仕事をしながら療養する
マネジメントプログラムの受講が仕事復帰への第1歩となった

取材・文:菊池憲一 社会保険労務士
発行:2010年4月
更新:2013年4月

  
堀田めぐみさん 堀田めぐみさん

堀田めぐみさん(50歳)は2005年3月、45歳のとき、急性リンパ性白血病を発症。当時、熊本県の小学校の理科の非常勤講師だった。入院医療費は、高額療養費制度と生命保険の入院特約を利用。一時はうつ状態に陥ったが、慢性疾患セルフマネジメントプログラムの受講をきっかけに元気を取り戻し、新たな仕事に取り組んでいる。

小学校の非常勤講師として充実した日々の中、白血病に

堀田さんは、3人の子育てに手がかからなくなり、社会復帰したいと願っていた。

42歳のとき、小学校の非常勤講師の仕事があることを知り、長年の夢だった小学校の教壇に立った。1年契約で、1年目は小学校1年生の担任のサポート。2年目と3年目は、5~6年生の理科を担当した。健康保険は公務員の夫の被扶養者で、国民年金に加入。働く時間が短いため、雇用保険には入っていなかった。充実した日々を送っていた。翌年度も、1年契約で非常勤講師を務める予定だった。ところが、体調が悪くなった。風邪をひきやすく、熱が出やすくなった。小学校の2階までの階段を、何度も休まないとあがれなくなった。「これはおかしい」と思った。

かかりつけ医から紹介された病院の血液内科を受診すると、すぐに検査入院をすすめられた。

2005年3月中旬、授業をすべて終わらせて、通知書もつけてから入院した。

検査入院の日に、検査結果がわかった。

公務員の夫の同席のもとで、フィラデルフィア陰性急性リンパ性白血病と告げられた。治療方針も伝えられて、そのまま本入院となった。告知された瞬間、「まさか白血病だなんて。信じられない」と思った。「長い治療になると言われ、家族のことや医療費のことも心配になりました」と言う。

校長には、すぐに病名と入院治療が必要なことを伝えた。

生徒数も職員数も少なく、日頃から校長とは何でも相談できる関係だったから、仕事の引き継ぎもスムーズにできたという。

仕事には2度と復帰できない、と思っていた

2005年3月から、完全寛解()を目指して、寛解導入療法を始めた。エンドキサン(一般名シクロホスファミド)、ダウノマイシン(一般名ダウノルビシン)、オンコビン(一般名ビンクリスチン)、ロイナーゼ(一般名L-アスパラギナーゼ)、プレドニン(一般名プレドニゾロン)による多剤併用療法である。幸い、骨髄内の白血病細胞を5パーセント以下に減らせる完全寛解が得られた。完全寛解後は、残った白血病細胞を減らすために、地固め療法を受けた。

「8カ月間の入院中、最後まで治療できるのか不安でした。仕事には2度と復帰できないだろう、と思っていました」

8カ月間の入院期間を経て、やっと退院できた。入院中の医療費は、毎月40~50万円。夫が加入中の健康保険から支払った。高額療養費制度()が利用できたため、病院の窓口で支払った額の一部があとで払い戻された。加入していた生命保険の入院特約・成人病特約から、180日間の入院費が支払われた。この2つで、入院中の医療費は何とかカバーできたという。夫が働いていたので、生活費に困ることもなかった。不足した分は、預金を切り崩した。

2005年12月から、外来通院で維持療法を受けた。副作用で自宅にとじこもりがちになり、うつ状態が続いた。そんな中、悩みや不安をわかちあいたいと思い、ネットなどで情報を探した。ある日、熊本県の難病相談・支援センターで、血液難病交流会のお知らせを見つけた。思い切って出席、その後、しばしばセンターに足を運んだ。やっと、自分の居場所を見つけられた。

完全寛解=治療後にがんが一定期間減少し、症状が落ち着くこと
高額療養費制度=長期入院や治療が長引く場合などで医療費の自己負担額が高額となった場合に、一定の金額を超えた部分が払い戻される制度

セルフマネジメントプログラムでわいた強い意欲

2006年10月、難病相談・支援センターで知り合った方から慢性疾患セルフマネジメントプログラムの受講をすすめられた。

毎週1回、2時間半を6週間。受講者10名。がん患者は1人。1型糖尿病患者や関節リウマチなどの慢性疾患の患者たちと一緒に受講した。ピア(仲間)サポートグループの利点に加え、自己管理の技術や方法、問題解決法を学んで積極的に行動を起こし、病気とともに生きる術の習得や、生きる力をつけて成長することを目標にしている。

1週間でできること、やりたいことを話した。電話で仲間たちのサポートを得ながら、1つひとつ取り組んだ。「週2回、散歩をしたい」という希望を述べて、実践した。1つのことができると自信がついた。3週間目までは、周囲の励ましで何とかこぎつけた。4週間目から「何とか最後までついていこう」という強い意欲がわいてきた。6週間目、「3カ月から6カ月後に、仕事をしたい」という目標を話した。しゃべりながら、自分で驚いた。その一言が、職場復帰への第1歩となった。

2007年7月、難病相談・支援センターで相談員を始めた。1年契約のパート勤務。県からの業務委託の仕事で、電話相談、難病の人とその家族との面談、必要な支援、イベントや交流会の企画、開催などを担当した。病気の自己管理をしながら、仕事に取り組んだ。

2009年4月、勤務時間が週20時間以上となり、雇用保険に加入した。社会的にも認められたような気持ちになった。

今春。急性リンパ性白血病の告知を受けてから5年が過ぎた。いくつかの新しい活動を始める。

1つ目は、がんサロンを設立し、その運営に取り組むこと。2つ目は、熊本市難病・疾病友の会を立ち上げること。このほか、血液疾患患者と家族「晴れの会」の活動、患者団体をつなげて学び合いの場をつくる、市内の長期療養中の子供と暮らす親の会の立ち上げなど数多い。

「がんになっても絶望することなく、1歩前に踏み出せば、手を差し伸べてくれる人に出会えます。社会復帰もできます。少しでも多くの出会いの場を提供していきたい」と希望を語る。

血液疾患患者と家族「晴れの会」ホームページ
慢性疾患セルフマネジメントプログラム ホームページ 特定非営利活動法人日本慢性疾患セルフマネジメント協会

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慢性疾患セルフマネジメントプログラム
米国のスタンフォード大学患者教育センターで、慢性疾患の治療・ケアと患者さんのQOL(生活の質)向上のために開発された自己管理支援プログラムです。世界20カ国以上で実施され、健康状態の改善、健康行動の増加、医療サービス利用の減少などへの効果が確認されています。2005年頃、日本にも導入。東京大学大学院医学系研究科健康社会学/健康教育・社会学教室などが研究に取り組んでいます


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