高血糖や肥満は放っておかない インスリン増加とがん化促進の関係がわかってきた
井垣達吏さん
糖尿病や肥満を抱える人は、そうでない人に比べてがんになりやすい――。
これは統計的には知られているが、それがなぜなのかはわかっていなかった。そこに一石を投じたのが、京都大学大学院生命科学研究科教授の井垣達吏さん率いる研究チームだ。
井垣さんらは、インスリンが血中に溢れる高インスリン血症になると、細胞間で行われる「細胞競合」が起こらなくなり、がん化が促されるというメカニズムを、ショウジョウバエの研究で発見した。これは、がん発症の1つのメカニズムを示唆するものとして、今、注目されている。この発見と、そこから考えられる糖尿病とがん発症の関係について、井垣達吏さんに話を聞いた。
細胞間で行われる「細胞競合」とは?
日々、食べ過ぎや運動不足の結果、血糖値高めの状態が続いたり、肥満に陥ったりすることがある。こうした状態を「生活習慣病」や「メタボリック症候群」などと表現するが、これらの言葉の柔らかさゆえ、「まだ大丈夫だろう」と高を括っていないだろうか?
実は、そうではない。生活習慣病を軽視して放置すると、体内では思いもよらないことが起こるようだ。そのことを知るために、まず「細胞競合」という生命のメカニズムについて説明しておこう。
地球上では、あらゆる生物が生存競争を繰り返し、勝ち抜いた個体のみが生き残っている(競合)。これは地球が誕生した瞬間から続く自然の摂理であり、大原則である。
「この生物間の競合現象が、1つの体を構成する細胞同士の間にも起きていることが、近年、わかってきました」と京都大学大学院生命科学研究科教授の井垣達吏さんは話す。
これは、どういうことだろうか。
「例えば、体内である遺伝子に変異が起きたとします。変異が起こると細胞としての生存能力が弱まることが多く、その変異細胞の集団の中では生きていけますが、生存能力の強い正常細胞と一緒にいると、細胞間で競合が起こって変異細胞は死に至り(細胞死:アポトーシス)、排除されていくのです」
細胞間での競合現象を「細胞競合」と呼ぶ(図1)。
「免疫作用」ではなく「細胞競合」?!
「人間の体の中では、1日におよそ5,000個のがん細胞が生まれ、自然淘汰されている」といわれている。正確には、これは「がん細胞」になる以前の「変異細胞」といったほうがいいだろう。
井垣さん率いる研究チームは、ショウジョウバエを使ってがんの制御メカニズムを研究している過程で、「細胞競合」という現象が、がん抑制にも働いていることを突き止めた。
ある細胞に、がんの元となる変異が起きたとき、周囲の正常細胞がそれを認識し、変異細胞を死へ導き、組織から排除していく。そのメカニズムを知るために、気の遠くなるような検証を繰り返し、1つひとつ明らかにしていったのだ。今はショウジョウバエでの話だが、ハエで起こることがヒトにも共通することは珍しくないという。
「がん化へ向かう遺伝子変異は何種類もありますが、そのほとんどが、周りに正常細胞がいることで死んでいきます。がんへ向かう最初の一歩にあたる変異の多くは、細胞競合で排除されていると私たちは考えています」
体内で悪さする細胞が淘汰されるとき、私たちは、つい「免疫システム」が働いていると考えがちだ。正常細胞とは明らかに違う大きな変異が起きていれば、免疫システムが認識して排除する働きが起きる。しかし、免疫システムが認識するに至らないほんの小さな変異ならば、免疫は作用しようがないのだ。
がん化とは、どういうことか?
