鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談
読売新聞社会保障部記者・本田麻由美さん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

撮影:板橋雄一
発行:2009年3月
更新:2013年9月

  

3度の乳がん手術を乗り越え、がん医療問題に取り組む取材記者が語る心の軌跡
がんは誰でもかかる病気なのに、自分は関係ないと高をくくっていました

本田麻由美さん

ほんだ まゆみ
1967年大阪府生まれ。91年お茶の水女子大卒業。同年4月読売新聞社入社。東北総局、医療情報部などを経て、2000年から社会保障部で医療・介護問題を中心に取材を担当。02年春に乳がんが見つかる。3度の手術に加え、放射線治療、抗がん剤治療、ホルモン治療を受けながら、がん医療に関する取材を始め、03年4月、自らの闘病体験をもとに医療の在り方を考える連載コラム「患者・記者の視点」を読売新聞朝刊で開始。欧NPOの「Cancer Enlightenment 2004Special Award」、「ファイザー医学記事賞」を受賞。現在もタイトルを「がんと私」に改めて連載中。厚生労働省「がん対策情報センター運営評議会」などの委員も務めている。著書に『「34歳でがんはないよね?」』(小社刊)

鎌田實さん

かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)

まったく予想していなかった30代での乳がん発症

鎌田 本田さんは34歳のときに乳がんと診断されたわけですが、診てもらう前に、自分で怪しいと思ったそうですね。

本田 何か違和感があるな、と思いました。

鎌田 しかし、ご主人に触ってもらっても、ご主人はわからなかった。

本田 自分でも明確なしこりは感じませんでした。ですから、違和感があっても、乳がんだとは思わなかったのです。

鎌田 振り返ってみて、もう少し早く発見できたのではという反省がありますか。

本田 いちばんの反省点は、30代で乳がんになるということを、まったく認識していなかったことです。実は、母方の叔母が30代で乳がんになっているのです。そのことをきちんと受け止めていれば、30代でも、結婚記念日とかにマンモグラフィ(乳房レントゲン撮影)を受けることもできたはずです。また、乳がんになる1年前に、私自身、がん患者さんにいっぱい取材して、がんは決して特別な病気ではなく、誰でもかかる病気だということを確認していたのに、自分は関係ないと高を括っていました。そのあたりは反省材料です。

鎌田 私たち医師も30年ほど前から、「40歳になったらがん検診を」ということを言ってきました。だから、30代ではまだがんにならないという意識が、国民の間に浸透している可能性があります。

本田 私は、がんになるにしても50~60代からかなと思っていました(笑)。

鎌田 本田さんの『「34歳でがんはないよね?」』(小社刊)には、20代のがん患者さんの話が出てきますよね。

本田 最近は、乳がん、子宮頸がんなど、若くてがんになる人が多いようです。学校の保健体育など健康教育の中で、若くてもがんになることがあることを教える必要があると思いますね。

若い男性の検査技師にはちょっと抵抗を感じました

写真:本田麻由美さんと鎌田實さん

「自分が乳がんになってみて、医療者が患者の心、病気に向かう気持ちに、大きな影響を与えることを実感しました」と語る本田さん

鎌田 私たちも地域の保健師さんと協力して、乳房の模型を使った自己検診の啓発をやってきました。あれは意義があると思いますか。

本田 乳がんを知るきっかけにはなるかもしれません。ただ、私の乳がんはあのタイプではありません。あのような触診ですべての乳がんがわかるわけではなく、いろいろなタイプがあることも教える必要がありますね。

鎌田 『「34歳でがんはないよね?」』を読んで笑っちゃったのは、違和感を感じて、最初に行ったのが産婦人科だったというところ(笑)。そういう女性は多いようですね。

本田 最近はコマーシャルでもやっていますから、マンモグラフィという乳房専用のX線検査が必要だと知っている人も多くなっていると思いますが、それでも産婦人科へ行く人はゼロではないんじゃないでしょうか。

