「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者の心の往復書簡 松村尚美さん編 第8回

発行:2005年2月
更新:2013年9月

  

心が疲れて死を思うことを経験しました

松村尚美さん

まつむら なおみ
千葉県在住。50歳。1男1女の母。98年乳がん3期との診断を受ける2000年右鎖骨上のリンパ節に再発。現在抗がん剤治療を受けている。乳がん患者会「イデアフォー」の世話人の1人でもある

がん患者・松村尚美さんから 医療者・鎌田實さんへの書簡

原稿の締め切りをとうに過ぎてしましました。編集担当の方はジェットコースターなみのスリルを味わっているのかと大変申し訳ない思いでいっぱいです。

明日は抗がん剤の点滴の日です。点滴を受けると、それから1週間は起き上がることが出来ません。頭痛だったり、倦怠感だったり、ある日は1日中もどし続けていたり、ボーッとして何も考えられないこともあります。

居間のソファーで窓の向こうの空を見ていることになります。青い空を雲が流れていきます、いろいろなかたちをして。木の葉が風にそよぎ、影が動いていきます。

夏から秋へと季節の移ろいも、風の動き、影の陰影で気づきました。夏は太陽が天空の真ん中にあるからだと夫に言われてそうだったなと、日中は影がありません。秋は木の葉1枚1枚に影があります。そのことが葉の命を深く感じさせます。

葉にも、命の輝きがあります。それは葉の光と影を良く感じるからでしょう。風にゆれて日陰が動き、きらきらと楽しげに声をあげている。健康に恵まれていたころの自分より今のほうが生きていることを深く感じ、不思議な果実を味わっているかのようです。残念なことに起きて過ごす時間はどんどん短くなっています。

退職しました。不安を抱えています

10月いっぱいで退職いたしました。こんな調子で月の半ば近く、会社を休んでいたのでは仕事になりません。いつかこんな日が来ることはわかっていました。ただ自分で判断できるだろうかと不安でした。机の廻りや仕事の整理が出来ないまま出社できなくなるのは困ると思っていましたが、体力がなくなるぎりぎりで判断できたようです。主治医も退職のことはすんなりと納得してくださいました。ついこの前までやめないほうがいいよとおしゃっていたのですが。

会社にいる時間はほとんど病気のことは忘れています。いつもニコニコ笑っているので、何がそんなに楽しいのだろうと不思議に思っていると同僚にも言われました。そんな時間がなくなることで、生きていく意欲がなくなると夫は心配しています。私は収入がなくなるのが不安です。交通費を含めると1カ月に10万円近くかかってしまう治療費は大変な負担になります。

これから経済的な不安や、心理的な不安と過ごす日々が始まります。毎日どう過ごせばいいのでしょう。人の気配のない家の中、1人身体の不調と向き合い過ごす時間が延々と続いていくのはつらいことでしょう。友人が家族の帰ってくる時間が待ち遠しいと言っていたのを思い出します。自分の身体の不調と小さなお子様の世話をなさっていらっしゃる方のことを思えばわがままなのですが……。

終末期の過ごし方を家でと答える人に案外男性が多いと思いますがいかがでしょう。その方はきっと家で1人過ごすことは想定していないのでしょう。話題に上るとき、女性のほうが病院でと答えるようです。

私の場合、夫は仕事をしています。帰りもけっして早くはありません。遅く帰ってきて2人分の夕食の支度をして、お風呂を洗って、寝る支度をしてと休むまもなく動いています。その物音を身がすくむような心持ちで聞いています。私が病院にいれば外食をして、家に帰れば寝るだけでしょう。きっと作業は今の半分もないでしょう。

退社後の付き合いや、出張にも気をつかっている様子、出張の予定と私の抗がん剤の予定が重なるときは私に入院するように言います。それはそれで大変なのですが。

なんとか切り抜けていこうと思っています。家族の負担を思うと自分がしっかりしなくては、出来るだけ家事をして、心配をかけないように毎日を過ごしていかなければと。でも、本当に身体が思うようにいかないときは入院したいと考えています。

