仕事をしながら療養する
治療により、仕事が困難に 障害基礎年金の支給を受けながら、経済的自立を目指す

取材・文:菊池憲一 社会保険労務士
発行:2005年12月
更新:2013年4月

  

がん患者の自立を支援をする会
「とまり木」代表を務める北澤幸雄さん


北澤幸雄さん(54歳)は、歯科技工士として約23年間、歯科技工所と歯科医院に勤務し、94年1月、42歳のときに歯科技工所を開設した。個人事業主のため、国民健康保険・国民年金に加入した。事業は順調だった。

しかし、99年11月頃、腹部・脇腹・背中に痛みを感じた。自宅近くのA総合病院で検査を受けた結果、悪性リンパ腫の非ホジキンリンパ腫と診断された。担当医から「入院して抗がん剤治療を受ける必要があります」と言われた。48歳のときだった。「自営業なので仕事を休めば収入がなくなります。納入先にも迷惑をかけます。それでも、入院して抗がん剤治療を受けることにしました」と北澤さん。顧客の歯科医院に事情を説明し、家族の協力を得て、00年1月から3カ月間、A総合病院に入院した。退院後は、外来通院で治療を続けた。抗がん剤の治療期間は14カ月間、36回にも及んだが寛解は得られなかった。

14カ月の治療中、医療費の自己負担は毎月7万円ほどかかった。副作用で体力と気力も徐々に低下し、仕事に集中できなくなった。歯科技工所の収入は減り続けて、治療前に比べてその収入は半分から3分の1にまで落ち込んだ。そこで、北澤さんは体力を必要としない仕事を探し求めた。チラシ配りと夜間警備のアルバイトを見つけ出した。チラシ配りは月2~3万円、週2~3回の夜間警備は月10万円ほど。2つのアルバイトで急減した歯科技工所の収入をカバーし、医療費と生活費を稼ぎ出した。

非ホジキンリンパ腫=リンパ球ががん化した病気で、日本人の悪性リンパ腫の90%以上を占める。30種類以上のタイプがある。非ホジキンリンパ腫とホジキンリンパ腫では治療の組み立て方が異なる

ホジキンリンパ腫の4期。重い治療費と保険料の負担

抗がん剤治療を終えてから半年後の01年9月頃、治療に不信を感じたため、セカンドオピニオンを受け、転院した。都心のがん専門のB病院で1週間の検査入院が必要になった。夜間警備は4人のスタッフで交替勤務中だった。そのため、北澤さんは警備会社に「検査入院のため休暇を取らせてください」と願い出た。退院後、診断書を見た担当者から「それならもう働いてもらわなくていい」と冷たく言われた。

結局、1週間の検査入院のために、月10万円の仕事を失った。さらに、検査ではホジキンリンパ腫の4期と確定診断された。つまり、A総合病院の診断は間違いで治療も適切ではなかった。「わずか1週間の検査入院と診断結果で、経済的にも精神的にもどん底に突き落とされました」と北澤さん。

しばらく無治療で経過観察した。モルヒネで痛みをおさえていたが、02年10月頃、腫瘍が拡大したため、2回目の抗がん剤治療を始めた。2回目の抗がん剤治療は9カ月間、16回を数えた。2週間に1回ペースで、自宅から都心のB病院に通った。片道約1時間、1回4~5時間の抗がん剤の点滴を受けた。毎回、吐き気やだるさに襲われ、気分が悪くなった。つらい治療だった。

毎月7万円ほどの治療費にも苦しんだ。国民健康保険・国民年金の保険料の負担も重かった。体力と気力はさらに衰えた。歯科技工の仕事はほとんどできなかった。「仕事に集中できる時間はわずか20分程度です。それ以上は続きません。休んでから仕事、また休んでから仕事という具合で、トータルでは休んでいる時間のほうがはるかに長いのです。休業に近い状態でした」と北澤さん。妻が働きに出て、家計を支え続けてくれた。

ホジキンリンパ腫=日本人の悪性リンパ腫の10%足らず。放射線と化学療法が中心。3~4期は4種類の抗がん剤を組み合わせたABVD療法が標準的治療。非ホジキンリンパ腫 に比べ、治療成績は良好

障害基礎年金2級の認定を受ける

収入の道が途絶えた北澤さんは、さまざまな社会保障制度に救済を求めた。医薬品副作用被害救済制度の給付を求めた。市役所、福祉事務所、社会保険事務所などにも相談した。仕事を求めて、ハローワーク、シルバー人材センターにも問い合わせた。しかし、期待できる回答はなかなか得られなかった。

唯一、障害基礎年金の受給に可能性を感じた。ある社会保険労務士の献身的な協力を得て、煩雑な書類を用意し、社会保険事務所に申請手続きをした。その結果、03年3月、障害基礎年金2級の状態と認定され、年間約80万円の支給が決まった。「年間80万円の障害基礎年金は生きる力になりました。ものすごく大きな支えになりました。がん患者にはお金が必要です。社会保障制度だけでなく、少しでも収入の得られる働く場所が必要です」と北澤さんは言う。障害基礎年金は05年3月まで2年間支給された。その後は、障害の状態が改善したとの理由で、支給停止になっている。

北澤さんは、障害基礎年金の支給を受けながら仕事を探し続けた。04年1月、自然の音を大切にしたコンサート活動をしている音響プランナー・高野昌昭さんが考案した素焼きの粘土細工「音のカーテン」に出合った。「く」の字をした小さな素焼きをつなぎ合わせたカーテンだ。触ると風鈴のような美しい音が出る。「私のようにがんで体力のなくなった患者でもできる」と北澤さんは思った。高野さんに願い出て、販売許可を得た。

そして、04年4月、がん患者の自立支援を目的とする会「とまり木」を設立。1日数分しか働けないがん患者でもその体力と気力に合わせて「1分給」でできる仕事を探し、収入を得ることをめざす。今年9月、同会をNPO法人にするために設立総会を開催。その活動を本格化させる。「残念ながら、私のように、障害者でも高齢者でもないがん患者は社会保障制度から見放され、就労の機会も奪われてしまう場合が少なくありません。この会ではそうした人たちの心身のケアを含めた自立の支援と経済的自立の支援をするために活動していきたいと思います」と北澤さんは抱負を語る。

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障害基礎年金
原則として、初めて医師にかかった日(初診日)に国民年金に加入中で、その病気・けがにより、初診日から1年6カ月後もしくはその期間内に治った日(障害認定日)に、1級または2級の障害の状態になったときに支給されます。また、被保険者であった人で初診日に60歳以上65歳未満で日本国内に住んでいれば受けられます。保険料の納付要件を満たしていることが必要です。年金額は、1級99万3100円、2級79万4500円です。

とまり木

がん患者の経済的自立の支援などを目的に04年4月発足。現在、NPO法人設立認証申請中。
代表・北澤幸雄
〒340-0005埼玉県草加市中根2丁目27-18  電話・FAX:048-936-8601


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