仕事をしながら療養する
入院中の給料をカバーしてくれた年次有給休暇

取材・文:菊池憲一 社会保険労務士
発行:2007年4月
更新:2013年4月

  
下原康子さん 下原康子さん

大学医学部の図書館司書をしていた下原康子さんは、1995年5月、61歳のときに乳がんと診断された。
勤務先である図書室の運営に支障をきたさないよう、すぐに業務マニュアルを作成し、交替勤務の司書にバトンタッチした。
このときの入院期間は40日間。すべて年次有給休暇を使って乗り切った。

仲間たちのバックアップを受け、業務をこなした日々

下原さんは、1974年9月、東邦大学医学部のメディアセンター(東京都大田区)に図書館司書として就職。同センターに所属する常勤の図書館司書は10人ほどで、下原さんは同大学が運営する大森病院(大田区・1041床)と大橋病院(目黒区・513床)内の図書室に勤務していた。医療関係者が必要とする医学文献などを調べて、医学医療情報を提供する仕事をしていた。大森病院図書室に14年4カ月、大橋病院図書室に2年8カ月勤めたあと、1991年9月、同大学の佐倉病院(千葉県佐倉市・300床)の開院と同時に開設された図書室分館に異動した。

開設当初は、たった1人ですべての業務をこなした。そのため、心配や不安を抱えながらの日々を送ることになった。そんな頃、インターネットの普及で、司書の仕事も本からパソコンへと急激に変わりつつあった。

「私は本を読むことが好きな古典的な図書館司書で、機械との相性が悪く、開設当初は、ワープロの初歩操作がやっとできるという状態でした。機械に強い小児科医師にSOSを発して、サポートを得ながら、少しずつ慣れていきました」と下原さん。

下原さんは、大森病院、大橋病院の図書室の司書とは全員顔見知りで、毎日、医学文献の情報交換などを行っていた。パソコンで文献検索をして、必要な医学文献を選び、ファクシミリで大森病院や大橋病院をはじめ、全国の医学図書館などに文献複写の依頼をしていた。そして、司書の仲間たちのバックアップなどで、その役割が果たせるようになった。1993年にはパートタイマーが週2.5日勤務し、2人で運営することになり、図書室の運営は順調に動き始めた。

入院中に想起した、同じ病と闘っていた同期生のこと

佐倉病院の図書室分館が開設して3年8カ月後の1995年5月頃だった。下原さんは、左の乳房に小さなしこりを見つけた。すぐに、佐倉病院で検査を受けた。その結果、非浸潤性乳がんと告げられたが、幸い早期がんだった。「切除したほうがよいと思います」という主治医の意見を受け入れることにした。

入院期間は3~4週間。下原さんは、図書室の運営が気になった。入院中に、図書室を閉めるわけにはいかない。そこで、入院を決めてからすぐに、メディアセンターの図書館長に電話をして相談した。

当時、下原さんの勤務時間は、午前9時から午後5時半まで。火、木、土(午前)はパートタイマー1人がサポートする体制だった。図書館長は、すぐに、入院中の代替スタッフを整えてくれ、他の病院図書室に勤務中の常勤スタッフが交替で佐倉病院に来てくれることになった。

そして、下原さんは、入院中の運営がスムーズに運ぶようにと、業務マニュアルを作成したり、日常業務に必要なことを書き出したりした。

乳がんと診断されてから2週間後に、勤務先の佐倉病院に入院。左乳房4分の1切除する手術を受けた。手術後、主治医と病理担当の医師、がん専門病院病理の医師による診断の結果、「もう1度手術をして、すべて切除したほうがよい」と告げられた。思い悩んだ末に、2回目の切除手術を受けた。そのため、入院期間は4週間になった。

入院中、下原さんは、図書館短期大学(当時)の同期生で、卒業後に同人雑誌を創刊した仲間のIさんのことを思い出していた。国立大学の図書館司書だったIさんは、下原さんが乳がんを告げられた1カ月ほど前の1995年4月に、卵巣がんで逝った。49歳という若さだった。Iさんは1991年6月に手術。その後、再発し、入退院を繰り返し、足のむくみがひどくなって休職。職場も住所も変えなければならなかった。4年間にわたる闘病生活だったのだ。

「お見舞いに行くのが苦しかった。Iさんの病気を直視できず、何もしてあげられませんでした。自分も患者になって初めて、Iさんが感じていたこと、考えていたことがよくわかりました。追体験をした感じです。Iさんが『落ち込んでいないで、自分の心配もしなさい』と言って、早期発見を促してくれたのだと思いました。気がとがめていたのが吹っ切れました」(下原さん)

最大40日の“有給”をフル活用して職場復帰

退院後、下原さんは1週間ほど自宅で過ごした。その後、入院前と同様、常勤で職場復職した。肩を上げるときに、少し突っ張った感じがしたが仕事への影響はなかった。結局、休みは40日ほど。当時、医療費の自己負担は10パーセントで、負担は感じなかった。病院窓口での支払いはすべて夫がしてくれたし、給料もほとんど減らなかった。それは、年次有給休暇でカバーすることができたからだ。

入院時、下原さんの勤続年数は20年8カ月。20日間の年次有給休暇があった。また、前年度に使わなかった日数は次年度に繰り越されるため、最大で40日の年次有給休暇を持てる。下原さんの場合、入院前、年次有給休暇をほとんど使っていなかったので、繰り越し分を含めて40日分の年次有給休暇を持っていたのだ。

職場復帰後、元気に働き続けた下原さんは、2005年に日本医学図書館協会のヘルスサイエンス情報専門員の上級資格を取得。2006年春には定年退職。同年5月、千葉県がんセンターの患者図書室のスタッフとして働き始めた。

「これからは入院中の患者さんや、ご家族などに役立つがんの情報をお届けしたいと思います。通算31年6カ月の医学図書館司書の経験と自分自身のがん体験を生かしたい」と、下原さんは抱負を語る。

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年次有給休暇
休日以外に、賃金をもらいながら自分の希望する日に休みをとることができる制度です。入社して6カ月勤務し、所定労働日数の8割以上勤務した場合に10労働日、その後は勤続年数に応じて、1年6カ月勤務は11労働日、2年6カ月は12日、3年6カ月は14日、4年6カ月は16日、5年6カ月は18日、6年6カ月以上は20日の休暇が得られます。パートタイマーについても、継続勤務の期間に応じて、年次有給休暇があります。


千葉県がんセンター患者図書室「にとな文庫」
開館時間 平日の12時半から午後4時半まで
〒260-8717 千葉市中央区仁戸名町666-2 TEL:043-264-5431


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