そもそも、「がん化する」とは細胞がどうなっていくことなのか。
「がんは、臓器の表面にある上皮細胞から生まれます。上皮細胞は本来、六角柱の細胞が整然と並んで方向性をきっちり保っています。細胞本来の方向性を『細胞極性』といい、正常な上皮細胞は細胞極性を持っているわけです。ところが、細胞極性が崩れて、六角柱の向きがあっち向いたりこっち向いたり、あるいは方向性すらなくなっていくと、がん化へ向かうのです」(図2)
六角柱の細胞極性がどの程度崩壊したら「がん」なのか、という境界線は明確ではない。ただ、上皮細胞の極性が壊れ始めると、がん化へ向かう。そして、極性が崩壊した細胞は、増殖し始める。
ほとんどの正常細胞は、いったん生まれた個体の体内では数が増えることはない。がん細胞はスピードの違いはあるが、増殖し続ける。これが、正常細胞とがん細胞の大きな違いだ。
そしてインスリンにたどり着いた
細胞競合によって、がんは抑制されている。とするならば、細胞競合が起こらなくなると、がん化が促されるだろう。その仮説のもと、井垣さんらは、さらにショウジョウバエを使って研究を続け、ある事実に行き当たった。
「体内を循環するインスリン濃度が上がると、細胞競合が破綻する」。つまり、インスリン量が一定以上増えると、細胞競合が行われなくなったというのだ。
「これは、何の遺伝子が壊れると細胞競合が行われなくなるか、を調べるために体内の遺伝子をランダムに壊していった結果、見つかった現象でした」と井垣さんは前置きして続けた。
「細胞競合を破綻させていたのは『chico遺伝子』の変異でした。chico遺伝子が壊れると、なぜか細胞競合が起こらなくなり、がんの元となる変異細胞が生まれた周辺一帯が、がん化していったのです。とはいえ、chico遺伝子がどこで壊れてもがん化へ向かったわけではありませんでした。腫瘍が存在する場所でchico遺伝子が壊れても何も起きない。ところが、腫瘍とは関係ない場所で壊れると、細胞競合が起こらなくなって、離れた臓器でがん化していくことがわかったのです」
この時点では、「腫瘍とは関係ない場所」というのが問題だった。それは、何を意味するのか。chico遺伝子は何に反応しているのか。井垣さんたちは、さらにそのことを追究し続け、たどり着いたのが、「インスリン」だったのだ。
インスリン増加が、がん化を促す?!
「体中の様々な臓器や器官で順番にchico遺伝子を壊していきました。最終的に『インスリンを作る細胞でchico遺伝子を壊すとがん化し始める』ことがわかったのです」
インスリンを産生する細胞は決まっている。ヒトの場合、それは膵臓にある。ハエでも場所が決まっていて、そこでchico遺伝子が壊れると、がん化へ向かい始めたというのだ。
「インスリンを産生する場所なので、インスリン量に関係あると思って計測したら、案の定、インスリン分泌量が急激に上昇していました」と井垣さん。
つまり、インスリンを産生する場所でchico遺伝子が壊れると、インスリン分泌量が急増する。すると細胞競合が起こらなくなり、がん化に向かうことが明らかになったのだ。
「さらに研究を重ねる中で、どのような方法で生体内のインスリン量を増やしても、同じように細胞競合が破綻して、がん化が進むことがわかりました。例えば、ハエのエサのタンパク量を増やしてインスリンを増やしても、遺伝子操作によってインスリンを無理やり大量に産生させても、どんな方法をとっても結果は同じ。とにかくインスリン量が増えると、がんの元となる変異細胞が生まれた離れた臓器で細胞競合がストップし、がん化に向かいました」
「離れた臓器」とは、つまり、体中、どこで起こるかわからないということ。インスリンは血液循環に乗って体中を巡っているので、体のどの場所でがんになってもおかしくないわけだ。
これはショウジョウバエでの研究だが、chico遺伝子は基本的にすべての生物、もちろんヒトも持っている遺伝子(ヒトではIRSと呼ばれる)。まだ人間での検証が行われていない以上、推論ではあるが、「インスリンを作る細胞でchico遺伝子が壊れると、細胞競合が起こらなくなり、がん化に向かう」という仮説が立ったといってよいだろう。
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