鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

夢に向い、夢をかなえればがんを治す力が湧いてきます 「メッセンジャー」編集発行人・杉浦貴之/主婦・関水京子 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
発行:2013年6月
更新:2018年8月

  

腎がんで余命半年宣告から生還した杉浦さん。それは決して奇跡ではなかった

がん患者がフルマラソンを走る。ちょっと考えられないことだが、ホノルルマラソンを楽しみながら完走したがん患者さんたちがいる。自らがんを経験し、ホノルルマラソンを走った「メッセンジャー」の編集発行人の杉浦貴之さんが企画した、ホノルルマラソンツアーの参加者たちだ。主婦の関水京子さんは、子宮体がんの手術・抗がん薬治療の3カ月後に完走している。「がんばらない」の鎌田實さんが杉浦さん、関水さんに「なぜ走るのか」を迫った。

 

杉浦貴之さん

「自分が背中を見られる存在にならなくてはと思うようになりました」
すぎうら たかゆき
「メッセンジャー」編集発行人。1971年、愛知県西尾市生まれ。28歳のときがんを宣告され、余命は「早くて半年、2年後の生存率は0パーセント」と言われる。闘病中から、ホノルルマラソンをパートナーとともに走ることを夢見ていた。2005年、がん患者さん向けの命のマガジン「メッセンジャー」を創刊し、単独でホノルルマラソンを走る。2008年、婚約者とともにホノルルマラソンに参加し、現地の教会で結婚式を挙げた。2010年から、がん患者さんを対象にホノルルマラソンツアーを企画・実施している。著書に『命はそんなにやわじゃない』(かんき出版)がある

 

関水京子さん

「私より大変な状態で参加されている人たちに勇気をもらいました」
せきみず きょうこ
主婦。1952年、神奈川県横浜市生まれ。2010年3月、子宮体がんを告知され、4月、切除手術を受ける。その後、8月まで、抗がん剤治療を6クールにわたって受ける。同年12月、ホノルルマラソンツアーに参加し、7時間で完走。趣味はジャズダンス。現在アロマテラピーの教室に通い、夢はアロマ、カラーセラピーでホノルルマラソンをサポートすること

 

鎌田 實さん

「サバイバーの背中を見て生きていく大切さを実感したんですね」
かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、高齢者への24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数

2年後の生存率は0%、非情な余命宣告を受ける

鎌田 がんになったのは何歳のときですか。

杉浦 1999年、28歳のときです。猛烈サラリーマンで、休みなく働いていたときに、突然、がんを宣告されました。

鎌田 最初の症状は血尿ですか。

杉浦 いえ、バッティングセンターに行き、終わったら急に横っ腹が痛くなったんです。なかなか収まらず、これまでに経験したことのないような痛みになり、心臓がドキドキしてきたんです。それで病院に駆け込んだら、最初、腎外傷と言われました。血尿ではなく、腎臓の中の外傷的なものが原因で出血したということです。

しかし、私はどこかで腹を打った覚えもないので、なぜ出血したのか、病院側はいろいろ検査をしたわけです。血管の奇形じゃないのかとか、腫瘍じゃないのかとか、CT、MRI、エコー、血管造影など、1カ月間、いろいろ検査をした結果、何もなかったんです。そして、3カ月後、できている血腫の様子を確認する検査をしたところ、とんでもないことになっていることがわかったんです。

鎌田 大きくなっていた。

杉浦 ものすごい増殖でした。

鎌田 バッティングセンターで腫瘍が刺激されて痛みが出た。しかし、腫瘍が血腫の中に隠れていたので、最初はわからなかった。それが3カ月の間にものすごい早さで増殖した。

杉浦 腎臓の外へ出てくるくらいの大きさで、私の素人目にもわかるぐらいでした。一般的な腎がんではなく、未分化原始神経外胚葉性腫瘍(PNET)という病名でした。

鎌田 珍しい病気ですよね。

杉浦 子どもの脳にできやすい腫瘍のようですが、私の場合は、成人の腎臓にできた珍しいケースで、当時、日本にはまだ20例ぐらいしかなく、全員が2年以内に亡くなられています。両親は「早ければ半年、2年後の生存率は0パーセント」という余命宣告を受けました。

CT=コンピュータ断層撮影 MRI=核磁気共鳴画像法 エコー=超音波検査

ホノルルマラソン走る自分の姿をイメージ

鎌田 かなり致命的な病気ですよね。杉浦さん自身は、その告知は受けたんですか。

杉浦 「普通の腎がんではない。増殖が早いし、転移もします」というところまででした。

鎌田 ただひとつの望みは、腎臓は脳と違って、摘出手術ができるという点ですね。しかし、ドクターとしては厳しい余命宣告をせざるを得なかった。ご両親はびっくりされたでしょう。

杉浦 すごく落ち込んだという話を後で聞いたんですが、それでも母親は余命宣告をされて、「冗談じゃない。絶対に死なせません」と言ったようです。

鎌田 母は強い。杉浦さん自身は、医師から「普通の腎がんではない。増殖も早い」と言われて、これは厳しいと思ったはずです。でも、杉浦さんの本を読むと、結構楽天的ですよね。

杉浦 実は、その2年前に、友人が肺がんで亡くなっていたんですが、そのとき本屋さんでいろんながんの本を読んだら、「がんは治る」と書かれている。そのときに、がんは治るんだという浅はかな知識が、頭の中にインプットされていたんです。ですから、もしかして治るんじゃないかという希望が頭の片隅にあったんですよ(笑)。

鎌田 いいなぁ。そういう軽い人、大好き。根拠、まったくないのにね。最初の頃は、人がいいと言うことは何でもやって、右往左往してますよね。

杉浦 最初の頃は、やはり生きたいという気持ちが強く、いろんなことをやりました。

鎌田 杉浦さんががんを克服していく中で、私が面白いと思ったのは、がんを乗り越えた人たちの背中を見ていくという姿勢ですね。これはモデリングという技術です。それから、イメージ療法に近いのですが、がんが治ったときの未来の自分の姿をイメージしている。杉浦さんの場合は、具体的にはホノルルマラソンを走ることですね。それと、女性のお尻ですか(笑)。これがすごい。

杉浦 皆さん、闘病記でそこにはあまり触れられませんが、生きるか死ぬかというときに、私にとってはそのモチベーションはかなり大きかったです(笑)。

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