鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

私の帽子が患者さんのお役に立てるならこんな嬉しいことはありません 帽子デザイナー・平田暁夫 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
発行:2012年10月
更新:2019年7月

  

膀胱がん・胃がん・大腸がんと闘った世界的帽子デザイナーの"へこたれない"人生

1960年代、世界的な帽子デザイナーとして有名なジャン・バルテ氏のもとで修業し、日本に本格的な帽子の技法を持ち帰る。皇室の帽子も手がけていることで知られる平田暁夫さんは、71歳のとき膀胱がんの摘出手術を受けて以来、胃がん・大腸がんの同時手術を受けるなど、がんと闘い続けながら、帽子デザイナーとしての仕事に執念を燃やしている。

 

平田暁夫さん

「帽子はかぶる人に勝ってもいけないし、負けてもいけません」
ひらた あきお
1925年、長野県飯田市生まれ。14歳で上京し、銀座の帽子店に弟子入り。戦後、帝国ホテルのアーケード街で帽子制作に携わり、55年に独立して「アトリエ・ヒラタ」を設立。61年FEC賞受賞。62年にフランスに渡り、世界的帽子デザイナー、ジャン・バルテ氏に師事。65年に帰国し、71年、平田暁夫帽子教室を開校し、「Boutique Salon COCO」開店。美智子皇后はじめ皇室関係の帽子を手がけていることで知られる

 

鎌田 實さん

「いい帽子をかぶると、気分が一新し、生命力が漲ってくるような気持ちになります」
かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、高齢者への24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数

71歳のとき初めて発見された膀胱がん

鎌田 
この「がんサポート」に平田さんにご登場いただこうと思ったのは、平田さんががん患者さんであると同時に、世界的な帽子デザイナーでいらっしゃるからです。抗がん剤治療を受けているがん患者さんは、多くの場合、薬の副作用によって髪の毛が抜けるんです。これは、とくに女性の場合は、ものすごくショックなことで、そのために抗がん剤を拒む患者さんもいらっしゃるほどです。男性だって、私も薄毛ですからわかりますが、髪の毛が抜けるのはやっ
ぱりショックですよね。

ですから、がんと闘うときにはきちっと闘いながら、たまには気分転換の意味で、「ヒラタの帽子」のような贅沢な帽子をかぶって、浮き浮きした楽しい気分を味わっていただきたいと思うんです。そうすれば、がんとも闘いやすいし、免疫力も上がると思うんです。この雑誌の読者に、ひとついい帽子でも買ってみたらいかがでしょう、という提案をする意味もあって、平田さんにご登場願ったわけです(笑)。

平田 
それはそれは、ありがとうございます。私も次から次に、がんと闘ってきましたから、私の作った帽子ががん患者さんのお役に立てるとすれば、こんな嬉しいことはありませんよ(笑)。

鎌田 
まず、がんのお話からうかがいたいと思いますが、最初に見つかったがんは?

平田 
膀胱がんです。平成8年、71歳のときです。小便が近くなり、イヤだなと思っていたんです。当時、前立腺治療のための新しい医療機器が三井記念病院に入ったということを知り、とりあえず三井に行きました。三井には以前から親しくしてもらっている心臓外科の須磨久善先生もいましたから。そして、検査をしてもらったら、膀胱に7㎜の腫瘍が見つかったのです。

鎌田 
須磨さんが有名になる前からご存じだったんですか。

平田 
奥さんが帽子が好きで、ご夫婦でよく私の店にいらっしゃっていました。須磨先生にちょっとした身体の不調を相談すると、「ここへ行け」「あそこへ行け」と、いろいろ病院を紹介していただきました。

胃がん大腸がんを切除2日後に院内を歩き回る

鎌田 
須磨さんがついていれば安心ですね(笑)。平田さんは70歳を過ぎてから、膀胱がんを4回も切除されたほか、胃がん、大腸がんの手術もされています。次々にがんに襲われて、へこたれることはなかったんですか。

平田 
がんが見つかったら、すぐに入院して、即手術でしたから、へこたれる暇もなかったというのが、正直のところですよ(笑)。ただ、平成16年に胃がんと大腸がんを同時に摘出したときは、私もド根性出しましたね(笑)。手術の2日後には、もう歩き始めましたからね。

鎌田 
がんには絶対負けないと思った!