病状があまり進まないうちに病院探しだけでもしたいと思っています。でもこれが大変なのです。通院の便を確かめ、緩和外来を受診してその病院の考え方や治療方針をお聞きします。スタッフの方とお話をさせていただくと病院の環境も良くわかります。ただ家にたどり着いてからの疲労感がひときわ大きいのです。ときには精神的に落ち込んだりもします。病状について主治医とも良く話し合い理解しているつもりなのに気持ちがついていかないのです。怖がっている自分に驚かされるのです。少しでもがんばろうとしているときは元気でいられる、でも現実に備えて準備をしようとすると崩れ落ちてしまう。

ターミナルケアの病院を探すにも適切な時期がありそうです。早すぎると気持ちに負担になります。遅くなってしまっては病状に負担が出てきます。

急に息苦しくなり落ち込みました

ほぼ1カ月前、ずいぶん落ち込んでしまいました。病状の変化の忙しさに落ち込む暇もなかったのですが、それは会社でパソコンに向かっているときに始まりました。急に息苦しくなったのです。周りから壁が押し寄せてきて、何度か立ち上がって水を飲みにいきました。仕事に集中できません。訳のわからない焦燥感と、恐怖心でいっぱいでした。

翌日なんとか起き上がれましたが、出勤できませんでした。休んだほうがいい、少し寝たほうがいいと思いました。がんばらなくてもいい、つらいんだと泣きました。以前に何度か涙を流すことで落ち着くこともありましたので。

でもそのとき初めて死を思う精神的な病を感じました。落ち込んで生きていけないと初めて思いました。心が疲れて死を思うことを経験しました。出張から戻ってきて憔悴した私を見た夫が驚いていました。

2週間後の診察日を待って主治医にうつの薬を処方していただきました。ただこの薬を飲むこともなく過ごすことができました。主治医の自力回復ですね、には声をあげて笑ってしまいましたが。

なぜ戻ってこられたのでしょう。幸運でした。

今は、笑うことも、息をすることもとても自然に出来ます。今から思えば、不安を抑え込んで緩和外来に通ったことも原因の一つだったかもしれません。私にはほんの少しだけ早かったのでしょう。何事にも時期があることを思いました。

今は緩和への不安を抱えながらも今の家での状態を快適に過ごし、なるべく体力を温存するように努めましょう。退職する時期が自然にきたように、そのときも自然に訪れるだろうと思っています。

皮膚転移をして初めてこぼした涙

「ぼくのワイシャツだけ別に洗ってくれる、薬をつけているのでしょう。人と会うのにその臭いがワイシャツにつくと困るから」

のどもといっぱいに塊がこみ上げてきて、目がいっぱいに開いているのがわかりました。

夫が背中を見せて、ガシャンとドアが閉まるのと同時に、涙がポロリと落ちてきました。私のせいじゃない、私は何も悪いことなんてしていない、皮膚転移をして初めてこぼした涙でした。ガーゼ交換をするときに体温で暖められた臭いが鼻につくたびにつらい思いをしていました。電車で隣りに座った人が席を立たれると不安になります。仕事中打ち合わせをしていても、なるべく席を遠くに取るようにしていました。家族にすら不安になることもあっただけに。

電話でそのことを話したら友人は不条理だねと言います。自分は抗がん剤の副作用で匂いが全くわからなくなったから平気だよと笑います。何か一つくらいいいことがなきゃね。

その明るい声に励まされました。今はいい、自分で洗えるから、でも洗えなくなったらどうしよう。もっと傷が広がってきて、もっと臭いがきつくなったらどうしよう。自分がしている手当てができなくなったらどうなるんだろう。

洗面所のそばに置いた洗面器に漂白剤をといて、臭いのしそうなものをみんなほうり込んでまとめて洗おう。笑っていよう、まだまだ出来ることはたくさんあるから、まだまだ笑っていられる。ワイシャツを別に洗ってと言った夫はどんなに今私を支えていてくれているのでしょう。そして気づかずに私を小さく傷つけた。これから何度も同じようなことが繰り返されることだろう。大切な家族に傷つけられ、大切な家族を傷つけて生きている。

私はいつもぎりぎりのところに立っている。誰かに手を差し伸べることもできない。とても悲しいことだけども、つらいよね、悲しいよねって思っているだけ。なんにもできない。大切な友達を守ることもできない。

松村尚美

鎌田實様

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