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- ももセンセーの患者とともに
祖母と母から受け継がれた「1つの思い」
たなか ゆうじ
1970年生まれ。徳島大学卒業。東京大学、都立駒込病院を経て、米国デューク大学に留学。
現在は東京大学医科学研究所探索医療ヒューマンネットワーク部門客員助手。
2000年、患者会血液患者コミュニティ「ももの木」を設立し、定期的な交流会を続けている
「患者さんとの談笑」は当然のものだった
「患者会とは、何だろうか?」――そんな疑問を最近やっと説明できるようになったので、そのことを書かせていただきます。
2000年、患者会「ももの木」の活動を始めたときには「患者会とは?」と、深くは考えていなかった、というより、気が付いていなかった、というのが正確かもしれません。
会の設立時は「せっかく入院中に仲良くなったのだから、患者さん同士、退院後も一緒に会う機会がほしいのだろう……。いや、それよりも、何より僕自身が患者さんたちと気兼ねなくおしゃべりしたいしなぁ~~」という極めて単純な気持ちでした。
そんな思いから出発させた「ももの木」の活動に賛同してくれる患者さんがいたことは、もちろん嬉しいことだったのですが、決して驚きはありませんでした。僕同様患者さんたちもは退院後におしゃべりをする場所を求めているのではないかな、と単純だけど素直に考えました。
今、思い返せばまさに「現場の声」だったのでしょうね(「コミュニティの最小単位は2人でいいのです」参照)。
あのころのももセンセー(=僕)は、朝から晩まで病院にいて、休日も病院に通っていました。このことは、臨床の現場で働く医療者にとってはごく当たり前のことのようですが、本当によく働いていたと思います。けれども、上司や同僚などすべての人がよく働いていたため、自分だけが特別にたくさん働いていると感じていませんでした。
そんななかで「退院後の患者さんと談笑したい!」という思いが心の中に浮かんだのは自然の成り行きでした。(この文章を読まれた方々には「当たり前だよ~~」と言われてしまいそうですが……)
ももセンセーの気持ちは臨床の現場で働く医療者の心に根付いているものです。そして、この思いはももセンセーが勧めているMedicina Nova(医師と患者さんとのコミュニケーションを向上させ、信頼関係を築くこと)が広がるだろうと考える根拠の1つです。
さて、ここで話を少し脱線させてもらいますね。
「なぜ、ももセンセーは退院後の患者さんと談笑したいと考えるの?」という質問をときどきされます。たしかに、患者さんと談笑したいという思いは持っていても、実際に患者会を主催するなど、活発な活動をしようとする医師はあまり多くないのかもしれません。
ももセンセーが、患者会活動を考えるようになったルーツは、母方のおばあちゃんにあると思っているんです。
7年が経って導き出された答え
もちろん、ももセンセーは桃から生まれたのではなく、昭和45年2月24日(いつも他の人には「2×2は?」と質問して誕生日を覚えてもらっています)に東京の一角で生まれ、そのまま埼玉県草加市(お煎餅で有名な町)で育ちました。
そのとき、すでに母方のおばあちゃんは天国に行っていましたが、おばあちゃんの生き方はももセンセーに強い影響を与えています。
おばあちゃんの嫁ぎ先は、山や畑を所有しながら養蚕をしていた大農家で、多くの人を雇っていました。
戦後の食糧難の時代、農家に雇われている人たちの家では、子どもに食べさせることさえ苦労していました。それが当たり前の世の中だったのです。
でも、そんななかで、おばあちゃんは、旦那さん(おじいちゃん)や姑(ひいおばあちゃん)の目を盗んで、こっそりと雇っていた人たちに白米を分け与えていたらしいのです。ですから、何かイベントのある前夜には、家の裏口に食べ物をもらいにくる人たちが行列をつくっていたそうです。
そのおばあちゃんが亡くなったとき、ももセンセーのお母さんは中学生でした。お母さんは、目の前で見たおばあちゃんのやさしさや、その死に強く影響を受け、上京して看護学校に通うことになります。
その後、准看護師になり、早くから患者さんと接し、後に生まれる息子のように、患者さんや医療スタッフと「笑顔のある医療」を続けていたようです。
そのときの医療現場は、今よりもおおらかだったのか、信じられないエピソードがあります(このことは誌面では触れないでおきます)。
決しておばあちゃんやお母さんが、ももセンセーに対して何らかの教育をしたことはありません。もしかしたらルーツがあって、Medicina Novaの気持ちは、自然とももセンセーに宿っていたのかもしれません。
今でも看護師である母の言葉で覚えているのは、医師になるときにもらったひと言です。
「患者さんは先生の言葉を信じている。たとえば、朝に腰が痛いという患者さんに『湿布を出しておくよ』と言った先生の言葉を信じ、夜中まで湿布1枚を待っている」
その言葉は、母親からのものだったからなのか、素直に受け入れられました。
研修医1年目のももセンセーは、病院の寮に住み、よく患者さんと一緒に時を過ごしていた記憶があります。
ちなみに外科医になった兄も大学病院の教授から、
「患者さんのところによく行くね~~」と言われていたようです。これもおばあちゃんやお母さんから受け継がれたルーツなのでしょう。
2年の研修を終えたももセンセーが血液内科医師としてのトレーニングを経ていくなかで、患者会(というより、患者さんとのおしゃべりをする会)をつくったのは自然のなりゆきだったのかもしれません。
研修医時代からの患者さんとのエピソードの数々は、今までも覚えています。そして、これからもこのような交流は続くことでしょう。
患者会を設立して7年が経ちました。今なら「患者会とは、何だろうか?」という問いには、こう答えられます。
「患者会はコミュニティなのです」と。