鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談
弁護士・日隅一雄さん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

撮影:板橋雄一
発行:2012年5月
更新:2013年8月

  

胆嚢がんで「余命半年」と告知されながら原発事故の検証作業に取組む弁護士の壮絶な生きざま
最後まであきらめず、がんと向き合っていこう

日隅一雄さん

ひずみ かずお
1963年、広島県生まれ。1987年、京都大学法学部卒業。産経新聞記者、塾講師を経て、1998年、弁護士登録。2007年、「News for the People in Japan」立ち上げ。著書に『マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか』『審議会革命―英国の公職任命コミッショナー制度に学ぶ』(翻訳)などのほか、今年1月、原発事故後の東電での記者会見を記録した『検証福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか』(木野龍逸氏と共著)を上梓。近著に「『主権者』は誰か 原発事故から考える」(岩波書店刊)がある

鎌田實さん

かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、高齢者への24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数


福島第一原発事故後、毎日開かれていた東京電力本社内の記者会見場に、厳しい質問を浴びせる人がいて、注目を浴びた。弁護士の日隅一雄さんである。日隅さんはまったくフリーな立場から政府・東電の事故対応を追及している。昨年5月に胆嚢がんが見つかり、「余命半年」を宣告された日隅さんを都内の病院に訪ね、鎌田實さんがその痛切な思いを聞いた。

鎌田  「一銭の得にもならないことに突き進んでいったのは、義憤ですか」

日隅  「原発事故の情報の出し方はがんの余命告知に似ています」

精密検査を受けた直後に余命6カ月を宣告された

鎌田  私は内科の医師ですが、チェルノブイリに96回医師団を派遣して、医療支援を続けてきたので、日隅さんが木野龍逸さんと共著で出された『検証福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか』(岩波書店)を興味深く読ませていただきました。日隅さんは昨年5月に末期の胆嚢がんが見つかり、余命6カ月と宣告されて以来、がんと闘いながら、まさに命懸けで原発事故の検証作業に取り組んでこられたわけですが、まず、がんのお話からうかがいます。去年の4月頃から症状が出たそうですね。

日隅  下痢が続き、病院にも2回行きましたが、治らなかった。5月になると、こんどは便が出なくなったんです。下痢をしているのに出なくなるのは、さすがにおかしいと思って、もう1度病院へ行ったところ、こんどはベテランのドクターが診察し、触診されました。そこである程度わかったのでしょう。「エコーを撮ったほうがいいよ」と言われました。それでその日すぐにエコーを撮ってもらったところ、「胆嚢に数㎜であるべきものが、数㎝になっています」と言われ、「ああ、これは腫瘍なんだな」と思いました。「悪性ですか」と聞いたら、医師はうなずき、「早くCTをやったほうがいい」と。

鎌田  それで精密検査をした。

日隅  翌々日の5月25日にCTスキャン、直腸カメラなどの検査を受けました。そして外科のドクターから、胆嚢がんであること、余命は半年ぐらいであること、手術も放射線治療もできないこと、化学療法が効けば余命は1年ぐらいであること、抗がん剤が効く確率は2~3割であること、大腸の狭窄が悪化して詰まってしまうと死期はもっと早まること――といった説明を淡々と受けました。私としては、前々日に悪性だとわかった時点で、自分はまだ若いし、がんの進行も早いだろうなと思って、もしかしたら2~3カ月の余命かなと、覚悟はしていました。

鎌田  私は『言葉で治療する』(朝日新聞出版)という本を出していますが、日頃から医療の世界は言葉がうまく使われていないと感じています。日隅さんも精密検査のあと、思いのほか厳しい話を聞かされていますね。

日隅  それは私が事前にドクターに、「ひとり者ですし、近くには身内がいない。私しか告知を受ける者がいない」という話をしたからです。

鎌田  なるほど。それでドクターは1回目に、予後の可能性まで本人に告知したわけだ。それを日隅さんは淡々と受け止めたわけですね。

日隅  私としては早く告知していただいて助かりました。予後が短いわけですから、早く告知していただければ、それだけいろんな準備ができますから。

新聞記者を辞めたあと塾講師を経て弁護士に

日隅さんの凄まじい生き方を聞くにつけさすがの鎌田さんも圧倒されっぱなし

日隅さんの凄まじい生き方を聞くにつけさすがの鎌田さんも圧倒されっぱなし

鎌田  その頃は原発事故を検証する本を書くために、執拗な取材を始めていた頃でしょうから、今後やらなくてはいけないことがいっぱいあることは目に見えていたと思います。突然、「半年のいのちかも知れない」と言われたときの気持ちは?

