仕事をしながら療養する
「大学院で学びたい」という長年の夢を実現

取材・文:菊池憲一 社会保険労務士
発行:2007年8月
更新:2013年4月

  
中村秀子さん 中村秀子さん

県立高校で家庭科の教員として、授業と生活指導で多忙な日々を送っていた中村秀子さんは、44歳のとき、乳がんと診断された。療養休暇を96日間とり、手術と放射線治療を受けて職場復帰。術後4年3カ月後の今年4月、長年の夢だった大学院に入学。大学院生として学びの日々を送っている。

がん告知で気づかされた自分の生き方

02年11月28日、高校の文化祭を終えて、ほっとしたときだった。教科準備室で昼食中に乳がんのことが話題になった。その夜、入浴後に「おかしいな」と思った。翌29日の金曜日の朝、夫に相談すると「すぐに医者に行け」と言われた。その日は授業など、高校でのスケジュールがいっぱいだった。すべてをこなして、診療終了間際の午後7時に、かかりつけのクリニックに飛び込んだ。内科医は、すぐにエコー検査と針生検をした。週明けの月曜日の夕方、クリニックから自宅に「すぐに来てください」という電話が入った。夫と受診し、その日、乳がんの告知を受けた。

「どこの医療機関でも紹介状を書きますよ」とのことで、12月2日、紹介先の県立がんセンターで診察を受けた。44歳だった。担当医から「温存手術が可能でしょう。術中にセンチネルリンパ節生検をして、リンパ節転移があったら切除しましょう」と言われた。その当時、手術まで1カ月以上待つのは当たり前で、年明けの入院予定だった。その後の検査の際、「12月26日に入院できますか」と尋ねられ、すぐに入院を決めた。

その翌日、職場で今後の治療予定の説明をした。そのとき、「手術後の放射線治療の期間も考えると、3月末までの休養が必要です」という主治医の診断書も提出した。当時、勤務中の高校の家庭科には、中村さんを含めて4人の教員がいた。授業への対応も必要だった。

「主治医の診断書をもとに、療養休暇は入院日の12月26日から3月31日までの96日を予定していただきました。療養休暇中の授業は、2人の講師に授業をしていただくことになりました」と中村さん。

講師探しは家庭科の教員仲間が取り組んでくれた。2人の講師はすぐに手配できた。中村さんは、安心して治療と療養に専念することにした。

がん告知後、中村さんは、ある人から次のようなアドバイスを受けた。

「病気は、あなたに気づきを求めているのかも知れません。これまで、自分の心身を痛めつける生活をしてきませんでしたか。いろんなことを一生懸命にやりすぎたり、責任を背負いすぎたり、無理をしてきませんでしたか。生き方を変える必要があるのではないですか。そう問いかけているのだと思いますよ」

この言葉は、中村さんの心に響いた。

職場復帰後は身体に素直に耳を傾ける日々

02年12月26日に入院。年末年始に一時帰宅。年明けの03年1月7日に手術を受けた。県立がんセンターでは、年明け最初の乳がん手術だった。午前8時半に手術室に入り、11時半には終了。温存手術で扇型に広く切除した。手術は成功した。午後3時半には歩くことができた。1月13日に退院。その後、自宅療養をしながら3月下旬まで外来通院で放射線治療を25回受けた。ホルモン療法も併用した。そして、4月1日、予定通り、職場復帰した。しかし、放射線治療やホルモン療法の影響なのか、疲れやすく、とくに木曜日くらいになるとつらくなった。

「職場復帰後は、身体に素直に耳を傾けて、早く帰宅しました。主任や、学級担任なども引き受けられないと話しました。無理をして引き受けて、迷惑をかけたくなかったのです。断る勇気を持つようにしました。術前なら、職場でも家庭でも、何でも自分でやらないと気がすまなかったし、多少の無理をしてでも自分でやっていましたが、生活を変えるようにしました。ただし、教員という仕事をやめようと思ったことは1度もありません」(中村さん)

教育の現場で、乳がんについて伝えていきたい

03年7月、中村さんは、放射線治療中に知り合った患者仲間に誘われて、4人で乳がんの患者会「ねむの会」の講演会に行った。同年11月、同会の講演会にも再び出かけた。患者仲間と話がしたかったからだ。数多くの元気な患者仲間に出会えて、「自分も大丈夫」という安心感を得られたという。同会は、「気負わず、末長く」をモットーに、会合や責任を最小限にした省エネ運営で、年3回の講演会などに取り組んでいる。その趣旨に共鳴し、お手伝いを始めた。

もう1つ、「大学院で学びたい」という長年の夢を実現しようと思った。06年4月、勤務先の高校が変わった。職場環境から大学院進学への好機だと判断した。そこで、教育委員会に大学院修業休業の申請を行った。

07年4月、中村さんは、高校を休職して、母校の大学院教育学研究科家政教育専攻に入学した。術後4年3カ月目に長年の夢をかなえた。

「いま、大学院生として、週5日間通学しています。20歳代から60歳代までの大学院生と一緒に学んでいます。自分のテーマに関係する本を読んだり、調べたりしています。これほど楽しいことはありません。人生で最高の日々を送っています。これも、病気のおかげだと感じています」(中村さん)

大学院修士課程の1年次を修了する08年4月には大学院に通いながら職場復帰の予定だ。その後についても、中村さんの夢は続く。高校生や、大学生に、乳がんのことを伝えていくことだ。

「今年1月、ねむの会の活動の1つとして、卒業前の女子高校生に体験談などを聞いてもらう出前講演を行いました。今後も、教育現場で、乳がんの早期発見や検診の受診率を高める活動を広げていきたいと思います」と中村さん。新たな人生は、夢と希望に満ちているようだ。

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療養休暇
県の「職員の勤務時間、休暇等に関する条例」で定められた制度です。「職員が負傷または疾病にため療養する必要がある場合における休暇とする」「療養休暇の期間は、療養のため勤務しないことがやむを得ないと認められる必要最小限の期間とする」となっています。


ねむの会の連絡先
〒276-0036 千葉県八千代市高津390-247
電話・FAX 047-450-6593(代表者・金井弘子)
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