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仕事をしながら療養する
傷病手当金をフル活用し職場復帰を果たす
伊瀬妙子さん(55)は、49歳のとき、右乳房に浸潤した乳管がんが見つかった。全摘手術後、抗がん剤・放射線療法を受けた。医療費は主に民間生命保険の補償でカバー。休業期間中は、健康保険の傷病手当金を利用。その後はパートタイム勤務として働く。
54歳のとき、今度は、左乳房に乳管がんの硬がんが見つかった。左乳房も全摘。約9カ月間の休業期間は傷病手当金で支えた。
乳がんにかかり、会社をおよそ8カ月休養することに
伊瀬妙子さんは、石油を仕入れて販売する会社に勤務。本店は白河市、郡山に販売店を持つ。スタッフ数は60名ほど。毎日、スタンドでの販売と、伝票の整理などに取り組む。
右側の乳房に異変があったのは2005年、49歳のときだ。入社4年前に離婚。入社9年のベテランで、2人の娘の子育て中だった。
毎年、会社の健康診断を受けていた。市内の病院外科でも診察を受けていた。2005年は、支店の異動などで多忙だった。健康診断をパス。福島県立医科大学の乳腺外科の医師が診察している市内の病院で検診を受けた。右乳房に異常が見つかった。浸潤した乳管がんで、すでに全摘手術を必要とする状態だった。
伊瀬さんは、主治医から治療内容や治療期間、治療による副作用などを冷静に聞いた。そして、会社の事務担当者に電話で申し出た。
「とりあえず入院期間の1カ月半は休ませてほしい」。会社側は、休養の申出を受け入れてくれた。
2005年4月、福島県立医大で右乳房の全摘手術をした。入院中に、1回目の抗がん剤治療を始めた。嘔吐や倦怠感など、副作用がひどかった。手足の指先の感覚がなくなった。仕事への影響があると思ったが、治療を優先しようと決めた。
「抗がん剤治療が終わるまで休ませてほしい」と会社側に伝えた。
2005年5月15日に退院。その後は、化学療法のため、1週間入院して抗がん剤治療。退院後、2週間自宅で静養した。1週間の入院と2週間の自宅静養を、10回繰り返した。抗がん剤治療と並行して、放射線治療も行った。
手術費や入院費は、かなりかかった。幸い、民間生命保険のがん保険に加入中で、女性疾患特約にも入っていた。手術費と入院費、抗がん剤治療の費用は、がん保険からの支払いでカバーできたという。
結局、8カ月間、会社を休んだ。その休業期間中、会社は、健康保険の傷病手当金の支払いを続けてくれた。
パート職として職場復帰後、東日本大震災を経験する
2005年12月16日、職場復帰した。支店長から「早く復帰してほしい」と懇願されたからだ。12月は、雪に備えて、タイヤ交換の時期で忙しくなる。郡山は寒い。風が冷たい。
通常、朝8時半から夕方5時半までの勤務だが、1カ月間は、午後1時から夕方5時半まで働いて、様子を見ることにした。体力は、かなり落ちていた。「正社員での勤務は無理かな」と判断した。職場復帰して1カ月後、朝8時半から夕方5時半までの時給のパート社員に切り替えた。健康保険・厚生年金・雇用保険の加入は続けた。収入は減った。
右乳房の全摘手術から5年目。2010年春の定期検診で、マンモグラフィを撮った。医師から「左乳房に気になるところがあります」と言われた。1週間後の再検査で、左乳房に直径6㎜の乳管がんの硬がんが見つかった。医師は「部分切除で大丈夫」と言ったが、伊瀬さんは、全摘手術を願い出た。「私は体質的にがんができやすい。全部取ってしまったほうが安心できる」と思った。
2010年3月、全摘手術のため2週間入院。手術後は、抗がん剤治療と放射線治療を行うことになった。休養を申し出ると、上司はかなり心配した。
1回目の乳がんのときと同じように、健康保険の傷病手当金が支給されたが、支給額は少なかった。民間のがん保険は使えなかった。高額療養費を利用。抗がん剤を使うと、強い倦怠感、口内炎、湿疹などの副作用がでた。耐えるしかなかった。
2010年11月、職場復帰。午後1時から5時半の体慣らし勤務を始めた。12月からは朝8時半から5時半まで働いた。2011年3月11日。昼食後、スタンドで仕事。用事で、セールスルームに入った瞬間、東日本大震災に見舞われた。大きな揺れが長時間続いた。落ちてくる物を抑えるのに必死だった。電源が切れたため、給油はストップ。手動で電源を切り替えたが、給油は停止した。店内の片付けをしたあと、店を閉めた。自宅に戻ってからは自宅点検をした。
福島の復興にお役立ちするためにも、少しでも早く元気になりたい
伊瀬さんは、東日本大震災のころ、左乳房の手術後1年目の年次検査を予定していた。しかし、震災の影響で福島県立医大病院は、緊急患者受け入れの指定病院になっていた。一般外来に、何度も電話で問い合わせたが通じなかった。
2~3週間後、知り合いから、乳腺外来を始めたと伝え聞いた。電話をすると「すぐに来てください」といわれた。2011年4月初め、年次検診を受けた。3カ月検診のメニューの血液、エコー、触診にプラスして、骨シンチ、レントゲン、CTもした。幸い、異常なし。必要な薬は、院内処方をしてくれた。
東日本大震災が起きてから1年後、伊瀬さんは左乳房の手術後2年目の年次検査を迎えた。2012年3月14日、2年目の検診も異常なし。手術後の経過は順調である。伊瀬さんは、自分自身の病気の復調と福島の復興を重ねる。
「福島はフルーツ王国です。桃、りんごなどがおいしい。県内には、魅力的な温泉地、温泉旅館もたくさんあります。少しでも早く体力を回復して、全国から来られた方々のよい旅、思い出づくりに役立ちたい」と伊瀬さんは明るい表情で語った。
キーワード 傷病手当金
患者会「ピンクのリボン」
福島県立医大病院に入院していた乳がん患者たちが中心となり、「退院後も親睦を深め、励まし合える関係を続けていきたい」との思いから2002年に結成。乳がん患者42名、甲状腺患者4名。年1回、温泉ツアーと昼食会で交流を図る。会長・高橋厚子氏。