妻と共にがんと闘った追憶の日々
君を夏の日にたとえようか 第10回
架矢 恭一郎さん(歯科医師)
顕と昂へ
君を夏の日にたとえようか。
いや、君の方がずっと美しく、おだやかだ。
――ウィリアム・シェイクスピア
私に何ができるのか?
食卓に紫と淡いピンクの花が咲くアジサイ(紫陽花)を活ける。私たちはまだ色がきつくならない緑色にちらほらと色づき始めたころの野菜のような紫陽花の花が好きだ。これから暫くは紫陽花が食卓や玄関やトイレなどあちこちを彩ってくれる。花の時期が長い。
山崎先生の検診。触診上問題なし。何か異常が見つかればエコーを継続的にすると言われたらしい。
帰りがけにデパートに寄って、先日購入した時計の白いベルトに問題があったのでピンクのものに交換してもらったとか。だから、もっといいのを買いなさいと言ったのに……。
土曜日。合唱団のメンバーのうちの幾人かが参加する「小さな音楽会」を聴きに行く。
「本山さん、とても素敵だった。こころがこもっていて。歌はこんなふうに歌うんだなあと思いましたよ。私のように上手くない人は、せめて一生懸命こころをこめて笑顔で歌うようにしよう。井上さんのピアノも素敵。高嶋先生ご夫妻に出会って一緒に聴いた。奥さんが私のことを心配してくれてありがたい。ご自分も放射線治療の経験があるらしい」(恭子の闘病記録)
帰りに、この街では古株で知る人ぞ知る茶懐石の料理をカウンターで食べさせてくれる店に寄った。ビルの中だが数寄屋風にあつらえた店の照明は薄暗く、箸置きは季節の木を手折ったものと決まっている。この店の粥は、注文を受けてから1時間ほどかけて炊き上げる絶品。最初に注文しておくのがコツだ。2人でたくさん食べて、だいたいが酒の肴の店だからちょっとお代は高くなって、恭子がびっくりしていた。
若いころ股関節の手術を受けた恭子は年に1回、手術をしてもらった先生の検診に行っている。乳がんのことを話したところ、乳がんは予後がいいから心配しなくていいと言ってくれたらしい。「1年後の次の検診でいい話ができるといいなあ」と言っている。
「パパは自分の思い通りになるときだけ優しいし、機嫌もいいんだから、疲れるのよ」と、珍しく恭子が私への不満を口にする。私に対する不満があっても当然だ。そこをごまかさず、時々吐き出しながらでないと二人三脚のがん治療は上手くいかないのかも知れない。
土曜日の夕方、合唱団の練習に2人で参加する。
「朝は体がだるかったけど、出かけると元気になるね。鬱っぽい!」
翌日も昼から、合唱団の練習。
「とても疲れて、練習もつまらなかった」
恭子にしては珍しいネガティブな発言が続いている。気をつけてあげないといけない。何ができるのか?