日隅  実は、そのときはまだ、原発事故関連の本を書こうとは思っていなかったんです。当時、原発事故に関して、毎日記者会見が行われ、ネットで生中継されていました。それを見ていただければ、私たちの質問に、政府や東電が答えようとしない、誤魔化そうとしていることが、よくわかってもらえると思っていたんです。そして、私たちが会見の席で、厳しい質問を繰り返すことによって、政府・東電の事故対応、健康被害対策などが、少しでも良くなればといい、と思っていました。

ですから、告知を受けたときは、その後も会見に出るということは考えていなかったのです。もちろん、私にできることはやるつもりでしたが、末期がんが治った人の話も聞いていましたから、最後まであきらめず、これからはがんと向き合っていこう、というのが正直な気持ちでした。25日に告知されたあと、弁護士の仕事をはじめすべての仕事を事務所の先輩や後輩に任せて、翌26日から入院し、抗がん剤治療を始めたわけです。

鎌田  日隅さんはがんが見つかるまで、弁護士の仕事をしながら、原発事故の記者会見にも日参されていたんですよね。

日隅  忙しいのは慣れていました。がんで入院するまで、毎日、弁護士事務所に泊まりがけで仕事をしていましたから、自分の部屋には布団さえありませんでした。お風呂に入るためにだけに帰る生活でした。

鎌田  すごい生活ですね。

日隅  いま考えれば、ただのバカですよ(笑)。

鎌田  日隅さんは京都大学を卒業し、産経新聞記者をされたあと、弁護士になられていますね。

日隅  新聞はどこもそうかも知れませんが、特ダネ主義で、ニュースバリューと紙面構成が合っていない点が不満でした。もともと外信部に行きたかったのですが、それもダメそうなので、外国メディアの日本特派員にでも潜り込めたらと思って、産経新聞を辞めて、英語をマスターするために、ニュージーランドに語学留学しました。ところが、帰国してみると、バブル経済が崩壊したあとで、メディア関係の就職先がなかったのです。結局、プー太郎になってしまいました(笑)。

その後、塾の講師をやっていたとき、本屋さんで「1年で司法試験に受かる」という内容のパンフレットを手にし、その講習を受けてみました。これなら自分にもできるかもしれないと思い、塾の講師を途中で辞めて、必死で勉強したら、1年半で受かりました。30歳を超えていましたが、人生であれほど勉強したことはありませんね。

鎌田  すさまじい人生ですよね。

日隅  楽観的というか、無計画というか、無茶苦茶ですよね(笑)。

痛みでベッドで眠れず椅子に座って眠った

鎌田  がんの話に戻りますが、最初に、手術も放射線治療もダメで、抗がん剤治療がうまくいっても、予後1年と言われたとき、それ以外に方法はないのかどうか、調べましたか。

日隅  調べました。癌研やがんセンターでセカンドオピニオンを受けましたし、留学時代の友人に、アメリカの病院に照会してもらったりもしましたが、結局、どこも同じでした。抗がん剤治療と並行して、免疫療法(樹状細胞療法+リンパ球療法)を受けました。

鎌田  胆嚢は壁が薄いので、気がついたときには、がん細胞が腹腔内の他の部分に落ちていることが多く、手術ができるうちに見つけることが難しいがんなんです。ただ、日隅さんは昨年5月に胆嚢がんが見つかり、予後半年と言われながらも、もう10カ月になりますね。この間、治療は順調でしたか。

日隅  抗がん剤は最初、ジェムザール()とシスプラチン()でした。その後、ジェムザールとTS-1()に切り替えたんですが、ちょうどその時期に、腫瘍マーカーが一旦下がりました。しかし、2~3週間後にまた上がったんです。ただ、現在も数値自体はそんなに高くはありません。症状としては、12月初めぐらいまでは、割合順調でした。

ところがその後、痛み出すとともに、膨満感と言うんですか、お腹が大きくなって、食べられなくなったんです。それから、多分胃液が悪さをしているんだと思いますが、夜、横になって寝ていると、胃が痛くて痛くて、急性胃炎と同じ痛みが出たんです。横になって寝られないので、椅子に座って寝るようにしたんですが、しばらくすると、それでも痛みが出てきました。それで病院で痛みを取る麻薬系の薬を処方してもらいました。しかし、その薬はがん系の痛みには効きますが、胃炎系の痛みにはなかなか効きません。

鎌田  痛みが取れないというのはつらいでしょう。

日隅  それでいろんなことを試行錯誤しているうちに、アイスクリームを食べたら痛みが取れたんです。夜は90分くらいすると痛みが出るんですが、70分に1回ぐらい、うまくアイスクリームを食べれれば、朝まで痛みがなく過ごせるのです。そうこうしているうちに、3月上旬頃でしたか、歩いたり動いたりすると、痛みが出るようになり、こんな状態になっちゃった(笑)。それで、高カロリー輸液の受け口(ポート)を血管内に設置するために短期入院しているのです。

鎌田  いま体重はどれくらいですか。

日隅  47㎏前後ですね。

鎌田  貧血と低タンパク血症があって、要するに栄養不足のため、体重が落ちているんですね。日隅さんの場合、胆嚢がんが腸を巻き込むように浸潤してるんですか。

日隅  はい。何カ所か大腸が狭窄しています。

鎌田  便は下痢で出ていたものが、下痢も出づらくなったんですか。

日隅  入院する直前は本当に出ませんでしたが、幸いなことに今は出ます。ただし、少量、通常の3分の1~4分の1程度しか食べられないので、エネルギーの高いもの、うな重やカルビなども食べたりします(笑)。

鎌田  量さえ加減すれば、体調良く食べられて、きちんと排泄までいっている、ということですね。

日隅  そういうことです。

ジェムザール=一般名ゲムシタビン
シスプラチン=商品名ブリプラチン、ランダ
TS-1=一般名テガフール・ギメラシル・オテラシルカリウム

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