「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者の心の往復書簡 松村尚美さん編 第9回

発行:2005年4月
更新:2013年9月

  

がん患者にとって希望とは何だと思われますか

松村尚美さん

まつむら なおみ
千葉県在住。50歳。1男1女の母。98年乳がん3期との診断を受ける2000年右鎖骨上のリンパ節に再発
現在抗がん剤治療を受けている乳がん患者会「イデアフォー」の世話人の1人でもある

がん患者・松村尚美さんから 医療者・鎌田實さんへの書簡

素敵なクリスマスプレゼント、ありがとうございました。

『だいじょうぶ だいじょうぶ』『100万回生きたねこ』、2冊の絵本、私も絵本が大好きです。ただ子供達が小さかった頃、一緒に読んでいただけですが。

子供達がそれぞれ1冊だけ本棚から選んできた絵本を、ぴったり両脇にくっつく子供の体温を感じながら、どれほど楽しんで読んだことか。

『おふろだいすき』(松岡享子著)、お風呂の中から色々などうぶつがでてくる絵本にドキドキしたこと。

『ねずみくんのチョッキ』(なかえよしお著)、ねずみくんが貸してあげるチョッキがどんどん大きくなるのにハラハラしたこと。

『さむがりやのサンタ』(レイモンド・プリッグズ著)は、題名がむずかしくて、小さかった息子がなかなか言えなくて、ある日何度も練習してぽつんと言えるようになった息子を抱き上げてクルクル回ったりしたこともありました。私のための2冊の絵本、思わずえへんと我が家の子供達に自慢したくなりました。いいえ、いいえ、この往復書簡を読んでいただいている方と一緒に喜びましょう。きっと鎌田さん、皆さんに差し上げたのでしょうから。

わたしの命を精一杯愛していましょう


だいじょうぶ だいじょうぶ
(いとうひろし著 講談社刊)

『だいじょうぶ だいじょうぶ』は小さな男の子とおじいちゃんのお話です。絵がとてもかわいらしいのです。2人とも、頬が少しあかくてちいさな目をしています。大きめのずぼんをはいています。

小さな男の子はおじいちゃんとたくさんお散歩に行きます。いろいろなことに出合って、楽しいことやこわいことにも出合います。そんなときおじいちゃんは「だいじょうぶ だいじょうぶ」と繰り返し、男の子はその言葉に安心をして大きくなっていきます。

そして大きくなった男の子は年を取って病気になってしまったおじいちゃんに繰り返すのです。

「だいじょうぶ だいじょうぶ」。

「だいじょうぶ だいじょうぶ」は繰り返され、次の世代へとつながっていきますね。柔らかな表現と確かな命のつながりで。

そう、うちの2人が小さな男の子と女の子だった頃、私も「だいじょうぶ」ってよく言っていました。今は痛みに涙を流す私に娘は繰り返します。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ、 だいじょうぶだからね」。

『100万回生きたねこ』はちょっとダンディなねこなんです。王様のねこだったり、船乗りのねこだったり、どろぼうのねこだったり、あるときはサーカスのねこだったりもしたのです。

100万回も死んで、100万回も生きたのです。りっぱな、とらねこでした。100万人の人がそのねこをかわいがり、100万人の人がそのねこが死んだとき泣きました。ねこは1回も泣きませんでした。きっと自分が人生の主人公ではなかったから。

でも、のらねことして生きたとき自分が主人公になりました。ねこは自分が大好きでした。自分のことを大好きになったとき、ねこは自分より好きなねこに出会います。

そしてその白いねこが子猫をたくさん生んだとき、自分より大切な白いねこと子猫と暮らすようになるのです。その大切な奥さんである白いねこを亡くしてしまったこのねこは、生き返らなくなったのです。