生きるための治療か、治療を受けるために生きているのか
最近、口が開けにくく喉の奥にずっと違和感を感じていると言うので口の中を診てみると、両側の口底後方に扁平苔癬(へんぺいたいせん)が認められた。降圧利尿剤の副作用の可能性が高いと判断して、川田先生とも相談のうえで利尿剤をしばらく休薬することにしようと話した。恭子は「浮腫が出るかも……」と心配している。
紫陽花はまだまだ楽しめるけれど、加えてオレガノの花を食卓に活ける。小ぶりな紫陽花とピンクのオレガノの花はなかなかの取り合わせだ。ドクダミと小さな紫陽花の組み合わせも捨てがたい風情があったけれど。オレガノも花期が長い。
筋肉痛が酷く、浮腫感もあるという恭子。
2015年6月21日。谷本先生の施設でNaF-PET検査。結果は良好。骨転移も上手く制御されている。恭子、ホッとする。
6月22日。連日、谷本先生の施設へ。脳転移に対する放射線治療から1カ月後の造影MRIによる評価。「転移巣は思ったほど小さくなっていなかったので、がっかりした」と恭子。でも、「ほかの転移が見つからなかったからよかった」とも。
紫のムクゲ(木槿)が咲き始める。一日花で難しいから水盤に開いている花弁を毎朝2つ浮かべる。
6月27日。新潟での日本陸上に次男が出場するというのでおじいちゃんたちも一緒になってひと騒ぎ。「テレビには出ないのか?」「いったい、結果はどうなっているのか?」と四国からも電話が引きも切らない。残念ながら高速レースに次男は太刀打ちできなかったらしい。「出場するだけでもすごいと思うけど、出る者は負けるために出るわけではないので、難しい! くたびれた~」と恭子。
夜は、この街を代表する合唱団の演奏会に2人で行った。
「やっぱり上手いね。大人数で歌うと安定感もあるよね。ハモると気持ちいい」と恭子。それでも「くたびれた」と。
次の日の日曜日。恭子と映画『あん』を観に行く。「感動したけど、ハンセン氏病が根っこにある難しいテーマだった」と恭子。主演の女優さんも転移性の乳がんと共生していると聞くけれど……。
6月30日。山崎先生の病院の放射線科でCTと骨シンチグラフィの検査を受ける。
「CTはすぐ終わったけれど、初めて受けた骨シンチは小1時間もかかって大変だった。こんなことが続くと思うとへこむ」と恭子。ありとあらゆる検査ずくめで可哀想だ。恭子はこれまで本当に元気で、薬嫌いの医療とは縁遠い人だったのに、1昨年の甲状腺がんの手術以来、検査漬け、薬漬けの日々を送っている。生きるための治療なのか、治療を受けるために生きているのかわからなくなってしまう。
先日、NaF-PETの検査を谷本先生のところで行ったばかりなのに、骨シンチがこのタイミングで必要なのだろうか? データが必要なことは理解できるが、医療者の主導権争いの煽りを食ったような気がしないでもない。
たまにはガス抜きも必要
恭子とウィッグのお店に行くのはちょっとしたデートがてらである。暑くなってきたので、セミオーダーのウィッグをカットして軽く少し流すスタイルにしてもらいたいとのこと。何度かの調整を経て、「少し雰囲気が変わっただけだけど、嬉しい」と言ってくれる。「いいんじゃない。いい感じだよ」と、私も納得がいくように注文をつける。帽子ウィッグの1つも少し軽くしてもらって恭子はご満悦。
ウィッグの下のガーゼ帽子の使い方や洗い方、地毛のシャンプーのことなど事細かくアドバイスをしてもらっている。私はアイスティを飲みながら時折口を挟み、基本的には傍観している。
「時折お店を覗いて、髪型を変えてもらうのもいいかも」と恭子がいうので、「そうだよ、ウィッグを自分の髪だと思って、季節に合うように切ってもらえばいいんだよ。また冬になったら新しいのを冬用に買えばいいんだからね」
「だるい!」と恭子。銀行に行った帰りに気を取り直して寄った本屋さんの駐車場で、ドアを開けたときドアミラーを隣の車にぶつけてしまったらしい。そのことをきちんと謝らなかったと言って反省しているのだそうだ。それで酷く落ち込んでいる。「正直者なんだから……。いいんだよ、そのくらいアバウトで」と慰める。
翌日も1日ごろごろしてブルーな日だったらしい。昨日の駐車場でのことをまだ引きずっているのに違いない。恭子らしい。それでも、ずんだ餡(あん)を作ったり、パンを焼いたり、少し読書もしたようだ。
日曜日は森へドライブ。昼は古くからある店でうどんを食べた。
「自然のなかは癒されるね」と恭子がしみじみ言う。帰りに野菜を買って帰った。
7月6日。恭子の大親友、精神安定剤のさっちゃんの誕生日。動き始めはよくないが、「歩いてみたら大丈夫だった」。手の関節、腰が痛いという。
「家のビデオが壊れたみたい」
ビデオはもっぱら恭子が管理していて、私は触らない。
翌日、「七夕なのにパパとケンカした。ビデオは買い替えることになった。今までの録画はすべてボツになる! 悲しい!」(恭子の闘病記録)
なんで、どの程度のケンカをしたのか覚えていないが、たまにはガス抜きのためにいいのかも知れない。