鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談
エッセイスト・山口ミルコさん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實
絶望が希望を連れてやって来た
会社に辞表を出したと同時に右胸に痛みが……敏腕編集者を襲った乳がんとの闘い
やまぐち みるこ
1965年、東京都生まれ。角川書店雑誌編集部を経て、1994年、幻冬舎へ。プロデューサー、編集者として、文芸から芸能まで、幅広い分野の書籍を担当し、数々のベストセラーを世に送った。2009年3月に幻冬舎を退社し、フリーランスに。ほぼ同時に乳がんを発症、温存手術を受けた。今年2月、ミシマ社よりがん闘病記『毛のない生活』を刊行した
かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、高齢者への24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数
幻冬舎時代、五木寛之さんの『大河の一滴』など多くのベストセラーを担当し、敏腕女性編集者と言われた山口ミルコさんは、09年に幻冬舎を退社してすぐ、乳がんの手術を受けた。今年初め、その闘病記『毛のない生活』(ミシマ社)を発表した。簡潔なタイトル、文体で多くの読者の心をつかむ鎌田實さんが会社員からライターに転じた山口ミルコさんの心境に迫った――。
鎌田 「絶望の中から希望の芽を見つけられる人が、再生していけるのでしょうね」
山口 「毛も身体も強くなり、人間もちょっぴり成長しました(笑)」
『毛のない生活』いいタイトルだ
鎌田 山口さんは編集者を20年勤めたということですね。
山口 はい。最初の5年間は角川書店で、その後、見城徹さんが角川書店を辞めて、幻冬舎を立ち上げられたので、そこで15年間、編集者として働きました。
鎌田 多くのベストセラーを担当されたようですが、3年前に幻冬舎を辞められた。疲れたんですか。
山口 いや、自分は仕事に愛を持って張り切っていたんですが、それが何か受け止められない感覚というか、失恋みたいな気分になる出来事があって、もういいかなと……。それと同時ぐらいに身体の具合も悪くなりましたね。
鎌田 それがいくつのとき?
山口 43歳のときですね。
鎌田 この不況のときに、会社を辞めるって、すごい決断が要ったでしょう。
山口 そうですねぇ……、それでもイヤだったんです。
鎌田 『毛のない生活』。いいタイトルだ。ぼくなんて、自分が毛がないので、どんな話なのかと……買ってしまった。これを読むと、バリバリ仕事をしていた当時は、ベルサーチを着ていたとか(笑)。
山口 いやぁー、今はブカブカになっちゃって(笑)、もう似合わない。たぶん一瞬だったと思いますが、似合っていた時期はあったと思います。
鎌田 会社を辞めるときは、まさか自分にがんがあるとは思わなかった?
山口 辞めよう、辞めようと、考えに考えて、辞表を出したと同時に、痛みが出てきましたね。
鎌田 辞めると同時に、何か症状を感じたんだ。
山口 辞表を出すと同時ぐらいに、右胸の上のほうがズキンズキン痛み出して……。しこりは前からあったんですが、「しばらく様子を見ましょう」と言われていたんです。
鎌田 そういう状況なら、ふつう、辞める前に精密検査をすると思うんですけど、いい度胸というか、いい性格というか(笑)。
山口 私って、うっかりしているんですね(笑)
乳がんを告知されたがしばらく放置した理由
鎌田 で、辞表を出してから検査に行った。
山口 痛かったので、これはまずいと思って、2~3軒クリニックを回りましたが、先生が信じられなかったりして、最後は国際医療福祉大学三田病院にお世話になりました。
鎌田 どういう部分が信じられなかったの。
山口 病状の説明より先にお金のことを言われたりして……。
鎌田 お金のこと?
山口 検査代が思った以上に高く、持ち合わせでは足りなかったんです。それで振り込みでお願いすると、いい顔をされなくて……。
何だか「お金!お金!」って言われている感じがしたんです。そのクリニックでは、「すでに脇に転移してますよ」と言われましたが、信じられなくて放っておきました。告知された上に、ほんとに、悲しい気持ちになって、調べるのはもうやめようと思いましたね、気持ちが落ちるから。
鎌田 そこで放ってしまうのが、すごいねぇ。ふつうだったら、すぐ次の病院へ行くよね。怖かった?
山口 1回、見ないようにしてみたんですよね。がんではないことにしようと。真っ直ぐ歩けないような動揺がありましたから。ところが、一緒にバンドをやっている医師から、「ちゃんと調べようよ」と言われ、その医師の勤める病院で精密検査をしてもらい、救われました。その後、その病院には乳腺科がないので、三田病院へ行くと、「即手術です。放射線も抗がん剤もやります」と言われました。
鎌田 腋下のリンパ節に転移があったんですね。放射線治療は手術後でしたか。
山口 そうです。手術は乳房温存手術で、骨も残っていますから、今は鏡で見ても以前と変わりませんね。腋下のリンパ節転移はザックリ取りました。こちらは切除部分が腫れて、つらかったですね。
鎌田 このままずっと細くならないのでは、と思った?
山口 思いましたね。でも、今はこんなに細くなっていますので、治ったんでしょうね。
鎌田 サックスやフルートを演奏されるようですが、支障はありませんか?
山口 最初はありましたが、常に指を動かす訓練をしたりして、強引に復帰をしました。それが良かったのか、気がついたらふつうに吹けるようになっていました。
鎌田 本には、以前よりいい音が出るようになったと(笑)。
山口 あれ、何かすごく上手くなったんじゃないかな、という感覚がありましたね(笑)。
がんになって気づいた編集向きではないこと
鎌田 会社を辞めた理由のひとつには、音楽がやりたいということもあったんですか。
山口 具体的には考えていなかったんですが、会社を辞めたことによって、新しい世界がパァーッと広がりましたね。自分で文章を書かせていただいたり、演奏をする機会ができたり、自分のやることの幅がすごく広がりました。今は、ほんとに辞めて良かったと思っています。
鎌田 それまでは他人の本を企画・編集し、世に出す仕事をしていたわけですが、まさか自分が書くようになるとは思っていなかった?
山口 いや、書くことは好きで、ずっと自分で書いていました。ただ、編集の仕事と書くことは違いますね。
編集の仕事は、いろんなことが並行してできないとダメだと思います。作家など表現者の旬のものを、タイミング良くガツッと取るために、その人の売れない時期も長く付き合うとか、いろんな人との関係を綿々と積み重ねていくことで成り立つのが、編集の仕事なんです。その醍醐味は味わいました。ある意味、編集者は「種を蒔く人」ですね。
それに比べて、書く仕事は自分の内面にグッと入っていかなければなりません。ですから私は、自分は編集向きの人間だと思っていました。でも、病気になって、自分は編集に向いていなかったのではないか、と思うようになったんです。もともと暗い人間ですし(笑)。何か子どもに返っていくようなと言いますか、自分の本質に立ち帰るような感覚があって、そう思ったんです。
鎌田 さっきから気になるんだけど、その手に持っている本は何?
山口 鎌田さんの本(『ニッポンを幸せにする会社あってよかった!応援したい』)です。私が病気で実家に帰って考えていたことは、まさにこの本のようなことなんですよ。これからの経済のこととか、日本は世界とどうつながっていくかとか……。
鎌田 そんなこと、考えてた!
山口 暇ですから(笑)。そんなことを考えながら、この本を読んでいたら、涙なくして読めなかったです。こんなに日本を幸せにする温かい会社があることを知って、希望を感じました。日本の資本主義を地道に支えている企業の話を、こんなにしなやかな文章で、ほのぼのと読ませていただけるなんて、鎌田さんはほんとに文章がお上手です。
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