仕事をしながら療養する
自分の仕事の意義を改めて実感できた長期入院生活

取材・文:菊池憲一 社会保険労務士
発行:2011年8月
更新:2013年4月

  
飯泉 悟さん 飯泉 悟さん

飯泉悟さん(38歳)は、日本電気通信システム株式会社(NEC通信システム)キャリアソリューション事業部主任を務める。海外の電話会社用の携帯電話システムの開発・検証を担当。34歳のとき、悪性リンパ腫のホジキンリンパ腫4期と診断された。休職し、7カ月間入院しての治療と自宅休養を経て約1年後に復職。世界市場の第一線で活躍する。

長期入院に備えて病室でのネット環境を整える

2000年ごろ、初めての海外出張を控えた渡航前検診の血液検査で、γ-GTPの値が基準値を超えていた。脂肪肝との判断で食事・運動療法を行ったが、数値は横ばい。腹部超音波検査で、肝臓の近くの脾臓に腫れ物が見つかった。近くの病院で血液検査などを繰り返したが、わからなかった。結局、06年10月、大学病院に2週間の検査入院をすることになった。

「インターネットで検査データを調べて、診察時の医師の言葉を重ね合わせた結果、悪性リンパ腫の疑いがありました。がんだとしたら、入院期間はかなり長くなると思いました。会社での仕事の引き継ぎが必要だと感じました」と飯泉さん。

検査入院の約1カ月前。飯泉さんは、会社の上司に事情を説明した。上司は、すぐに了解してくれた。当時、所属していたチームのスタッフは5名。2週間ほどで仕事の引き継ぎをした。同時に、長期入院に備えた。入院先の大学病院では、当時、病室で携帯電話の使用が認められていなかった。そこで、A4サイズのノートパソコンを購入。携帯電話より電力の小さいPHSの契約もした。病院の許可を得て、ノートパソコンにPHSを差し込めば、病室でインターネットができる。

もう1つの気がかりは、入院中の治療費や給料などの生活費。調べると、会社でさまざまな制度が利用できることがわかった。

医療費は、加入中の健康保険組合の高額療養費制度が使える。さらに、健保独自の給付として、一部負担還元金があった。2つの制度を利用すると、休職当時、窓口負担額は1カ月当たり2万円ほど。また、共済会という互助団体から、入院1日当たり最大1万円の差額ベッド費用の補助も受けられる。療養中の所得保障もあった。加入中の健康保険組合から法定給付の傷病手当金と健保独自の付加給付の傷病手当付加金が支給される。休職当時、付加給付を含めて、1日当たり、標準報酬日額の85パーセントが最長1年半、支給される。

「医療費と療養中の給与などの経済的なことは、それほど心配しなくてもよいとわかり、気持ちが落ち着きました」と飯泉さん。

ブログでの発信やテレビ電話が外界とのつながりを保ってくれた

会社を休職。検査の結果、血液がんの悪性リンパ腫と診断された。ホジキンリンパ腫で、進行の程度は4期。34歳のときだ。

すぐに会社の上司に電話で病名を伝え、会社の同僚にはメールで連絡した。2種類の経口薬と3種類の点滴による抗がん剤治療を受けた。1週間治療して2週間休みというリズムだ。幸い、大きな副作用はなく、治療は順調だった。

治療以外のときは、ノートパソコンと向き合った。外出できないから、病院の外とのつながりはインターネットだった。病気の情報を集めた。携帯電話の業界の情報を探して読んだ。職場復帰した際に、仕事についていけるようにという思いもあった。

ブログが注目され始めたころだった。興味を持ち、自分のブログを立ち上げた。毎晩、病室で書いて、更新した。ブログで、会社の上司、同僚、友達に、近況報告をしたかった。ブログを読んだ人から励ましのコメントが届くようになった。がん患者さんが多かった。

「ブログを毎日見てくれて、毎日声をかけてくれる人もいました。発信することで、励ましを得ました」と飯泉さん。ブログを通して、30代から70代まで友人が増えた。新しい友人との交流で、視野が広がった。

残念ながら、抗がん剤治療は期待した効果が得られず、自家末梢血幹細胞移植をすることになった。約1カ月間、無菌室に入った。無菌室には、高速インターネットの回線が引いてあり、一般の病室よりもネット環境が整備されていた。ノートパソコンを回線につなぐと、テレビ電話ができた。当時、5歳の1人息子と、毎日、テレビ電話で話した。「テレビ電話は、息子の心のケアになったと思います。もちろん、私にとっても、家族とのテレビ電話は気分転換に最高でした」(飯泉さん)

移植後、拒否反応はなく、医師も驚くほどの速さで回復した。07年6月、退院。入院期間は7カ月間だった。

2度目の休職、闘病も傷病手当金で乗り切る

退院後の4カ月間、自宅療養。体力の回復に努めた。主治医に職場復職診断書を書いてもらった。会社の健康管理センターの産業医と面接した結果、残業なしでの復職が決まり、総務課で復職の手続きをした。

07年10月に復職。新しいチームに入った。上司から「新しい技術を勉強しているところだから、負い目を感じたりせず、一緒に取り組もう」と励まされた。同僚も温かく受け入れてくれた。通勤は、ラッシュを避けた。毎朝、少し早目に自宅を出て、座れる電車で通勤した。

復職8カ月後の08年6月、免疫力低下の影響で、耳の奥にできた帯状疱疹からハント症候群を発症。右側の顔面まひや耳鳴り、めまいなどに悩まされた。2カ月間、休職して治療を受けた。このときも、傷病手当金などが支給された。

再度、復職。08年10月からは残業制限がなくなった。入院前の元気な自分に戻れた。09年の春。海外出張の機会に恵まれた。体力と仕事への自信が深まったという。

現在、悪性リンパ腫について、月1回の血液検査、半年に1回のCT検査を続ける。幸い、経過は順調である。

「患者になって、自分の仕事が本当に役立っていることがわかりました。インターネットは、心の支えになります。今なら、いつでも、どこからでも、携帯電話を通じて、インターネットにつながります。患者体験を生かして、よりよいネット環境作りをしていきたいと思います」(飯泉さん)

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傷病手当金
健康保険組合の被保険者や、協会けんぽ(全国健康保険協会)の被保険者が病気・けがで療養のため、仕事を休んで給料を受け取れないときに、一定の条件を満たすと、休業1 日につき標準報酬日額の3 分の2 が最長1 年半支給されます。飯泉さんの場合、悪性リンパ腫とハント症候群の2 つの病気で、別々の傷病手当金が支給されました


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