「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者の心の往復書簡 松村尚美さん編 第7回
何を医療者に望むかと問われれば、技術をと答えるでしょう
まつむら なおみ
千葉県在住。50歳。1男1女の母。98年乳がん3期との診断を受ける2000年右鎖骨上のリンパ節に再発。現在抗がん剤治療を受けている乳がん患者会「イデアフォー」の世話人の1人でもある
がん患者・松村尚美さんから 医療者・鎌田實さんへの書簡
夏の終わりに文章を書いていても、読んでくださる方のお手元に届くころは、窓の外の緑も秋を感じさせる色合いにと変わっていることでしょう。ここは住宅街の小さな庭です。自然とはいえ人の手で小さく切り取られ育てられていますが、この庭は、季節の移ろいを、色や、かたち、香り、音で、鮮やかに見せて、感じさせてくれています。
今年は生垣にへちまを植えました。黄色い大きな花が咲いています。緑色のへちまの実もなっています。夏を思わせる瑠璃色の朝顔、萩の小さな花、ムラサキシキブの鮮やかな紫の実。
夏が終わろうとする8月には、せみの声でうるさいほどでした。9月は虫の声が耳に痛いほどです。
今は、夏の名残の深い緑に暮らしています。まだまだ夏の緑です。窓の外、どこを見ても深い緑です。木が、花が、夏だとのどもといっぱい叫んでいるようです。部屋の真ん中で、ぐるりと周りを見渡してどの窓からも濃い緑が目に入ります。
まるで押し寄せてくるかのような濃い緑に元気のない私は少しだけ疲れています。
7月から続いている吐き気が、薬の種類を変えることで少しだけ治まってきました。ところかまわずもどしていたのが治まったこと、ほとんど1カ月間、吐き気のために休んでいた会社にまた通えるようになったことなど、日々を何とか過ごせるようになったのですが、今度は痛みが増してきました。
日常の生活レベルが下がってきて、休みの日は1日寝ています。仕事も1日パソコンに向かっているとその夜は身体が痛くて寝つけません。それでも仕事を続けていられること、身体をかばいながらも家事ができてとても幸せなのです。
ただ元気な友人とのお付き合いがつらくなっているのが切ない。生活のペースが元気な人と合わなくなってきています。例えば、同じ姿勢を長く続けていると疲れるなど、夕食をご一緒にというお誘いがあっても疲れてしまうのが怖い。
友人との会話を私は本当に楽しんでいるかしら、彼女達は私と過ごすことを楽しんでいるかしら、私は愚痴ばかりこぼしていないかしら。どんどんつらさが増しているとき、いろいろな不自由、不都合を両手に握り締めて歯をくいしばり、これもできないあれもできないと数えるのはつら過ぎます。
周りの人のあたたかさに何より感謝しているのに、時々一人になりたくなります。痛みやつらさを抱え込んでまあるくなって身体を抱え込み、心も抱え込んで眠りたくなる。
ただ単純に患者の話を聞く姿勢を持って欲しい
このがんともずいぶん長いお付き合いになりました。初めの告知から思えば、6年になります。がんという病とのつきあいで何を医療者に望むかと問われれば技術をと答えるでしょう。がんとの始まりのときも、終わりのときも技術をと答えるでしょう。それだけ、私自身が主治医や看護師の方、病院でいろいろな仕事に従事なさっている方に心を満たされているからかもしれませんが。
ただ私にとって医療者に技術という言葉をいうのはある意味で勇気が必要でした。
なにより患者に向かう心を大切になさっているあなたにこの言葉とは。
患者の心と向き合うことを、医療者の技術としてとらえたならば、今、患者の心も、患者の家族の心も医療の現場ではケアする場所も技術もありません。
短い診察時間でそれを望むには限界があります。たとえ短い診察時間を長くとれるようになったところで解決はしません。医師という職種の心をケアする訓練の場がないのではありませんか。医学教育の現場で心のケアの必要性が認められる。あるいは医師とは別の、心のケアをする職種があればいい。
医療の現場で必要とされる心のケアは、医療者の人間性や宗教的な背景はあまりかかわりがありません。
人間関係には合う、合わないが必ずあります。とても単純で深い人と人とのつながりの原点でしょう。だから医療者には自分の可能性にそこを求めないで、ただ単純に話を聞く姿勢を持って欲しいのです。患者はいつも不安を抱えています。恐ろしい思いもしています。医療者からすれば見当違いの不安であっても患者の心の奥には必ず切実で、現実的な不安があるはずです。患者は医療者に訴える言葉にできなくて一番手短な言葉で表現しようとしているだけかもしれません。患者の話を聞いてもらうことで患者自身が心を解きほぐし、自分自身の不安を医療者の方にわかりやすい言葉で表現できるようになるでしょう。
