鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談
キャンサー・ソリューションズ(株)代表取締役社長・桜井なおみさん 同・イベント/プランニング担当・髙橋みどりさん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

撮影:板橋雄一
発行:2012年6月
更新:2013年8月

  

がん患者さんの就労問題の改善に情熱を燃やす
がんになっても社会とつながっていることが大切だと思います

さくらい なおみ
1967年東京生まれNPO法人HOPEプロジェクト理事長、一般社団法人CSRプロジェクト理事長、キャンサー・ソリューションズ(株)代表取締役、産業カウンセラー。37歳で乳がんと診断される。その後、自らのがん経験や社会体験から小児がん経験者や働き盛りのがん経験者支援の必要性を感じ、05年からがん経験者・家族支援活動を開始。設立1年後を契機にNPO法人化、現在に至る

たかはし みどり
外資系金融機関で30数年間、金融業務に携わる。仕事と両親の遠距離介護に追われるなか、2007年8月、検診で乳がんが発覚。10年4月キャンサー・ソリューソンズ(株)入社、11年一般社団法人CSRプロジェクト理事に就任。がん体験者の就労問題を社会に問うべく活動中

鎌田實さん

かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数


2人に1人ががんになる時代だが、がんで会社を辞めることになったり、就職できないという問題が表面化している。
乳がん患者の桜井なおみさんは、弱者を切り捨てる日本の企業社会を変革すべく、会社事業をスタート。
桜井さんをサポートするのは、同じ乳がんを経験した髙橋みどりさん。ふたりに鎌田實さんが「がんと就労」問題の現実を質した――。

鎌田  「がん患者さんの場合、働く場所は周りの人や社会がつくってあげることが大切」

髙橋  「御世話した方々の笑顔に接するのがいちばんの励みになります」

桜井  「病気を持ちながらも働くことができる会社が日本中に広がらなくては」

何の知識もないままに集束超音波手術を受けた

鎌田  髙橋さんが乳がんになったのは、いつでしたか。

髙橋  2007年の8月に告知を受け、手術をしたのが9月でした。

鎌田  そのときお仕事はどうされたんですか。

髙橋  もともとは外資系の金融機関に勤め、審査部の責任者でしたが、2006年に母の介護をするために退職したんです。ところが、母は私の退職の1カ月後に亡くなってしまいました。それで、何もしないでいたら、同じ会社から証券会社を現地化するので監査役として来てくれないかと誘いを受けて、また勤めたのです。役員ですので、時間的なしばりがなく自由でした。

鎌田  その証券会社の監査役をやっていたときに、乳がんになったんですね。どんな経過で見つかったんですか。

髙橋  私は毎年、検診を受けていたんですが、それまでは1度も引っ掛かったことはなかったのです。でも、その年に受けた超音波検査が40分ほどかかりました。何かあるのかなと思って訊いてみたら、技師の方から「ちょっとおかしいから、精密検査になりますよ」って言われました。そのあと細胞診など諸々の検査を受けたところ、5㎜ぐらいの小さな硬がんが見つかりました。

鎌田  そのときはショックだった?

髙橋  実はそのとき父が危篤だったんです。前年に母を看取り、今度は父を看取るというような状況だったものですから、頭の中が半ば介護うつみたいな状態でした。自分の体のことよりも、父の葬儀をどうしようとか、そういうことばかり考えていたために、病気と向き合う時間的な余裕はありませんでした。それが逆に良かったのかも知れませんけれど……。先生に言われるままに、淡々と日々を過ごしていたような感じでしたね。

鎌田  今にして思えば、先生から言われるままに流れ作業的に日々を過ごしたことに、内心忸怩たる思いがあるんですか。

髙橋  手術を受けたあとで、がんについていろいろ学ぶことがあるじゃないですか。その中で、標準治療のこととか、がんは切っても終わりではない、といったことを知るわけですね。私は治療法の知識がまったくないままに、とにかく切りたくないということで、超音波手術を選んでしまいました。

鎌田  最新医療だから良さそうだと思い込んだ。

髙橋  そうです。ですから、病院も宮崎まで行かなくてはならなかったわけです。

鎌田  今でも行ってるよね。

髙橋  1年に1回、MRIを撮りに行きます。

乳がんの手術後考えた私の人生これでいいのか

鎌田  MRIを撮るだけに宮崎まで! 大変だね。

髙橋  切っていないだけに、局所再発の可能性が高いので、「MRIだけはきちんとやってくださいよ」と言われているんです。撮るんだったら、データがきちんと残っている病院でと今の主治医からもすすめられて。ただ、今もし、初めて乳がんだと言われたら、超音波手術を選ぶかどうか、ちょっと悩みますね。

