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仕事をしながら療養する
ベストの治療法をあきらめず選ぶことで命も仕事も両方勝ち取った
言葉によって、最新の治療を選べた。
結果的に仕事復帰も早まり、命も体
の機能も温存できた
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2000年2月 舌がん3期の診断。放射線の外部照射と抗がん剤の局所への注入、入院3~6カ月と提示される
元上司の進言「勤めながら治療できる時代。この治療法で本当によいのか」 ベストの治療法を探すことにする
3月2日 国立札幌病院でセカンドオピニオン
3月8日 入院、小線源放射線治療開始
入院期間3週間。職場の就業規則による病気休暇を取る。有給
退院後。帰宅3日後から出社
退院6カ月後、治療前と同等に仕事ができるようになった
舌がんで長期入院を提示される
独立行政法人・国民生活センターで消費者問題の調査や研究をしていた會田昭一郎さん(62)は、舌にできた小さな白い斑点が気になり、近所の総合病院耳鼻咽喉科でしばしば検査を受けてきた。斑点は徐々に大きくなり、白い腫れになった。担当医からは「腫れの表面がデコボコして突起が出たらすぐ来てください」と言われていた。
2000年2月、會田さんは舌にできた白い腫れが突然、デコボコのクレーター状に変化したことに気がついた。白斑ができてから約10年で4センチほどの腫れになっていた。診断の結果、3期の扁平上皮がんとわかった。担当医は「放射線を外部照射し、抗がん剤を患部へ注入します。強い副作用が予想されるため、3~6カ月の治療期間が必要です」と治療方針を説明した。
当時、次長の會田さんは込み入った仕事を任されていた。しかも年度末で大変な時期だった。一職員なら休暇もとりやすいが、立場上、簡単には休めない。仕事を続けるためには通院で治療を受けたかった。しかし、担当医から言い渡されたのは3~6カ月の長期入院だった。
次長を辞めるべきではないか、退職せざるを得ないかも知れない。最悪の事態も胸をよぎった。手術後、わずか半年ほどで亡くなった同僚の姿が思い浮かんだ。
「自分もあと半年の命かもしれない。最期をどこで迎えたらいいのか。世話をする妻のことを考えると自宅近くの病院のほうがいいかもしれないな」とも思った。
「勤めながら治療を」元上司の勧め
担当医の意見に従って、一応、その総合病院へ入院の手続きをすませたが、會田さんは職責を辞すべきか迷い、悩んでいた。そこで、會田さんはがん体験を持つ元上司に相談した。元上司は自分の体験を率直に話し、治療に関する資料を手渡してくれた。そして、「退職をするような話ではない。勤めながら治療できる時代である」と語り、「本当に今の病院、担当医の治療でよいのか」と問いかけた。その言葉で、會田さんは、改めて最適な治療の選択の重要性に気がついた。そこで入院までに残された1週間足らずの期間で、ベストの治療を探し出そうと試みた。元上司から借りた本と資料を読み、インターネットで国内・海外の舌がん治療に関する情報を集めて、検討した。その結果、次のような結論を導き出した。
ベストな治療に出合い、札幌へ飛ぶ
舌がんの国際的な標準的治療には*小線源放射線治療があり、かなり有効である。国立札幌病院・北海道地方がんセンターの西尾正道・放射線科医長が舌がんに対する小線源放射線治療の名手である。
「情報を集めているうちに、放射線治療への漠然とした怖さが消えていきました。そして、札幌の西尾さんの治療を受けるのがベストだと思いました」と會田さん。
しかし、札幌はいかにも遠かった。會田さんは札幌での治療に踏み切れないままだった。そんな會田さんの背中を押してくれたのが妻の一言だった。
3月2日朝の出勤前。妻がこう言った。「近所の総合病院でいいの? 後悔するわよ。西尾先生に一度お目にかかって、セカンドオピニオンを受けるべきよ」。會田さんはすぐに、国立札幌病院へ電話をかけた。幸運なことに、西尾さんにつながった。「今日来られるなら診てあげますよ」という言葉への驚きと喜びは忘れられないと言う。あわてて身支度をすませて札幌に飛んだ。夕方、會田さんは診察を受けた。
西尾さんは「根治を目指すには外科手術でがんを切除するか、小線源放射線治療のどちらかです。放射線の外部照射と抗がん剤の併用では治癒は望めません」と説明した。會田さんは迷わず、小線源放射線治療を選んだ。
*小線源放射線治療=放射線を出す物質(針状)を患部の組織内に刺して、正常組織への照射線量を減らしながら、がんへの線量を増やす治療法
6カ月の入院予定が3週間に
3月8日から小線源放射線治療を開始。舌縁の一部を削る外科処置も受けた。3~6カ月の入院予定がわずか3週間に短縮できた。放射線を頭部に照射するわけではないので脱毛もなく、幸い味覚障害などの副作用もなかった。辛かったのは舌の痛みだ。通常の組織内照射なら粘膜炎による軽い痛みは3週間程度で済むが、會田さんの場合、腫瘍の一部を切除したままの状態で照射したため、食べ物が削った舌縁に触れると鋭い痛みが走った。
3週間の入院期間は病気休暇(賃金支給)を用いた。病気休暇の間、職場では人員配置等の対応をしてくれた。
舌がんの場合、外科手術では術後の機能障害のため、会社を辞めてしまう人も多いようだ。しかし、小線源治療では機能は完全に温存される。會田さんは金曜日に退院、帰宅。月曜日から職場復帰。最初の2~3週間は体調と相談しながら少し遅く出社し、少し早く退社した。
大切なのは「生きること」
職場復帰後約3カ月で舌の痛みが消えた。6カ月後には治療前と同じように働くことができた。2年後の2002年3月、定年退職。2003年10月、こうした体験を生かし、社会貢献したいと「市民のためのがん治療の会」を設立、代表を務める。術後4年目の現在、転移・再発の兆候はない。
「私は近い病院で安易に治療法を選ぶところでしたが、幸い、元上司と妻の一言、西尾さんとの出会いによって最高の治療を選べました。サラリーマンは仕事や地位にこだわりがちです。しかし、命をもっと大切しなければ。治療選択を含めて生きることにもっと真剣になるべきだと思います」と會田さんは語る。
市民のためのがん治療の会
代表・會田昭一郎
〒186-0003 東京都国立市富士見台1-28-1-33-303 FAX:042-572-2564
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