人間的に成熟した医師でなければ患者の悩みを受け入れられないという話をよく聞きますが、そうではなくて、とても単純なこと、患者の話に耳を傾ける医療者であってほしいのです。人の話を聞くことも大切なスキルでしょう。
患者が今抱えている不安が、自分だけではなく、病気のある時期、多くの患者が抱える不安であることを医師に言ってもらえるだけで、患者は落ち着くことがあります。そうなんだと、そしてみんなどうしているのかしらと周りを見られるようになると少し前に進めます。たくさんの患者を診て、あるいは学んで、患者の心についての知識を、医師が持っている。
医師とはいったい何でしょう
宗教的な背景の話は困惑しています。私自身が特別な宗教観を持っていないからです。宗教的な背景を持つ人同士の会話になってしまうのかしらと思っています。医師と患者ではなく、その会話についていけなくなりそうです。
先日ある会合で、一人の医師が手の施しようのなくなった患者からどうしても足が遠のくと言っていました。彼は患者に対し人間として誠実であることを身上とする医師ですが、わたしにとっては、これほど絶望的な話はないといった内容でした。
治療の効果があがる病気、あるいはその時期はいいのですが、再発がんともなればやはり治療の手段がつきてきます。その最後の時に身を翻す「誠実な医師」。
医師とはいったい何でしょう。
病気の進行で、患者と向き合うとき、助ける手段をもたないということは医師にとって何を意味するのでしょう。患者は既に、知っているかもしれない。彼には自分を助ける手段がないことを。そして何も持たずに自分と向き合う彼を気の毒に思っているかもしれません。
命を救う手段ではなく、自分の今症状をしのいでいくための情報が欲しいこともあります。痛みをなくすこと、吐き気を抑えること、息苦しさをなくすこと、たくさんのこと。
私は皮膚転移をしています。痛み、吐き気、便秘などの問題を抱えています。傷の臭い、滲出液と出血のケア。痛みはペインコントロールのために入院しました。吐き気もくすりを何種類か試すことで何とかなりそうです。
先日、出血と滲出液のための当て布のことで相談に行きました。今はマキーゼという厚みのある布を使っていますが、傷が広がってきたためにもう少し大きいものがほしくなりました。成人用のオムツに使い方を工夫すれば、使えそうなフラットタイプというものがあることを教えて頂きました。これなら適当な大きさに切って使うこともできます。出血は止血の方法を教えて頂きました。臭いも軟膏や、ガーゼに数滴たらす薬もあるようです。
命のことはもちろん、生活を快適にする情報は大切なものです。そしてこれをここにいけば得られるという場があることは心強いものです。
がんと向き合っている間に、私の血管は使いにくくなったようです。以前はこんなことはありませんでしたが、ここ2~3年血液検査の検査技師の方や、点滴のたびに、看護師の方にそういわれます。点滴のための注射針の工夫、医療者の点滴の技術で何とかならないかと切実に思います。これも技術の一つでしょう。
熱意と謙虚さを持ってがんを伝えたい
7月に田原節子さんにお会いしました。NHKの『生活ほっとモーニング』という番組でご一緒しました。まるできらきら輝くような時間でした。
「がんになったことは人生のエピソードなのよね」と言う言葉をいただいたことはきっと忘れないと思います。彼女はがんに打ち負かされることはなかった。彼女自身であり続けただろうと信じています。司会者の話をナイーブに聞いていらした、穏やかに言いたいことを伝えようとなさっていた。
私もがんという病気について伝えたいたくさんのことを話すとき、彼女を思っていこうと、伝えたいという熱意と謙虚さを持っていようと。わずかにご一緒できた時間と、いただいた勇気、かけがいのない思いを持ち、私も彼女のように生きていけたらと願っています。
イラクから無事にもどられたと編集者の方から一報をいただきました。心配していましたので少しほっとしています。
お元気でお過ごしください。
松村尚美
鎌田實様
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