鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

あるがままを受け入れて、今一瞬を精一杯生きるだけ 杉原美津子 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成/江口 敏
発行:2014年12月
更新:2018年8月

  

新宿西口バス放火事件―数奇な運命を生き抜き、いま末期の肝がんに向き合うノンフィクション作家の夢

1980年8月に起きた新宿西口バス放火事件。6人のバス乗客が犠牲となった、衝撃的な無差別殺人事件だった。事件で80%の大火傷を負った杉原美津子さんは、非加熱製剤を使った治療でC型肝炎に感染し、現在、末期の肝がんの闘病中だ。2014年7月『炎を越えてー新宿西口バス放火事件後三十四年の軌跡』(文藝春秋)を出版。事件を越えてきた34年間を包み隠さずに綴った杉原さんに、鎌田 實さんが聞いた。

杉原美津子さん「私は死ぬぎりぎりまで輝いていたい(笑)。死がすぐそこに来ていても、夢がいっぱい」

すぎはら みつこ
1944年生まれ。1980年8月、新宿西口バス放火事件に遭い、全身80%の火傷を負う。その治療に使われた非加熱製剤でC型肝炎に感染し、2009年、肝臓がんを宣告される。事件後、「加害者だけに責任があっただろうか」と自問自答を続け、無期懲役の判決を受けた加害者にも面会した。著書に、事件後間もない時期に心境を綴った『生きてみたい、もう一度』(文藝春秋)がある。2014年2月放映のNHKスペシャル『聞いてほしい 心の叫びを~バス放火事件 被害者の34年~』に出演し、大きな反響を呼んだ
鎌田 實さん「杉原さんは、1日1日を大事に、丁寧に生きているんだね」

かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、高齢者への24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数

バス放火事件の火傷治療で C型肝炎から肝がんに

鎌田 杉原さんの著書を読ませていただきました。感動的な本ですね。

杉原 ありがとうございます。

鎌田 事件直後の救命手術の輸血でC型肝炎に感染し、それが原因で現在、肝がんと闘っておられるわけですが、病状はいかがですか。

杉原 2009年夏に、初めて肝がんを宣告され、その後「余命半年」と診断されてきました。現在、腫瘍マーカーの数値は1万7000に達して「末期」と診断されました。

鎌田 AFP(α-フェトプロテイン)というマーカーですね。それが1万を超えてる。

杉原 その割にはGOT、GPTの数値は低いんです。

鎌田 残っている肝臓の機能が非常にいい状態なんでしょうね。

杉原 私の肝臓は、もともととてもよかったのではないかとお医者さんから言われました。C型肝炎にならなかったら肝がんにもならなかっただろうとも。

鎌田 C型肝炎ウィルスが陽性だということは、いつ言われたんですか。

杉原 12年ほど前です。

鎌田 感染したのは34年前の新宿西口バス放火事件がきっかけですね。80%の火傷を負い、10数回皮膚移植を行った。そのときに人間の血液から採った血漿成分を輸血したが、C型肝炎のチェックが甘いものだったために、感染してしまった。普通なら、とんでもないことだと怒り、不運を嘆くところですが、杉原さんはそうは書いていない。

杉原 私がC型肝炎から肝がんに至ったことと、加害者のMさんがバス放火事件を起こしたことは、私の意識のなかでは1つにはならない。たしかに私はあの事件に遭わなければ、こうはならなかったと思うけど。それにC型肝炎になったからといって、必ず肝がんになるとは限りませんよね。また、私が肝がんにならないよう養生したかといえば、やってない。無理をすると免疫力が落ち、身体に悪いことを知りながら、体力の限界ぎりぎりまで本も書いてきました。そうして、末期まで来てしまったのです。この全部の責任をMさんに押し付けることはできない。

鎌田 すごいねぇ!どうしてそう考えられるんだろう。本の中で、C型肝炎から肝がんになったことを含めて、「自業自得」という言葉を使ってますね。

杉原 自分にも責任の一端はあると今でも思う。そもそも炎の前でバスから逃げようとしたとき、足がすくんで逃げられなかった。あのときそのまま咄嗟に逃げていたら、80%もの火傷にならなくて済んだと思うんです。もう1つ。バスの外に転がり出て群衆の中に飛び込んで体の炎を消してと叫んでも、みんな私を避けるようにして道を開けただけで、燃え盛るバスに夢中で、助けてくれる人はいなかった。これが人間なんだという、根強い人間不信がこびりついてしまった。

犯人だけの責任ではない 私にも責任がある

鎌田 しかし、バス放火事件がなければC型肝炎にならなかったとは考えませんか。

杉原 あのとき国は非加熱製剤を認めていたけれど、当時すでにアメリカでは非加熱製剤を疑問視する声がありましたね。それを、国が認めているからといって、何ら疑問を持つことなく使用したお医者さんにも責任はあったのではないか。でも私には国を訴える気はない。国を訴えたら、それは国民全体の責任を問うことになります。

鎌田 日本では経営の論理で非加熱製剤の在庫が捌けるまでという計算が働いた可能性がある。非加熱製剤の危険性が指摘されていながら、ある期間、使われ続けてしまって、HIVやC型肝炎を誘発する結果となりました。私は医師の端くれとして忸怩たる思いでした。

杉原 国が認めていたから自分には責任がないというお医者さんもいますが、それは科学者のやることではない。だから私は、私の身に起きたすべての責任を、Mさんだけに押し付けるのは間違いだと思うのです。もちろんMさんの行為は悪い。しかし、私自身を含めて責任を分担すべき部分があるんです。

鎌田 杉原さんは、初めからMさんを悪い人だとは思えなかったような感じですね。

杉原 私、病院に運ばれるまで、バスの燃料が爆発した事故だと思っていたんです。病院に運ばれた翌朝、放火した犯人がいると知ったんですが、生死の境をさまよっているときですから、憎しみの感情が湧いたかどうか明確ではありません。絶対悪い奴に違いないから、新聞やテレビで報じられても無視してやろう、と思ったことは覚えています。

ところが事件の翌年、全身の傷がふさがった頃、初公判が始まって、Mさんの半生をテレビが取り上げたんです。それを見たとき、私、加害者はこんなにもかわいそうな人だったのかと、かわいそうで、入院して初めて泣きました。赤ちゃんのときに母親に死なれ、飲んだくれの父親に育てられたと聞きましたが、彼には守ってくれる人がいなかった。

鎌田 実質、小学校4年生ぐらいまでしか、学校に行っていなかったようですね。

杉原 周りから馬鹿にされながら、父親が亡くなった後も、極貧の中で何とか生きてきたんです。私より2歳上ですが、私だってあの人と同じ境遇に置かれたら、同じようなことを起こさないと言い切れる自信はないと思ったんです。

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