鎌田 女性ですから、産婦人科へ行けば何とかなると思うんでしょうね。まさか外科とは思わない。乳腺外科があれば、そこへ行くんでしょうが、地方の病院などでは乳腺外科の看板を掛けていない病院も多いですからね。

本田 産婦人科の先生が市の乳がん検診をやっているケースもありますしね。

鎌田 産婦人科から乳腺外科に回されて、検査は大変でしたか。

本田 診察で触診をしてくださった先生は年配の方で、そう抵抗はなかったのですが、検査技師が若い男性でしたので、ちょっと抵抗がありました(笑)。最近、女性の検査技師がいますが、若い患者さんにとっては女性の技師さんのほうがいいでしょうね。

鎌田 なるほど。私の病院には女性の放射線科技師と検査技師がいますが、若い女性の乳房を担当する場合は、女性の技師が担当したほうがいいかもしれないね。

本田 「女性のほうがいいですか」と聞く配慮があると、患者さんは助かると思います。

鎌田 私の妻が年に1回の検診で、「マンモグラフィは痛いからエコーのほうがいい」と言います。

本田 何回か受けていますが、技師さんによって痛いときと、そうでないときと、すごい差があります。その差は生理の周期と関係があるのかな、という感じもします。

生存率の高い治療法より乳房温存手術にこだわる

鎌田 本田さんの乳がんが特殊型の粘液がんと診断されたのは、画像の時点ですか、病理の時点ですか。

本田 最終的には病理です。ただ、主治医のお話では、エコーの段階で粘液がんだとわかったそうです。私があまりにも「違うだろう」という顔をしていたので、検査の段階ではがんであることも告げず、病理に回して、1週間ほど間をおいたということです。

鎌田 がんをまったく予想していない患者さんにとっては、その場で告知されてしまうより、1週間ほど間をおいて正しい話を聞いたほうがいいよね。

本田 もしエコーの時点で言われていたら、私はきっと呆然自失してたでしょうね。1週間後に聞いたときも呆然としましたが、検査後の最初の2~3日はまったく気にならず、その後少し気になってネットで調べまくり、もしかしたらがんかもしれない、と“自覚”する時間もあったので、1週間おいたことで、呆然の度合いは弱まったと思います。

鎌田 エコー上で2.5センチだった粘液がんが、2週間後には4センチになった。

本田 めちゃくちゃビビリました。専門的なことは知りませんから、たった2週間で倍近くになるなんて、よほどひどいのかと思いました。最初は腫瘤のくり抜き手術と言われていたのに、乳房の4分の1切除と言われて、正直焦りました。

鎌田 女性は生存率の高い治療を選ぶのか、それとも徹底して乳房温存にこだわるのか、どちらですか。

本田 一概には言えませんが、温存にこだわる人も多いと思います。私自身はめちゃくちゃこだわりました。体にあるものが無くなることに対する怖れ、下着や衣類のこと、夫婦関係のことなどを考えると、申し訳ない気持ちと言いますか(笑)、さまざまな気持ちが芽生えてくるのです。ですから、温存だったらすぐ手術、全摘だったら同時再建、と思ってしまいました。

鎌田 それで温存手術を受けたわけですが、その1カ月半後に再発しますね。

本田 ここが少しややこしいのですが、温存手術で切り取った断端にがんが残っているという見方と、いや非浸潤性乳がんだという見方の両方があって、2つが重なっているかもしれないということになり、最終的には全摘が必要だろうと。それなら同時再建手術を受けたかったのですが、結局、全摘手術を受け、その後しばらくして再建しました。

鎌田 そのとき、最初の手術は温存じゃないほうがよかった、とは思いませんでしたか。

本田 実は、そうなんです。温存にしがみついたのは知識不足だったなと思いました。結果論になるかもしれませんが、私のように4分の1切除して温存しても、変形が大きくて温存した意味合いが薄い場合もある。それなら、初めから全摘して、キレイに再建してもらうという方法もあったかなという気がします。

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