鎌田  先ほど、ご両親に対する介護疲れもあって、自分の乳がんときちんと向き合うことがなかったと言われましたね。

髙橋  乳がんのことを考えたくなかったんですね。母と父を相次いで看取るということが、私にとってあまりにもショックだったんです。とくに、遠距離で介護はしましたが、在宅で介護ができなかったことに対して、ものすごい罪悪感がありました。それで、自分ががんになったとき、救われた気がしました。これだけ自分も体を痛めつけたんだから、十分介護をしたよね、という気持ちです。今から考えれば、すごく屈折しているんですが、そういう思いがあって、自分のがんと真剣に向き合えなかったのです。

鎌田  その後、髙橋さんは桜井さんが立ち上げたキャンサー・ソリューションズ株式会社(以下キャンソル)に入社された。

髙橋  2009年に証券会社の監査役を辞めて、さてこれから何をやろうかなと考えました。私は職場に恵まれていて、それまでがんを隠す必要はなかったし、会社の人にも「検診を受けましょう」とか、いろいろアドバイスしていました。では日本の企業社会の現実はどうかと言えば、がん患者さんが非常に大変な思いをされているわけです。何とかしたいと考えているときに、桜井さんの存在を知り、手伝いたいと申し出たのです。

鎌田  キャンソルは株式会社ですから、ボランティアではなく、社員ですか。

髙橋  最初はアルバイトで週2~3日でしたが、だんだん深みにはまって、今は契約社員として毎日出社しています(笑)。いろんな仕事を担当していますから、アタマの切り替えが大変ですが、がん体験者の方々の仕事をつくることと、支援していくことが2本柱です。お世話をした方々の笑顔に接するのが、いちばんの励みになりますね。

鎌田  髙橋さんの場合、悠々自適の生活もできるはずなのに、キャンソルのお手伝いをされている。そこに何か大きな意味を見いだしたわけですね。

髙橋  私が働いていた金融の世界は、他人様のおカネで儲けてナンボの世界です。そういう世界に長年いて、乳がんの手術も経験したとき、「私の人生、これでいいのかな?」という気持ちになったんです。それで、いろんなボランティアをしたいと思ったんですが、そのとっかかりとして、がん体験者の方々を就労面からサポートする、この仕事を選んだという感じです。

人生のピンチに立っても仕事のある人は強い

鎌田  がん患者さんの就労問題は大変なようですね。

髙橋  先日もサポート・グループの集まりがあったんですが、6人のがん患者さんが出席されました。その中に、40代の肺がんの男性がいらっしゃいました。前の週に再就職が決まったと言われたので、全員、拍手喝采でした。その男性は家庭を支える責任がありますが、世の中不況で、正社員としての働き口を見つけるのが、なかなか難しいうえに、足に痺れがあって、再就職に苦労されていました。やっと仕事が決まったのです。

桜井  その集まりは月に1回やっていますが、その男性は前の月にも参加され、会社の合併に伴って半年前に解雇されたということでした。ですから、失業保険と傷病休暇で1年半ぐらい、働かなくても暮らせる状態でした。でも私たちのほうで、「あまりブランクを長く取ると、正社員としては仕事に戻れなくなりますよ。今だったら半年間休んだという理由も明確ですから、就職活動したほうがいいですよ」とアドバイスしたんです。

鎌田  働くというのは大事なことですよね。大震災の被災者の仕事も同じです。20世紀を代表する精神分析学者・精神科医のフロイトが、「人間が死ぬほど困難な状況に陥ったときに、生き抜くために大事なものが2つある。働く場があることと、愛する人がいることだ」と言っています。がん患者さんの場合、働く場は周りの人や社会がつくってあげることが大切ですね。
私は福島や他の被災地に何回も足を運んで、多くの被災者の方々の悲惨な状況を目の当たりにしていますが、それでもまだ働いている人たちは圧倒的に精神状態がいい。がん患者さんも同じで、がんと闘うためには心が健康であるかどうかが重要ですが、それは仕事に就けているかどうかが大きいと思います。

桜井  がん患者さんたちみんなに訊くんです。「生きるとはどういうこと?」って。すると、「人の役に立つこと」って答える方が非常に多いんです。それって、収入の多い少ないではなく、社会とつながっていることが大事だ、ということだと思うんです。がんになった時点で、自分は社会と切り離された負け組なんだと思ったところに、仕事を失ってしまうと、もう自分が社会から必要とされない人間だと思ってしまうんです。そうじゃないということを、自分でまたつかみ戻さないといけないんです。

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