1つだけとても私がうらやましいと思ったこと。この白いねこ、子猫をたくさん生んで大きく育てて、愛され2人で眠ってしまった白いねこのこと。

愛することを知り、愛するものをなくしたねこは死んでしまう。何回生きようが、自分の命を愛していなければ生きたことにはならない。

私も、わたしの命を精一杯愛していましょう。そうでなければ生きたことにはならないから。

『だいじょうぶ』のおじいさんの言葉を私もなんども繰り返し、『100万回生きたねこ』を思っていましょう。

この本のことを少しでも伝えることができればいいなと心から願っています。

甘えることなく自分と向き合っていこう

鎌田さんは『最後の一葉』の残った1枚の葉を希望と書かれていましたね。鎌田さんはがん患者にとって希望とは何だと思われますか。

私は自分の病状や現在を知ることだと思っています。

再発して以来5年近く、主治医と細かく話し合いながら闘病生活を送ってきました。セカンドオピニオンもいただきました。フィットネスを続け、会社生活を続けていました。続けたいこともたくさんありますが、痛みが強くなってきてやめざるを得なくなりました。残念ですが、たとえどんなに充実した生活を送っていても、これは変わらないことだと思っています。

たくさんの抗がん剤を工夫しながら使ってきましたが、体力がなくなってしまったこともあり、入院も時々します。痛みのコントロールは新しい薬の使い方になれるための入院です。

今は眠るためというより起きておくための薬をいただいています。精神安定剤もいただいています。今度何かあったらとても1人で何とかできないからです。持っておくだけでも安心ですもの。

主治医や看護師の方、信頼する医師に細かな心配りをしていただきながら恵まれた生活を送っています。それでも1人先まわりし、思いがけない迷惑をかけたりしています。

私を恵まれたがん患者とがん友達は呼びます。この往復書簡もその理由の1つです。だからこそ、私はおろおろする自分をそのままに書き連ねています。あなたが私にだけではなくこの書簡を読まれているすべての方々に当てて書かれていることを思うからです。

12月の末に、またNHKの『生活ほっとモーニング』に出ました。体調が良くないこともあり、自信もなかったのですが1つだけ思い定めたことがあったのです。

戸惑い悩む姿をさらけ出すことが私のがんとの闘い方だと思い定めたこと。どこまで出来るかわかりません。甘えることなく自分と向き合っていこう。どこまでできるかわからないけれど。

大きな自然の中で生まれ死んでいく

八ヶ岳の美しい紅葉は終わってしまったのですね。

我が家の庭にはまだ少し紅葉が残っています。そっと指先で触れてもう少しと願っていますが、やがて散っていきます。もずがたくさんやってきました。庭の残った実を食べにやってくるのでしょう。雪と紅葉と実ともずと賑やかな冬景色です。

鎌田さんが好きだと書かれていた「山眠る冬」。そこにどんな景色が広がっているのでしょう。葉が落ちて、雪をかぶって厳しい冬の山が静かにそこにあるのでしょうか。生き物の気配はありませんか。冷たい氷のような水と、葉を落とした枯れ木のような木が眠っているようにそこにあるのでしょうか。

何度も思い描いています。遠くから見るとはっとするほど美しい山々でしょう。音のない静かな山々でしょうか。

「山笑う春」は春の山桜やツツジかしら、きっと花できれいなことでしょう。そう新緑も、「山滴る夏」は濃い緑にすっかり覆われているのでしょうか。

想像ができなくなりました。どんな様子をしているのでしょう。季節ごとの山々、野原、田んぼ。

私の小さな庭と暮らしているとあまり季節の変化はありません。同じ季節が少し姿を変えていきます。それでも季節ごとに花や木が変わるようにと種類を変え、大切に選びながら庭木を植えていったのですが。

大きな、大きな、自然を思います。大きな自然の中で生まれて死んでいく。あの2つの絵本と共通することがありますね。

いつかお会いできる日を夢に思っています。

お元気でお過ごしください。

松村尚美

鎌田實様

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