鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談
たとえがんであっても生きてさえいればいい 並木秀之 × 鎌田 實
先天性脊髄分裂症の身で5つのがんを克服した元ファンドマネジャーの壮絶人生
生まれつきの脊髄分裂症で、排泄に不自由する身でありながら、5つのがんを乗り越え、ファンドマネジャーとして活躍してきた、並木秀之さん。一時は資産38億の経営者となったかと思えば、一時は生活保護を受けたことも。その壮絶な生きざまを事も無げに語る並木さんに、鎌田實さんが迫った。
1953年、埼玉県生まれ。米国投資ファンド最高顧問。先天性の脊髄分裂症を持ち、生まれつき下半身がままならない。大東文化大学卒業後、会計事務所勤務を経て、35歳で破綻企業の整理を担当する会社を設立し、100社以上の破綻処理に携わる。35歳からがんを5度発症。会社清算後、生活保護を受けるがシティバンクから誘いがあり入社。同社勤務を経て、現職。著書に『死ぬな――生きていればなんとかなる』(新潮新書)がある
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、高齢者への24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数
先天性の脊髄分裂症で 子どもの頃から病院通い
鎌田 並木さんは脊髄分裂症という先天性の病気で、子どもの頃からいろいろ苦労されてきたんですね。歩行障害があって、下半身が自由ではないため、大便やおしっこが意識的にコントロールが効かず、高校進学を機にコントロールする必要に迫られカテーテルを入れられましたね。思春期にはつらい思いをされたようですね。
並木 おもらししないで家まで帰ることが、子ども時代の心の大半を占めていました。きょう鎌田先生に会うという場合も、朝方、下痢が出きらないと、先生の前で粗相でもしたらどうしようと悩みます。そういう精神的なつらさは今でもありますね。
鎌田 並木さんの人生は病気との付き合いの連続ですが、子どもの頃に受けた脊髄分裂症の治療について、何か憶えてますか。
並木 月に1回だったか2カ月に1回だったか、母に連れられて熊谷から東京の病院に通い、棒のようなものを脊髄に入れられて、刺激を受けるような治療を受けたことを憶えています。その治療が痛かったものですから、熊谷から高崎線で東京まで出るのが、とてもイヤだったんです。しかし、母に「上野で美味しいものを食べさせてあげるから」と言われ、それを楽しみに定期的に病院に通いました。
鎌田 その後、35歳のとき膀胱がんになったのを皮切りに、さまざまながんを体験されていますね。初めてがんと言われたときはショックだったでしょう。
並木 膀胱がんは手術が終わってから、がんだったことを知らされましたから、怖さはそれほどなかったですね。ただ、膀胱がんになる前は、膀胱にカテーテルを入れていましたが、膀胱がんの手術で膀胱を取ってしまいましたので、その後は腎臓にカテーテルを入れています。そのために1週間に最低一度は病院に通っています。
右の腎臓には尿管からカテーテルを入れていますが、左のほうはもう尿管が使えなくなり、背中から入れています。また、膀胱がんの手術のあと、腎盂炎になり、その後、敗血症と言われました。1年目は7回、2年目は6回、入院しました。1回入院すると2~3週間、出てこれません。そういう状態が5年ほど続き、「病院とお友だち」状態でした。
鎌田 カテーテルから雑菌が入り、腎盂炎から敗血症になり、何度も入退院を繰り返したんだ。膀胱がんの後になったがんは?
並木 肝がん、皮膚がん……。
鎌田 皮膚がんの場所はどこでしたか。
並木 黒いマーカーのようなものが、背中だったか、足の裏だったかにできて、そのあと手にできました。背中のがんはぐちゅぐちゅになり、手術で取りました。自分では見えませんが、背中に穴があいたような感じになりました。
5つのがんより苦しかった インターフェロンのうつ病
鎌田 並木さんの『死ぬな――生きていれば何とかなる』(新潮新書)には、ご自身が絶望的な状況にあるのに、死にたいと思っているような人に会うと、何とか生きてほしいと思って、腎臓に入っているカテーテルを見せたりした、と書かれていますね。
並木 たしかに見せたことは何度かあります。ただ、その相手はバブル崩壊で多額の借金を背負って、「生きる、死ぬ」の話になった人たちでした。
鎌田 なるほど。借金まみれになって、死ぬしかないと思っている人たちを救おうと、「俺だって……」と、カテーテルを見せたんだ。その人たちは、今生きてますか。
並木 はい。その人たちは、私でなくとも、誰かが「死ぬな」と言ってくれるのを待っていたのかも知れません。私でなくても、引き留めることはできたかも知れません。しかし、私が「死ぬな」と引き留めた方で、亡くなった方はいません。
鎌田 皮膚がんのあとに前立腺がんをやり、40歳のとき、白血病になったんですね。
並木 敗血症とか白血病とか言われても、どういう病気かよくわかりませんし、子どものときから病気はお医者さん任せでしたから、先生にお任せするしかありませんでした。
鎌田 5つのがんを体験されて、どのがんがいちばんつらかったですか。
並木 正直なことを言えば、子どもの頃から下のことを処理する苦しさを体験してきていますから、それほどの苦しみはなかったです。ただ、肝がんのとき、C型肝炎でインターフェロンを打って、うつ病になったんです。
鎌田 副作用でうつ病になるんですよね。子どもの頃から先天性の重い病にかかっていながら、明るく、友だちづきあいも上手くやってきた、並木さんのようなセルフコントロールの利く人でも、うつ病になるんだね。
並木 がんとの闘病より、うつ病のほうがつらかったような気がします。
鎌田 そうだろうなぁ。並木さんらしいな。
並木 ただ、どんなつらいことでも、時が経つと忘れるんですね。事象としては憶えていますが、そのときの苦しみを自分の中でリアルに再現することができなくなるんです。
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