クリコさん家の「希望のごはん」~介護食を家庭料理にしよう!~

第1回/全3回 ある日突然、夫が普通のごはんを食べられなくなった――

取材・文●菊池亜希子
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2018年1月
更新:2018年7月

  

クリコさんの夫が口腔底がんを患い、手術の後遺症で「噛む力」を失ったのは、2011年の年の瀬。このときから、彼女の介護食作りが始まった。

〝噛めなくてもおいしく食べられるごはん〟――そんな難題を前に試行錯誤を繰り返し、愛情いっぱいのレシピを生み出していったクリコさん。そして今、当時の自分と同じ悩みの中にいる1人でも多くの人に、このレシピを届けたいと、彼女は願う。

2018年、新年号から3回シリーズで、クリコさんがどのように闘病中の夫・アキオさんに寄り添い、噛むことのできないアキオさんがおいしく食べられる食事を作り続けてきたのかを追ってみたい。

夫に味覚が残った!

クリコ 料理研究家・介護食アドバイザー。結婚後、元々得意だった料理を学び直し、自宅で料理教室を主宰。2011年、夫に口腔底がんが発覚してからは、夫のために「おいしく食べられる介護食」作りに取り組み、ノウハウを確立。2017年7月『希望のごはん』を上梓

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始まりは、2011年9月、夫を誘って一緒に受けに行った胃カメラ(内視鏡検査)でした。そのとき、彼に早期の食道がんが見つかったのです。早期だから、内視鏡で切除できると言われてひと安心したのですが、実は、少し前から口の中に違和感を感じていたらしく、食道がんの手術前にちゃんと治しておこうということで口腔外科を訪ねました。そこで急転直下、その日のうちに「口腔底(こうくうてい)がん」を宣告されたのです。

「口腔底がん」――あまり聞きなれない病名かもしれない。口の中の粘膜にできるがんを「口腔がん」と総称し、口腔底がんは、その1つ。舌の裏側に接する粘膜を「口腔底」と呼び、ここには舌下腺や顎下腺の開口部があり、さらにその下には舌下神経や舌神経も通っているため、切除そのものが難しい。

口腔がんには、口腔底がんのほかに、舌がん、歯肉がん(歯茎にできるがん)、頬粘膜がん(頬の内側の粘膜にできるがん)、硬口蓋(こうこうがい)がん(口中の上顎{あご}にできるがん)があり、併発することも多いという。アキオさんは、口腔底がんに、舌がんと歯肉がんを併発していた。手術は、舌先の一部を切除、さらに口腔底を大きく切除して、そこに自身の太腿の血管と筋肉を移殖するという大掛かりなものだった。

口腔内のがん切除に4時間、血管と筋肉の移殖に4時間という、恐ろしく長い8時間でした。術後、彼の口の中には、左下の奥歯が1本だけ残りました。ただ、その1本はインプラントだったので、実際にはインプラント歯冠1本のみ、ということです。しかも、移殖した下顎全体が麻痺して感覚がない状態。歯を抜くときの麻酔がずっと効いたままの状態といったらいいでしょうか。食べ物を噛むことはおろか、口の中を動かすことすらできませんでした。

1つ救いだったのは、味覚が残ったことです。実は、手術の後遺症で味覚を失うかもしれないと医師から告げられていました。術後1カ月間は点滴のみ。30日目に初めて〝具なし味噌汁〟を口に含んだ夫が、小さく「おいしい」と言ったのです。食べることが大好きな夫に、味覚が残った。それが、どれほど嬉しかったか。私が必ず彼においしいものを作ってあげる! そう決意した瞬間でした。

ところが、喜んだのも束の間、入院食が始まって2日目に、夫は食べることを放棄してしまったのです。

具なし味噌汁、ムース状のおかず、スープに近い20倍粥、というメニューを、1時間半かけて半分も食べられないという現実。「食べるのに疲れた」「おいしくない」と言う夫に、私は、「命がかかってるのに、何をわがまま言ってるの?」と、つい声を荒げました。

このとき、アキオさんは、食道がんの手術を控えていた。先に見つかった食道がんは早期だったため、急を要する口腔底がんの手術を優先させた。だが、もし、この間に食道がんが進行してしまったら、内視鏡手術では難しくなる。手術後のアキオさんに、開腹手術や抗がん薬治療は、体力的に難しいとされていたのだ。つまり、食道がんが進行してしまったら、打つ手なし、になってしまう。

入院中、アキオさんの体重は7キロも減り、クリコさんは焦っていた。早く体力を回復させ、食道がん手術ができる体に戻って欲しい。そのためには、食べてもらわなければ。なんとしても、食べさせなければ……と。

インタビュー中のクリコさん

アキオさんが食事のとき使っていたスプーンと手鏡

退院後の食事作りに備えて、何かヒントが欲しかった私は、病院の摂食嚥下(せっしょくえんげ)看護認定看護師にアドバイスをもらおうと、入院中、何度も会いに行きました。夫は、噛めないけれど、飲み込むことはできました。だからなのか、何度聞いても「やわらかければ何でもいい」としか答えてくれないのです。でも、20倍粥を食べるのに苦労している夫に、やわらかければ何でもいい、とは到底思えませんでした。

一方、インターネットでいろいろ調べるうちに、私が作ろうとしているものは「介護食(=噛んだり飲み込んだりする力が弱くなった人のために、調理にひと手間加えて食べやすくした料理)」だと知りました。ならば、介護食のレシピ本を手に入れようと、近所の大型書店に駆け込みました。高齢化社会の世の中、介護食コーナーがあるに違いないと思ったのです。ところが、なんと1冊も見つけられず。後々わかったのですが、都心の大型基幹店に行けばあったようです。でも、病人を抱える当時の状況で、本を探しに遠出する時間はありませんでした。

結局、インターネット検索に頼るしかなかったわけですが、紹介されていた介護食はどれも、夫が食べたくないと言った流動状のものばかり。要するに、完成品をミキサーでドロドロにしただけのものだったのです。もはや何の色かすらわからない流動状の塊を、夫が食べたいと思うはずがなく、私も彼にこれを出したくはない……。

夫は噛めないだけでなく、下顎が麻痺しているので、鏡を見ながらでないと、スプーンを口の中に入れることができません。鏡を見ながらスプーンを口元に持っていき、上唇で確認しながらスプーンを口の中に入れ、上唇で食べ物をすくいとって口の中に入れ、動かない口のなかで長時間、1本の奥歯と舌でモゴモゴさせて、ようやく飲み込むのです。そんな思いをして食べる夫だからこそ、せめておいしく食べられないと、毎日食べ続けることはできないだろうと思いました。

見た目に何の素材かがわかり、おいしそうに見えて、かつ、やわらかく飲み込みやすい食事――これが、私の介護食作りのこだわりでした。そしてそれがどれほど難しいことか、このときはまだわかっていませんでした……。

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