仕事をしながら療養する
長期入院費を補ってくれた高額療養費

取材・文:菊池憲一 社会保険労務士
発行:2007年6月
更新:2013年4月

  
大野聰克さん 大野聰克さん

工場経営者・大野聰克さんは、45歳で直腸がんの4期と診断された。
75日間の入院医療費の支払いは、民間の生命保険と公的な健康保険の高額療養費制度で乗り切った。
退院後は仕事を減らし、生活習慣も改善。と同時に近くの病院でボランティア活動を始め、現在はそこの職員として、がん患者のサポートに取り組んでいる。

工場経営10年目働き盛りのがん告知

大野聰克さんが、体に異変を感じたのは1991年4月、45歳のときだ。トイレに行くたびに血便が出た。そのため貧血を起こし、疲れやすくなった。工場の経営を始めてから10年目、働き盛りの時期のことだった。

このとき、大野さんは「薬を飲まないといけないのかな」と不安になっていた。そこで、近くの帯津三敬病院(埼玉県川越市)を訪れた。

レントゲンや内視鏡、CT検査などの結果、担当医から次のように告げられた。

「直腸がんの4期です。入院して手術を受けたほうがよいでしょう」

大野さんの胸の中は「まさか……」という思いでいっぱいになった。

大野さんの血便は20代からあった。医師から「胃が過敏に動いて、傷つくからです。痔でもありません」と説明を受けていた。その際、処方された薬を6カ月間飲み続けたが、痛みがないため途中で服用をやめた。それからも血便はたびたびあったが、気にせずに放っておいた。

大野さんは電気関係のエンジニアで、中規模のバイオ装置メーカーに10数年間勤務した。その後、35歳のときに個人で工場の経営を始めた。そして、家庭用電子レンジを大型化したような工業用の高周波発信器などを製造し続ける。その工場でつくられた機器は、自動車工場などで使用された。

これらの製品は、親会社からの依頼によって、その顧客である自動車工場などからの細かな注文に応じ、1つひとつ製造する。その後、試運転を繰り返して納品する。

従業員は1人。大野さんと2人でフル稼働の毎日で、工場に寝泊りする日も少なくなく、わずか2~3時間の睡眠で仕事を続けることもあったという。

仕事仲間・妻・親会社の協力で入院生活を乗り切る

直腸がんの告知を受けた大野さんは、創業以来、共に仕事をしてきた従業員と、会社勤めをしている妻に、自分の今後について相談し、話し合いの末、入院しようと決意した。時同じく、製造中の製品の納期が迫っていたこともあり、大野さんは親会社の担当者へも事情を報告した。

「お客さんや、親会社に迷惑をかけられないと思いました。正直に、病気の説明をして、協力を求めました」

親会社の担当者は、すぐに対応してくれた。納品予定の製品を取りに来てくれたり、材料を運んでくれたりしたのだ。

入院してから1週間後の4月23日、大野さんは手術を受けた。S字状結腸と直腸、肛門、周囲のリンパ節を切除し、人工肛門を装着した。

その後、温熱療法と化学療法による治療を受けた。1回目は約6時間の治療を耐え抜いた。しかし、2回目途中で、我慢ができずに中断した。その後は、漢方薬の服用や気功、イメージ療法などを続けた。

「今を生きればいい。今日よりも明日のほうがきっとよくなる。少しずつよくなる」と自分に言い聞かせながら、前向きなことを考えた。

入院中は、従業員が親会社の協力を得ながら奮闘してくれた。妻は働きながら、励まし続けてくれた。

大野さんは病院のベッドの上で経理・財務の整理をしながら、ここ10年間の経営を振り返った。そして、病気の原因も考えた。

「結局、がんになったのは働き過ぎによるストレスが最大の原因だったのです。だったら、仕事を減らして、ストレスを軽くするしかないなと思いました。生活習慣を変える必要性を感じたんです」

入院期間は75日に及んだ。病院の窓口で支払った医療費は50万円ほど。幸い、民間の生命保険に加入中で、そこから約100万円の支払いがあった。加えて、公的な健康保険法の高額療養費制度も利用できて、かなりの医療費が戻ってきた。

「民間の生命保険も公的な健康保険も、本当にありがたいと思いました」

また、このころはバブル経済が崩壊した時期で、入院前から会社の仕事は減り始めていた。退院後、仕事の注文はさらに減少した。それでも、大野さんは、あえて仕事量を増やさなかった。おのずと収入は大幅に減った。妻の経済的サポートを受けながら、大野さんはこうした生活習慣の改善に取り組み続けた。

就労時間は午前9時から午後5~6時まで。夜通しの仕事はしなかった。昼食後は自転車で帯津三敬病院の気功教室に通い、午後1時から30分間、がん患者の仲間と一緒に気功を楽しんだ。

仕事量をセーブして、ボランティア活動を

気功を続けていくうちに、大野さんは「病院でがん患者さんに役立つことがしたい」と思うようになった。大野さんは、気功教室に参加しているがんの患者仲間とのコミュニケーションを積極的にとるようにし、院内の花見などのイベントの際には、車の運転手などを率先して行った。こうして、病院でのボランティア活動に、新しい生きがいを見出していったのだ。

仕事をしながら気功教室に通い続けた大野さんは、エンジニアの目で自分の身体を見つめた。気功教室では、患者さんの先輩として、新しく入った仲間に気功を教えるようになった。

術後8年目の1999年。従業員が家庭の事情などで工場の勤務ができなくなったことを機に、やむなく工場を閉鎖することを決意した。そして、同年、帯津三敬病院の職員となり、気功教室を受け持つことになった。この間、8年の助走期間があったため、スムーズに転身できたという。

「仕事だけでなく、病院でのボランティア活動というもう1つの世界を持ち続けたことが心身に非常によかったと思います。これからも気功などを通して、がん患者さんのサポートができればいいなと思っています」

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高額療養費
病院の窓口で支払った医療費が年齢や所得に応じて決められている一定の額を超えた場合、申請をした後に、払い戻される制度です。2007年4月から、70歳未満の入院治療費については、病院の窓口に「認定証」を提出すれば、一定の額を支払うだけで済むようになりました。認定証は、政府管掌健康保険なら社会保険事務所、国民健康保険なら市町村から発行されます。高額療養費の対象になりそうな方は、社会保険事務所や市町村に問い合わせてみてください。


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