鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談 朝日新聞記者 上野創 VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

(2006年4月)

  

死を前に、謙虚な気持ちになる。それが、私のがん体験の原点

上野創

うえの はじめ
1971年東京生まれ。94年早稲田大学政経学部卒業後、朝日新聞社に入社。長野支局を振り出しに、事件記者。横浜支局に在籍中に、精巣がん(睾丸腫瘍)発覚。手術を受けたものの、すでに肺転移。同僚だった恋人にプロポーズされ、病床から婚姻届。2度の再発、3度の肺手術。その率直で真摯に綴られた闘病記は、朝日新聞神奈川版に連載時より大反響を呼び、1500通を超える投書。ファルマシア医学記事賞受賞。その単行本化が『がんと向き合って』(晶文社刊)。日本エッセイストクラブ賞受賞。現在、第一線に復帰し、社会部記者

鎌田實

かまた みのる
東京医科歯科大学医学部卒業。
長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、管理者に。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(ともに集英社刊)がベストセラー。最近発売された『病院なんか嫌いだー良医にめぐりあうための10箇条』(集英社新書)『生き方のコツ 死に方の選択』(集英社文庫)『雪とパイナップル』(集英社)も話題に

26歳で肺転移あり。なのに、彼女は「結婚しよう」と言った

鎌田 上野さんは朝日新聞の若手記者だった1997年に、左睾丸の腫瘍を発見。しかも、肺転移があった。睾丸摘出手術のあとに3回の肺手術も受けておられます。その後、体験を朝日新聞神奈川版に連載され、『がんと向き合って』という本にまとめられたわけですが、何しろ26歳ですからね。ショックだったでしょう?

上野 そうですね。衝撃もありましたし、苦悩もしました。でも、「なぜ自分が」と後ろ向きになることはなく、非常に戦闘的になりました。試されている、だれか自分の言動をどこかで見ているといった感じがあり、だったら乗り越えてやるという気になりました。入院と入籍がほぼ同時といった事情があったので、後ろを向く暇がなかったのかもしれません。

鎌田 あれは大きかっただろうねえ。ぼくは、あなたの本にすごく感動して、朝日新聞に書評を書かせてもらったのだけれど……。

上野 嬉しかったです。

鎌田 上野創もすごいけど、奥さんに感動して泣きました。

上野 みなさん、そう言います。あなたはいいから奥さんに会いたい、という人が多いです(笑)。

鎌田 巻末の手記に、彼女はこう書いているのね。「彼にとって死はいつも1人称だ。しかし、私の考える『死』はいつも2人称だ」「彼を失ったらという視点からしか、自分を見つめられていないことに愕然とする」ぼくら医者は「彼の病状は」と語るくらいで、人の死は3人称でしかありえない。そして、夫婦でも基本的には2人称。でも、病気との闘いの中で、彼女は夫の死を1.5人称くらいまで引きつけたと思うんです。そういう人がそばにいてくれたのは、大きいなあと思った。

上野 そうですね。こんな病気でこれから闘病していく男と結婚するという大きな決断を、彼女はひとりでしたわけですから。
交際中、行き詰ってうつになっていたのは、むしろ彼女でした。私自身は能天気な事件記者で、人の死には数多く接していましたが、自分に引きつけて考えることもなく、彼女を心配し、支えるのは自分しかいないと思っていた。ところが、私がこんな事態になったら、彼女はそばにいて一緒に立ち向かうと言う。そう決断をして、元気になったと言っていました。

鎌田 上野創を支えるところに、生きる意味を見出した?

上野 道筋がすぱっと見えたと言うんです。それが生きる意味ということかもしれませんが、私にとっては驚天動地です。だって、結婚なんて話はぜんぜん出ていなかったのに、こうなったときに結婚するというのですから。
病気になった当初は、「天涯孤独なら生に未練がなくて楽かも」と思いました。でも、彼女がいたことで、自分ひとりの命でもなければ、自分のひとりの病気でもなく、いろいろなところにつながっていることがわかりました。だからこそ、勝手に自分の命を諦めてはいけない。それだけの決断をしてくれた人に、「残念だけど、ぼくは死んじゃうから、ひとりで生きて行って」とは言えませんから。

鎌田 普通は、少し様子を見てから結婚しようと考えますよ。しかも、彼女は新聞記者ですから、病状のきびしさも理解している。それでも、結婚しようというのだから、それが上野さんを元気にして、がんと闘う細胞1つひとつに力を与えたのでは? 考えすぎ?

上野 いいえ、まさにそうです。いくら情報を集めても、この先は思い切って行かなくちゃというときが絶対あります。彼女はそういう決断をしてくれた。だから、ぼくも「なぜ26歳の自分ががんに」とか考えず、治すしかないというところに飛び込めた。彼女の決断が伝染したのかもしれません。

告知が段階的だったから、つぶれずに受け止められた

鎌田 まったく知識がないとき、睾丸のがんという告知を受けたのですね。肺にも転移があったわけですが、肺については?

上野 肺の話は出ませんでした。睾丸腫瘍は原発のがんをすぐ切除するのが原則なので、本人に手術を納得させなければならない。転移は後回しなんです。しかも、手術と同時進行で検査がいろいろ行われ、結果が徐々に出てくる。そんなこともあり、手術の傷が癒える約1週間後に話したほうがいいと、担当医が配慮してくれたようです。

鎌田 段階的な告知によって、少しは気持ちが楽になりました?

上野 それは大きいです。もし最初に重い荷物をまとめて負わされたら、つぶれてしまったかもしれない。手術が終わって落ち着いて、これからを考えるとき、あらためて説明があったため、受け止められたという気がしています。

鎌田 そういうとき、一気に話してすっきりする人もいれば、小出しにしたほうがいい人もいます。

上野 そうだと思います。ただ、インフォームド・コンセントの時代とは言え、がんの場合、副作用で死ぬかもしれないといった悪い情報を、最初から全部伝える必要はないと思います。まず、自分ががんになったということを受け止めないと、先に進めません。いっぺんに情報を渡されると、患者はすごくきついと思います。

鎌田 転移について聞いたときは、どんな気持ちになりました。

上野 私の場合、最初に転移の話を聞いたときはそれほど落ち込みませんでしたが、抗がん剤が効かないと言われたときは、さすがに血の気が引きました。

鎌田 その頃には勉強して、「睾丸腫瘍は転移しやすいけれど、わりあい助かる可能性のあるがん」とわかっていたのですね。

上野 当時(1997年)はインターネットがそれほど整備されていなくて、本を1~2冊読んだ程度でした。でも、転移が進み、再発を繰り返せば命が危ないことは知っていました。
がんの最初って、分岐点が次々来るんですね。がんがどんな種類か、薬が効くタイプか効かないタイプか。その人は治療に耐えられるか、耐えられないか。転移があるかないか。私の場合、当初はどんどんよくないほうに分岐して、「薬が効かない」と言われてしまった。これは重かったです。治療効果の高いがんなのに、「あなたは運悪く、亡くなる人です」と言われたも同然で、一晩落ち込みました。

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