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仕事をしながら療養する
声を失った患者さんが、「第2の声」を取り戻せるように活動を続ける
川波俊彦さん
川波俊彦さん(現在62歳)は、定年退職直前の59歳のときに、下部咽頭がんと頸部食道がんで喉頭全摘出手術を受けた。民間生命保険会社の保険金支払いと、公的社会保険の障害年金の支給を受けながら食道発声の訓練に努力した。
退職後は、声を失った人たちの「第2の声」を取り戻すために、無償ボランティアで、食道発声の指導員として活動を続ける。
下部咽頭がんと頸部食道がんで手術
川波さんは、20年間、国家公務員を務めたあと、航空会社に転職した。取引先の運輸関係の会社に在籍出向し、総務部長として、5人の事務スタッフと50数名のドライバーの管理をしていた。
60歳の定年退職まで、あと1年2カ月の04年3月頃だった。
のどに異常を感じた。同年4月初め、近くのA内科医に診てもらう。「のどが少し赤くなっています。風邪ですね」と言われた。7月初め、大腸ポリープ摘出のため、近くのB総合病院に1泊2日入院。手術を受けた。翌朝、両耳の下にしこりが出て、耳下腺炎と診断された。「咽頭部にも異変が見られる」と言われて、専門医の紹介を受けた。その紹介先のC大学病院で、「喉頭にがんができています」と告げられた。川波さんは信じられなかった。
そこで、がん専門病院での精密検査を希望した。Dがん専門病院で検査を受けたあと、9月末に入院し、10月19日、下部咽頭がんと頸部食道がんの手術をした。喉頭と食道の上部を切除し、小腸を移植する食道再建手術を受けた。手術は12時間に及んだ。術後1週間目、点滴からおかゆが食べられるようになったとき、「ああ、これで助かった」と思った。涙があふれてきた。そのあと、声の出ないことに苦しみ始めた。「声が出ないため、ノートやホワイトボードでの筆談をしますが、まどろっこしく、イライラがつのります。ストレスがたまる日々でした」(川波さん)
04年11月9日に退院したが、体調を崩して、12月15日に再入院。05年1月7日に退院した。その翌日、川波さんは、喉頭摘出者の会「銀鈴会」に参加。火、木、土の週3回、同会の発声訓練講習会で、食道発声の訓練を始めた。失った声帯の代わりに食道を震わせて声を出す。家で練習を繰り返した。歩行中も、足を踏み出す度に声を出した。
障害年金の支給が大きな希望と支えに
会社は半年間休養した。休養期間は年次有給休暇などをあてたため、給与はほぼ満額支給された。川波さんは、病院や自宅からパソコンのメールやFAXで、会社に事務連絡して、仕事がスムーズに運ぶようにと努力した。
川波さんは、声の出ない苦しみを抱えながら、今後の生活のことで悩み始めた。住宅ローンが残っていた。定年退職後の生活設計にも不安を感じた。病床で、5年ほど前に、会社で加入した団体生命保険を思い出した。退院後、その書類を取り出して、約款をよく読んだ。そして、「言語喪失は死亡時と同じ額を支払う」という記述を見つけた。電話をしようと思ったが、声が出せない。保険会社への質問事項を書き出して、妻に、電話をしてもらった。在籍中の航空会社の厚生担当者にも連絡を入れて、協力を願い出た。妻と厚生担当者の応援の結果、保険会社から満額の保険金の支払いを得ることができた。「この保険金で、住宅ローンの支払いの目途はつきました。ほっとしました」(川波さん)
05年3月に職場復帰した。幸い、在籍出向中の会社と発声訓練講習会の会場が近くだったため、週3回の午後1時から午後2時半まで、発声訓練に取り組んだ。会社では、パソコンとFAXを駆使して、業務をこなした。
05年5月末の退職を控えて、会社からいくつかの資料が届いた。その資料を参考にしながら年金の手続きも始めた。4月に、社会保険事務所を訪問。電動式人工喉頭をのどに当てながら声を出して、担当者に相談した。
喉頭全摘出手術で言語機能を喪失した場合、障害に認定され、一定の保険料納付要件を満たしていれば、障害年金が支給される。ただし、障害年金の申請手続きはかなり面倒だった。4つの病院から診断書を取り寄せて、パソコンで病歴などを整理した。手紙は配達記録郵便扱いにして、すべての書類を保存した。メモもFAXもファイリングした。社会保険事務所には1週間置きに4回、訪問した。その結果、障害年金の支給が決まった。
「障害年金の支給額は、普通に暮らすには十分な金額です。『地獄に仏』です。大きな希望と支えを得ることができました。しゃべれないつらさに耐えて、粘り強く取り組んで、本当によかったと思います」と川波さん。
無償ボランティアで発声訓練講習会の指導員として活躍
05年5月末に定年退職。川波さんは、次の就職先を求めて、ハローワーク(公共職業安定所)を訪ねた。雇用保険の基本手当の支給を受けながら就職活動をした。障害年金と基本手当の両方の支給を受けながら5カ月ほど求職活動をしたが、ふさわしい職場は見つからなかった。声の出ないことが大きなハンディになったようだ。
川波さんは、就職活動をしながら、銀鈴会の発声訓練講習会に参加し続けた。退職直後の05年6月の第51回声の祭典で12位、06年1月の第10回ニューイヤーボイスコンテストで1位、06年6月の第52回は3位、07年6月の第53回は1位、07年11月の第4回全国喉摘者発声大会は8位と訓練の成果が現れた。06年9月からは無償ボランティアで発声訓練講習会の指導員を務めている。
「先輩指導員から人間的に豊かであれ、研究熱心であれ、協調性を大切に、と教えられました。それを忠実に守りながら、すべての人々への感謝の気持ちを忘れず、声を失った会員さんが、1日でも早く『第2の声』を取り戻せるように努力しています」(川波さん)
川波さんは、新人会員の説明会で、保険会社への保険金請求や障害年金の申請手続きのサポートも行う。自らの経験と、詳細な書類のファイルが役立つという。
キーワード
障害厚生年金
障害厚生年金は、初診日に厚生年金の被保険者である人が、その病気やけがで、障害認定日に1級~3級の障害の状態にある場合に支給されます。
初診日とは、障害の原因となった傷病について、初めて医師等の診察を受けた日です。障害認定日とは、初診日から1年6カ月を経過した日か、その期間内に治った日(症状が固定した日)です。川波さんの場合、初診日はC大学病院で診察を受けた日で、障害認定日は喉頭全摘出手術を受けた日です。また、初診日の前日に、保険料納付要件を満たしていることが必要です。初診日の属する月の前々月までの、保険料を納めなければならない期間のうち、(1)滞納した期間が3分の1を超えていないか、(2)直近1年間に滞納がないことです。川波さんは、納付要件も満たしていたので、障害厚生年金が支給されることになりました。
社団法人銀鈴会の問い合わせ先
〒105-0004東京都港区新橋5-7-13ビュロー新橋901
TEL:03-3436-1820 FAX:03-3426-3497
発声訓練講習会は主に火・木・土の週3回。東京都港区の障害者福祉会館で