ?

病院ライフも明日で終了。というか朝には退院だから実質、今日で終わり。

病院内をふらふらしていると図書館を発見した。売店のそばの通路側に小さな貸本スペースがあるのは知っていたが、その奥に分け入って行くと患者と家族専用の図書館があった。

がんについて理解を深めてもらおうという趣旨でがん専門書だけの小さな図書館だ。ガーン(シャレじゃないよ!)もっと早く知っていたら……。と、思いきやこれまで書籍を読もうなんていう気力はなかったのでした。

「がんサポート」というずっと気になっていた雑誌もバックナンバーが揃っていて、少しの間、その図書館で読む。治療法や副作用などのトピックばかり探してしまうくせに読む気力は湧かず、がんにまつわる一般書を読んでみようかなと思う。

医師の鎌田實さんの『がんに負けない、あきらめないコツ』という、ややほのぼのとした装丁の1冊をなんとなく手に取る。本の趣旨はある再発がん患者さんと鎌田さんとの往復書簡という態で進むのだが、各専門家との対談の中で取り分け印象深かった言葉をピックアップしてみる。

がんばってがんばって、がんになってしまったのにまたがんと闘うためにがんばっちゃう。それじゃダメなんだ。

血流障害を防ぐには、「行き過ぎから脱却する」という生き方の問題へ入っていく。

「がんばらない」けど「あきらめない」のバランスは自律神経のバランスと一致。

バイオサイコソーシャルとは、「身体と心と社会環境という3つの観点から患者を診るべきだ」という考え。

これに人間の存在論的観点を付加した「バイオサイコソシオエシカル」という考えに展開。一般に生命倫理と訳されるが身体、心理、社会、実存の概念からなる。

「医療」+「実存的転換」によって生きざまが変わること。

この辺りを夢中で書き出してみて、思い出したことがある。私が最初に闘病生活を「新規事業」と名付けたのは病気がわかる前、何か人生を懸けてやるべき新規事業を模索していたからだ。もちろん純粋にビジネスで。

まだ自分には余力が残っていると思っていた。そうしたらがんになった。なら私にとってこれが新規事業だと思ったのだ。この現実から目をそらさず、組み立てていこう生き方。生き方を。戦術を。展開を。

ちょっとだけそう思えた。がんばらないけどあきらめない、これも私には薬の言葉だ。

6月22日 そして、日常

退院した。朝、7時半に起床。できればもう1時間早く起きなければと思いつつ、体を動かしに外に出る。家の近辺は自然に恵まれ小川の端に沿って散歩道があり、入院前に見ていた5月終わりの花々とはすっかり異なる初夏の花々が咲き乱れていて驚く。

タチアオイの群生が、初夏ならではの原色の鮮やかさを空に投影し、蓮沼には清楚な睡蓮の花が大きなつぼみを重たく垂らす。

季節の移り変わりを教えてくれる初夏の風景

「メイク」とは社会とつながり保護するシールドなのだと知る

帰宅して、食事、テレビを観て、もっぱらご無沙汰だったメイクをごくあっさりとする。つくづくわかったのだけど、メイクをするということは社会とつながる手段なんだと思う。メイクをするようになって、入院期間中ぐらい長い間、すっぴんで過ごしたことはなかった。

そうしたことで気づかされたこともあった。

私は自分が素顔でいることが苦手だった。弱々しいのだ。美醜以前に心もとない弱さを感じて、鏡に映る自分の素顔が苦手だった。

それが入院中は化粧どころではなかったこともあるのだけど、毎日化粧水をコットンに含んで顔を滑らせながら、鏡に映った自分の強さに驚いた。長年、自分の顔を見てきてこんなに強い自分の素顔は見たことがなかったのだ。ずっと愛憎半ばしてきた自分の顔と、やっと仲良くなれたような気がした。

昨日、退院する際に普段していたようにメイクをしたのだが、どうも過剰なのではないかと思ったものだ。眉に色を足し造形を操作し、ごくごく薄くペンシルでアイラインを縁取ると顔の印象は強くなって、美醜でいうなら素顔よりはましなんだろうけど、なんだかとても装飾過剰に見えたのだ。

でも、それが社会とつながることなんだとうっすら思えた。素のまま何もまとわず社会に出たなら危なっかしいのだ。傷をダイレクトに受けないための武装、いや保護なのだと感じた。

「これが私です」

そういう日常生活への挨拶と宣言のようにして、メイクをした。厳密に言えばそんな難しいことを思いながらメイクをしたのではなく、素顔に見出だした真の強さと、メイクによってもたらされるきりりとした感覚を後からこのように考察したに過ぎない。

ああ、こうやって少しずつ日常へと帰っていく。そうして患者というドメインだけではなく仕事をし、生活と関わる自分を生きていくわけだ。

現実という逃げられないカードを前に十分思考し選択するのみだ、と思っている。

来週木曜日、病理検査結果というカードが新たに切られる。
(治療ブログ「新規事業ほぼ日記、または日報」より)

病理検査結果を前にした「絶望」を過ごす

少し硬くなっていたと思う。手術を終え退院したのだけれど、病理検査結果を前にしたときだったのでとても喜ぶ心境ではなかったのだ。それを何度も口にしてしまうので、家族も「退院おめでとう」というのを躊躇(ためら)っていたようで申し訳なかったと思う。

ある日、夕方過ぎまでどうしても起きられなくて、鬱々(うつうつ)として過ごしていたのだが、「このままじゃ、だめになる!」と恐ろしくなった。

18時過ぎ、1人で散歩に出て、水に恵まれた美しい緑道を歩きながら眼前に拡がる風景を前に唐突にこう思った。

「私は、人生を失うのだろうか?」と。

それはこの「療養」という、日常と隔絶された暮らし、豊かすぎる自然、愛する仲間や人生の軌跡と切り離された現実を直視した途端、不意に訪れた恐怖だった。

けれど、そんな頑(かたく)なな心すら溶かしたのが、圧倒するほどの自然の息吹でもあったのだ。

1本の大きな樹木の前にひねくれた気持ちで対峙した。威風堂々とも言えるその佇まいに圧倒されながらも、それを皮肉りたい気持ちでいた。

しかし、できなかったのだ。

やはり、私のうらぶれた気持ちすら大きく包み込んで癒し、人生と隔絶されたのだという孤独感が一時の錯覚であったのだと教えてくれたのだった。

それ以来、私は流れる雲、風の色めき、緑なす水田、名も知らぬ樹木がつける花や木の実に、知らず知らずのうちに心を慰められ、また心の滋養を深く吸い込んでいったのだった。

そして病理検査結果を聞くため退院後、初めての外来診察の日がやって来た。

もの言わぬ圧倒的な存在感に「生命」の真髄を見た思い

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