平田 
思った(笑)。79歳でしたから、「もう抗がん剤はやめましょう」と言われたんですよ(笑)。だから、絶対にがんに負けまいと思って、とにかく歩きました。退院してからも、毎日、毎日、1万歩以上歩いたんです。

鎌田 
平成12年にいちど大腸がんになっていますね。

平田 
そのときはポリープが見つかったんですが、それはすぐ名医に内視鏡で取って頂きました。そして、平成16年に胃がんが見つかり、虎ノ門病院で他の部分も調べてもらったところ、膀胱がんはなかったのですが、大腸がんが見つかり、胃がんと大腸がんを一緒に摘出したんです。

鎌田 
それにしても、79歳で胃がんと大腸がんを同時に摘出して、2日後に歩き始めるとはスゴイですよ。

平田 
酸素ボンベを背負い、管をいっぱい付けた爺さんが病院の中を歩いているわけですから、他の患者さんたちがびっくりしたようです(笑)。看護師さんも、「他の患者さんたちが刺激されてますよ」と言っていましたね(笑)。そのときは根性で治療しました。

鎌田 
その「がんに負けないぞ!」というド根性は、平田さんの若いときからの生きざまですか。

平田 
生きざまですかねぇ。そんな根性がある人間だとは、自分でも知らなかったけど(笑)。

世界的な帽子デザイナージャン・バルテと共同生活

鎌田 
でも、平田さんは1960年代にパリに帽子の勉強に行かれたわけですが、当時の日本人は誰もそんなこと考えていない時代でしょう。

平田 
とにかく向こうの流行を早く採り入れて、東京で商売したいという人が多かったですね。実際に向こうのアトリエに住み込んで、一切のものを勉強して吸収しようという人は少なかったですね。

鎌田 
世界的な帽子デザイナーのジャン・バルテ氏に師事されたんですよね。

平田 
僕のFEC賞()受賞と西武の堤清二さんの室生犀星詩人賞受賞が同じ年だったので、よくテレビで一緒になりました。そのとき堤さんに、「パリで改めて修業したいんだけど、どこかいいとこご存じありませんか」と訊いたんです。そうしたら、「いいよ」と言って紹介してくれたのが、ジャン・バルテ氏のアトリエだったんです。それがきっかけで運が開けてきましたね(笑)。

鎌田 
ジャン・バルテという人は、ソフィア・ローレンとか、グレース・ケリーの帽子を作っていた人ですよね。そういう大家がよく面倒を見てくれましたね。

平田 
ホントだよね(笑)。初対面で、「明日から来い」って言われ、その夜、一緒に食事をしましたよ。

鎌田 
気に入られたんですね。

平田 
「目を見たらわかる」って言ってましたね。

鎌田 
そこで足掛け4年勉強して、さあ帰ろうとしたら、「まだ帰るな」と言われたそうですね。

平田 
「帰るな」って、予約した飛行機の切符をキャンセルされるんです(笑)。3回くらい帰国するのが延びました。

鎌田 
向こうでお嬢さんが生まれたんですよね。名前は「欧子」さん。「おうこ」さんと読むんですか。

平田 
そうです。欧州の子……。私たちはずうーっとホテル・アパートに住んでいたんですが、帰国すると言ったらジャン・バルテ氏の家に連れていかれ、その後は彼の家で一緒に暮らしました。

鎌田 
すごく気に入られたんですね。

平田 
ホテル・アパートにいた頃、私がちょっと顔を出さないと、すぐに「天才、いるか」って電話がかかってきていましたからね。

鎌田 
天才!

平田 
いや、私はどういうわけか、彼がデザインした型を、彼が思うとおりに表現することができたんですよ。2人で組んで仕事をし、彼が大雑把にデザインした帽子を、私が最終表現をするわけです。

FEC賞=その年にめざましい活躍を示し、話題となり日本のファッション界に貢献した人物に与えられる

心房中隔欠損で倒れパリの救急車のお世話に

鎌田 
2人が共同作業で作った帽子を、世界的な人たちがかぶるわけでしょう。すごい面白い仕事ですね。しかし、体調が心配だったとか……。

平田 
私は知らなかったんですが、生まれつき心臓に穴があいていたんです。

鎌田 
心房中隔欠損……。

平田 
日本からのお客さんとコメディ・フランセーズを観に行って、劇場の中で倒れたこともあります。パリの救急車に乗りましたね(笑)。

鎌田 
不整脈が出て脈が遅くなって、意識を失ったんでしょうね。脳梗塞などと違って、意識はまた元に戻るんですけどね。ペースメーカーは?

平田 
当時はまだありません。私がペースメーカーを埋め込んだのは61歳のときです。50歳のとき、心房中隔欠損の手術をしたんですが、医師から「よく50歳まで生きられたね」と賞められましたよ(笑)。

鎌田 
そういう心臓に問題を持ちながら、パリで修業に励まれたんだ。まさに花も嵐も踏み越えて、いまの平田さんがある、ということですね。

ところで、日本人は最近、あまり帽子をかぶる習慣がなくなりましたが、明治時代の男性は結構かぶっていましたよね。

平田 
明治時代は「文化は頭から」と言って、頭にかぶるものから欧米の文化を採り入れたんです。浴衣にカンカン帽とか、村長さんの山高帽とか、紳士だけでなく一般にも広く帽子の文化が入ってきたんです。

鎌田 
昔の文人の写真を見ても、夏目漱石にしても、中原中也にしても、オシャレな帽子をかぶっていますよね。その後、いつの間にか日本人は帽子をかぶらなくなった。

平田 
不思議なことに、かぶらなくなると、似合わなくなるんです。

鎌田 
なるほど。かぶっていたら似合うようになるんだ。

平田 
かぶっていると、そのものになってくる。


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