
2004年8月
なかじま さなみ 昭和40年、長男の出産で子宮破裂をおこした際の輸血でC型肝炎に感染。その後、夫であり医師でもある故中島弘道氏の設立した「肝炎の会」の運営に関わり、現在は「東京肝臓友の会」会長を務める。本業はピアノ教師でもある。たわら もえこ 大阪外国語大学卒。サンケイ新聞記者を経て1965年より評論家・エッセイストとして活躍。95年より群馬県赤城山麓の「俵萠子美術館」館長。96年乳がんで右乳房切...


2004年7月
まつばら けい 2000年に子宮がんの手術を受け、同年、患者なかまや協力者らとともに「あいあい」を立ち上げる。共著書に『なぜ婦人科にかかりにくいの?』(築地書館)、『子宮・卵巣がんと告げられたとき』(岩波書店)などがある。 おおたに かつこ 2001年に子宮頸部腺がんの2B期と診断される。治療法に迷い「あいあい」の電話相談を活用して、納得した治療を受けることができた。以来、患者会の必要性...


2004年6月
つやま あつこ グループ・ネクサス発起人の1人。業界紙記者、広告雑誌編集者等を経て結婚後、退職。99年に実母が悪性リンパ腫に。2001年ネクサス設立直後、夫に大腸がん3期が発覚。ネクサス医療フォーラム渉外担当のほか、会報の編集等に携わる。現在、悪性リンパ腫という疾患を広く知ってもらうためマスメディア等に向けて活動を広げている。 あまの しんすけ 1973年東京都生まれ。慶應義塾大学卒。2000年に...


2004年4月
かわむら ひろみ 32歳のとき、子宮頸がん1b期の診断を受け、広汎子宮全摘出術と両卵巣摘出、リンパ節を郭清する。術後の入院中から始まった、更年期障害などの術後後遺症などに悩まされながら、サポートグループの必要性を感じ、オレンジティを立ち上げる。 くどう ちかこ 乳がん歴8年目。オレンジティでは患者とその家族のサポートに重点をおき、ともに学んでいきたい、と語る。一人でも多くの患者の心の声を...


2004年3月
なかざわ いくこ 会員向けに年4回送付する『イデアフォー通信』の作成・編集・発行をしている通信担当世話人。事務所にて年4回(3・6・9・12月)行われている「再発おしゃべりサロン」開催も担当している。 みつのぶ まちこ イデアフォーへの連絡や取材への対応をしている渉外担当世話人。世話人6人が週替わりに自宅で(土・日・年末年始以外夜2時間)無料電話相談を行っているが、そのメンバーでもあ...


2004年2月
かわたけ ふみお NPO法人「ガンの患者学研究所」代表でもある。1990年、NHKのディレクターとして番組作りに携わっていた当時、人間ドックで腎臓がんの診断を受ける。93年にがんの自然退縮をテーマに「人間はなぜ治るのか」(教育テレビ)を制作、以来心のありかたからがんとの関係を考える運動を展開している。 たわら もえこ 大阪外国語大学卒。サンケイ新聞記者を経て1965年より評...


2004年1月
はしもと ひですけ 1938年生まれ。県立高等学校教諭を定年退職後、99~03年まで兵庫県立教育研究所「ひょうごっこ悩み相談センター」相談員。90年に肝臓がんの部分摘出、99年の肺多発転移による抗がん剤治療をはさんで、97年の胸壁転移、01年には肺多発転移を手術により摘出している。 たわら もえこ 大阪外国語大学卒。サンケイ新聞記者を経て1965年より評論家・エッセイストと...


2003年12月
うめだ ゆきお 1919年、東京生まれ。1954年、株式会社日本短波放送入社。1959年、株式会社協和企画(日本医師会広告代理店)を設立。1979年、胃がんのため胃を亜全摘。この手術体験から1982年、胃を切った人友の会「アルファ・クラブ」を結成、世話人代表となる。「私は胃を切った後遺症のスーパーマーケット」と自認する。たわら もえこ 大阪外国語大学卒。サンケイ新聞記者を経て1965年より評論家・...


2003年11月
くぬぎ けいこ 肝臓がんを患った夫の總さんとともに、1987年「生きがい療法実践会」の「がんに負けずにモンブラン登山」に参加。翌年、「どんぐりの会」設立。89年總さん他界の後、代表に選ばれ今日にいたる。 なかむら てつや 1995年、会社の健康診断ですい臓がんが発見される。ステージ4、余命6カ月との診断を受ける。手術以来、10数回におよぶ入退院を繰り返しながらも、社会人として活動を続ける。どんぐり...
