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分子標的薬ががん治療に新しい流れをもたらす
これだけは知っておきたい分子標的薬の基礎知識

監修:石岡千加史 東北大学加齢医学研究所癌化学療法研究分野教授
取材・文:柄川昭彦
発行:2008年6月
更新:2016年6月

  
石岡千加史さん
東北大学加齢医学研究所教授の
石岡千加史さん

がんの薬物療法といえば従来の抗がん剤による治療だけと思われている患者さんもいることだろう。
確かに抗がん剤には違いないが、これからの薬物療法の中心は新しいタイプの抗がん剤、つまり分子標的薬が中心となりつつある。
分子標的薬の登場は、抗がん剤治療に大きな影響をもたらし、さまざまな恩恵が期待できるという。

がん細胞の“アキレス腱”を狙い撃ちする分子標的薬

がんの薬物療法が大きく変わろうとしている。その主役を担っているのが、分子標的薬と呼ばれる新しいタイプの抗がん剤だ。乳がんの治療に使われているハーセプチン(一般名トラスツズマブ)、肺がん治療に使われるイレッサ(一般名ゲフィチニブ)、大腸がん治療に使われるアバスチン(一般名ベバシズマブ)などは、メディアでもよく取り上げられるので、比較的よく知られているだろう。

分子標的薬はこれだけではない。表は、日本で承認されている分子標的薬をまとめたもの。すでにこれだけの分子標的薬が、がん治療の現場に登場してきている。

[日本で使われている分子標的薬]

薬剤 剤型 標的分子 がん種
イレッサ(一般名ゲフィチニブ) 小分子 EGFR 非小細胞肺がん
タルセバ(一般名エルロチニブ) 小分子 EGFR 非小細胞肺がん
ハーセプチン(一般名トラスツズマブ) 抗体 HER2 乳がん
グリベック(一般名イマチニブ) 小分子 Bcr-Abl, KIT 慢性骨髄性白血病
消化管間質腫瘍
フィラデルフィア染色体陽性
急性リンパ性白血病
ネクサバール(一般名ソラフェニブ) 小分子 Raf, VEGFR-2, FLT3 腎細胞がん
アバスチン(一般名ベバシズマブ) 抗体 VEGF 大腸がん
リツキサン(一般名リツキシマブ) 抗体 CD20 B細胞リンパ腫
ゼヴァリン(一般名イブリツモマブ) 抗体 CD20 B細胞リンパ腫
マイロターグ(一般名ゲムツズマブオゾガマイシン) 抗体 CD33 急性骨髄性白血病
ボルケイド(一般名ボルテゾミブ) 小分子 Proteasome 多発性骨髄腫


[抗悪性腫瘍薬=広義の抗がん剤]

  • 化学療法剤(殺細胞性抗がん剤)
  • サイトカインなど
  • 内分泌療法剤(ホルモン療法剤)
  • 分子標的薬

では、分子標的薬とはどのような薬で、これまでの抗がん剤とは、どのように違っているのだろうか。東北大学加齢医学研究所教授の石岡千加史さんに解説していただいた。

「これまで抗がん剤治療の中心的な役割を果たしてきたのは、化学療法薬でした。種類も多く、抗がん剤といえば化学療法薬を指す時代が続いていたのです。ところが、20世紀の終わり頃から、新しいタイプの抗がん剤である分子標的薬が登場し始め、現在のような状況になってきました。あと10~20年もすると、化学療法薬に代わり、分子標的薬が抗がん剤の中心になるだろうと言われています」

化学療法薬と分子標的薬は、薬の誕生の仕方も、働き方もまったく違うそうだ。

よく知られているように、化学療法薬は細胞を殺す作用(殺細胞)によって治療効果を発揮する。がん細胞を効率よく殺す物質を薬として利用してきたわけだ。どういうメカニズムでその薬が効くのかは、後に研究で明らかにされたものだという。

一方、分子標的薬の誕生は、1980年代から1990年代に、がんの分子生物学が進歩したことがきっかけとなった。

「がん細胞にとっての“アキレス腱”が、分子レベルでだんだんわかるようになってきたのです。たとえば、がん細胞の増殖や転移に関しては、遺伝子からできた遺伝子産物が悪さをしています。その働きを抑えてやれば、がん細胞の増殖や転移を制御できると考えたわけです。それを実際の薬に応用することで、分子標的薬が生まれてきました。分子標的薬が開発されるときには、こうすればがん細胞の増殖や転移を抑えられるはずだ、というコンセプトが先にあります。そして、そのコンセプトに従って、薬が創られていくのです」

がん細胞が死ぬという“結果から生まれた化学療法薬と、こうすればがんを抑えられるはずという“理論”から生まれた分子標的薬。根本的に異なるタイプの薬なのだ。

効き方も副作用も化学療法薬とは異なる

化学療法薬と分子標的薬では、効き方はどのように違うのだろうか。

よく知られているように、化学療法薬は、がん細胞を攻撃するだけでなく、正常細胞も同じように攻撃してしまう。そのため、がん細胞を殺そうとすると、正常細胞にも深刻なダメージを与えることになる。化学療法薬による治療で重い副作用が現れるのは、がん細胞も正常細胞も区別することなく攻撃するからなのだ。

「その点、分子標的薬は、がん細胞が持っているある特定の分子をターゲットにするので、がんに対する特異性が高いという特徴があります。
つまり、がん細胞には効果を発揮しますが、化学療法薬のように、正常細胞まで一緒に攻撃してしまうようなことはないのです。だからといって、副作用がないわけではありませんが、化学療法薬の副作用とはかなり違うものになっています」

[標的となるさまざまな分子の場所]
図:標的となるさまざまな分子の場所

リガンド:受容体に結合する能力のある物質

また、化学療法薬は、バイオ細胞やマウスを使った実験によって、がん細胞が死ぬことを指標にして開発が進められてきた。そのため、似たような作用メカニズムの薬ばかりが、いくつも生み出されるという結果を招いてしまった。

その点、分子標的薬は“理論から開発を進めるため、今までの化学療法薬がターゲットにしてこなかった標的を選ぶことができる。実際、新しい分子を標的にした薬がたくさん登場しているそうだ。 副作用の現れ方も、化学療法薬と分子標的薬では大きく違っている。

「化学療法薬には、化学療法薬特有の副作用があります。白血球や血小板が減少したりする骨髄抑制、脱毛、消化管の粘膜障害による口内炎や下痢といった副作用です。もちろん、それぞれの化学療法薬が特有の副作用を持っていますが、共通する部分が多いのが、化学療法薬による副作用の特徴。それに比べ、分子標的薬の副作用は、薬によって実にさまざま。心不全を起こしやすくなる薬もあれば、血栓症や高血圧、消化管穿孔が問題になる薬もあります。頻度は低いのですが、こうした重い有害事象が起きるのも、分子標的薬の特徴なのです」

石岡さんによれば、分子標的薬の登場によって、これまで化学療法薬では問題にならなかったような副作用が、現れてくるようになったという。

[分子標的薬と化学療法薬の違い]

分子標的薬 化学療法薬
・有望な標的分子の選択
・in vitroアッセイ系でスクリーニング
・in silicoスクリーニング併用
・腫瘍細胞特異的―少ない副作用を期待
・化学療法薬には見られない新たな副作用
・開発段階で標的分子不明
・培養細胞系で殺細胞効果スクリーニング
・作用機序は後から解明
・天然化合物やその誘導体(半合成)が多い
・正常細胞にも毒性―副作用(有害事象)は前提


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