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仕事をしながら療養する
積極的に公的な優遇制度を探して乗り切る
小野崎卓子さん(51歳)は、2006年11月、卵巣がんが見つかった。薬剤師として調剤薬局に勤務。ひとり親家庭で、2人の娘の子育て中だった。
健康保険の傷病手当金を利用。退職後は、別の調剤薬局にパート勤務。国民健康保険料の軽減、国民年金保険料の全額免除、ひとり親家庭への児童扶養手当、ひとり親家庭等医療費の助成、障害厚生年金などを利用。
自分から精密検査を頼み卵巣がんとわかる
小野崎さんは、スタッフ約10名のA調剤薬局に正社員で勤務。健康保険・厚生年金・雇用保険に加入。職場は中堅総合病院の近くで、なかなか忙しかった。
2006年春ごろから、吐き気や下痢、腹痛などの症状があった。B大学病院で超音波検査などを受ける。子宮内膜症で、卵巣内にできるチョコレート嚢胞といわれた。
同年10月ごろになっても腹痛があり、嫌な予感がした。医師に、自分から精密検査を頼んだ。「卵巣がんです。転移もあります。手術が必要になります」と言われた。がんの告知を受けたその場で、小野崎さん自らC大学病院への転院を決めた。
A調剤薬局の社長には、すぐに「がんといわれたので休みます」と伝えた。11月中旬から1カ月で体重が、10キロ激やせした。
2007年1月5日、C大学病院婦人科に入院。1月10日、子宮・卵巣全摘手術を受けた。リンパ節郭清もする予定だったが、子宮と大腸に癒着がひどかったために、執刀医は術後のQOL(生活の質)を考慮し、行わなかった。幸いその後の生検で、リンパ節からがん細胞は見つからなかった。ただ、肝臓に影が見つかった。がんかどうかはわからなかった。
その後の診断は1a期。治療は一般的には手術で終わるが、腫瘍マーカーの値が高かったため、手術をして2週間後に抗がん剤治療を開始。その後、退院した。退院後、1カ月に1回のペースで2泊3日の抗がん剤治療を3回受けた。吐き気はもちろん、全身の痛み、しびれに苦しんだ。
休業中は、年次有給扱いのあと、健康保険から所得保障の傷病手当金の支給を受けた。眠れない夜が続いた。そこで心療内科を受診。うつ病と診断された。傷病手当金は、卵巣がんで13カ月、その後、うつ病で18カ月、合計31カ月間支給された。
「傷病手当金の支給は経済的に助かりました」と小野崎さん。その間にも2008年4月、肝転移がわかり前回と同様に手術、その後パラプラチン*とタキソテール*の2剤併用の抗がん剤治療を始めた。
2009年3月、A調剤薬局を自己都合退職する。退職後、市役所に出かけた。健康保険・厚生年金から国民健康保険・国民年金への切り替え手続きをした。市役所の窓口で相談したところ、「国民健康保険料は2010年3月までの期間軽減、国民年金保険料は全額免除される制度がある」と説明を受け手続きを行った。
*パラプラチン=一般名カルボプラチン
*タキソテール=一般名ドセタキセル
福祉制度のわかりにくさを痛感
D調剤薬局の社長から声をかけてもらったことで、小野崎さんは少しずつ働き始めることにした。スタッフ4~5名。受付から、患者さんへの薬の説明、薬のお渡しまで、すべての業務をこなせるように、昼休みや日曜日などに仕事を任された。ゆっくりと体調は回復に向かい、仕事時間も増えていった。
ところが、2010年夏、大腸への転移がわかる。担当医から「抗がん剤治療と手術が必要です」と言われた。同年8月から治療開始。治療に入る前に春までの休職を願い出た。収入は途絶えた。
再々転移の疑いが出てきた頃、埼玉県北葛飾郡杉戸町周辺で活動中のがん患者会シャロームに参加。さまざまな情報を得た。その1つが障害年金のことだった。2010年11月に申請書を作成し、12月に提出。2011年3月下旬、障害厚生年金3級・月額約5万 4000円の支給が決定した。ところが、厚生年金保険の支給と同時に、それまで受けていた月額4万円強の児童扶養手当の支給が停止。
児童扶養手当は、児童扶養手当法によって、18歳まで(18歳になってから最初の3月31日まで)、児童を療育しているひとり親などに支給される。しかし、「年金の受給を受けると停止される」条項が付いていた。社会福祉制度の複雑さ、わかりにくさに直面したという。
「ひとり親家庭等医療費」に助けられながら仕事を続ける
制度を知るのに市役所が発行している広報誌は役立った。毎号、広報誌を欠かさず読み、自分に役立ちそうな情報を見つけたら、市役所に電話をかけて詳しく話を聞いた。手続きに行かないと、受けることのできないない優遇制度が幾つもあった。
例えば、治療費の支払いでは、ひとり親家庭等医療費の助成が役立った。病院・薬局などの窓口では、国民健康保険などの自己負担分の全額を払う。窓口で支払った領収書を申請用紙に添付して、市役所に提出する。病院は1回につき1000円まで自己負担するだけで、あとは銀行振り込みで払い戻される。小野崎さんは、毎年暮れに、市役所の窓口で手続きを続けている。
「この医療費の助成制度は非常に助かりました。A調剤薬局を退職後の外来通院や、2度の転移の治療のときも、すべてカバーできました」と小野崎さん。ただし、2人の子が18歳以上になると、この医療費の助成制度は受けられなくなる。「助成制度の対象にならなくなったあと、治療を続けていくことができるのかどうか、不安です」そのように小野崎さんは語る。
現在、小野崎さんは、週に10時間ほど働いている。定期的な検査のための通院は今後も欠かせない。体力も落ちたので、仕事をした日は疲れて家事もできない。
「朝ご飯も、お弁当も、子供たちが自分達で作って食べて学校へ行っています。横になっている時間も多いのが現状です。でも働ける場所があり、子供たちが支えてくれているので、仕事を続けながら生きていくことができる私は幸せだと思っています」と最後に小野崎さんはしみじみと話した。