患者さんの言葉に気づかされた医療への反省

文:田中祐次 東京大学医科学研究所探索医療ヒューマンネットワーク部門客員助手
NPO血液患者コミュニティ「ももの木」理事長
イラスト:杉本健吾
発行:2008年12月
更新:2013年4月

  

ももイラスト

たなか ゆうじ
1970年生まれ。徳島大学卒業。東京大学、都立駒込病院を経て、米国デューク大学に留学。
現在は東京大学医科学研究所探索医療ヒューマンネットワーク部門客員助手。
2000年、患者会血液患者コミュニティ「ももの木」を設立し、定期的な交流会を続けている

前回、患者会の交流会で「みなさんから元気をもらいに来ました」という患者さんの言葉から、僕自身、医療の反省と予感を感じたことをお話しました。今回は、まずその反省について具体的に書きたいと思います。

医学は最近めざましい進歩を遂げています。新しい抗がん剤などの開発、臨床研究を経て、新しい治療方法が開発されています。

ただその昔、このような医学の発展がまだなかった時代にも医療がありました。そして医療者は、患者さんたちを治療していました。そのとき医学は、未発達だったかもしれません。しかし、これは病気に対してだと思います。患者さんという人、その人自身の心に対しては、今とは比べものにならないほど医療が包んでいたのではないでしょうか。

確かに、現代は診断方法、治療方法が開発され、医学は進歩しています。しかし、患者さんの満足はどうでしょう。むしろ低下しているのではないでしょうか?

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医学が発展し、病気の診断と治療が進んだことで医師は病気を中心とした専門家となり、診断、治療に多くの時間がかかるようになりました。外来でも電子カルテの導入により医師の手は患者さんのおなかを触るのではなく、コンピュータのキーボードをたたくようになりました。

医療の中で医師がすべきことが多くなり、診断や治療に時間がとられ、患者さんの心に寄り添う時間や余裕がなくなってきてしまっていると感じます。

実際に患者さんも、先生は忙しいから、看護師さんは忙しいからといって医療者とのコミュニケーションをあきらめている気がします。そして心の問題が残り、医師と患者さんの溝が深まってしまったのではないでしょうか。

患者会に「元気をもらいに来ました」と話す患者さんがいます。その言葉から、医学の進歩により医師の時間が病気中心になってしまい、患者さんの心に寄り添うことが減ってきていると感じます。

しかしその一方で、患者さんやその家族の方は、医学の進歩の恩恵だけではなく心にも寄り添って欲しいと感じている。これが前回お話した、患者さんの言葉を聞くことで気がついた僕の反省です。

患者会に「元気をもらいに来た」ということは、患者さんが望んでいる一方で、今の医療で失われつつあるものが、その集まりにあるからだと思います。現代の医学の発達は良いことです。さらに、患者さんの望むことを、医学の技術の進歩以外のことで見つけることができないものだろうか。だからこそ、患者会で未来への予感も感じています。その話は次回に!!

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