どんぐりの会 会長/椚計子、副会長/中村哲也
がんになってもどんぐりの背比べというのがいいね。


発行:2003年11月
更新:2019年7月

  
椚 計子

くぬぎ けいこ
肝臓がんを患った夫の總さんとともに、1987年「生きがい療法実践会」の「がんに負けずにモンブラン登山」に参加。翌年、「どんぐりの会」設立。89年總さん他界の後、代表に選ばれ今日にいたる。

中村哲也

なかむら てつや
1995年、会社の健康診断ですい臓がんが発見される。ステージ4、余命6カ月との診断を受ける。手術以来、10数回におよぶ入退院を繰り返しながらも、社会人として活動を続ける。どんぐりの会に入会、現在にいたる。

俵  萠子

たわら もえこ
大阪外国語大学卒。サンケイ新聞記者を経て1965年より評論家・エッセイストとして活躍。95年より群馬県赤城山麓の「俵萠子美術館」館長。96年乳がんで右乳房切除。01年11月、「1・2の3で温泉に入る会」発足。

家族にも話せないことまで会った瞬間から話せる

 「どんぐりの会」はできて何年くらい?

 夫と私が「生きがい療法実践会」のモンブラン登山隊に参加したのが87年で、その翌年ですから88年ですね

 がんの患者さんがモンブランに登ったというニュースは憶えているんですけど、会ができたことは知りませんでした。でも、88年というと、日本のがん患者会の最老舗なんじゃない?

 乳がんの「あけぼの会」などもっと歴史の長い会はありますが、部位を問わない患者会としては第一号でした。

 モンブランに一緒に登った人たちで、会を作ろうということになったんですか。

 いえ。モンブラン登山から帰国したら、そのニュースを見た人たちから電話が殺到したんです。私たち自身がんになって悩んできたわけですが、同じように悩んで、語る場を求めている人がこんなにいるんだなぁって。

夫が呼びかけ人となり、11人の発起人で会を設立しました。

 やっぱり、クヌギさんだから「どんぐり」になったの?

 会を作ることが決まったあと、11人の発起人が私の家に泊まって、午前1時2時まで考えたんです。そのとき、埼玉県から参加された方が、『簡単よ。クヌギの木から生まれたんだから、どんぐりでいいじゃない』と。夫は売名みたいでいやだと言いましたが、『がんになってもどんぐりの背比べだなんて、すごくいい』とみなさんおっしゃって決まりました。

 発起人のほかに会員は? 副会長の中村さんは、いつから参加されているんですか。

中村 7年前ですか。私は8年前に余命半年と告知されたんですが、俵さんと一緒で告知後にパソコンを始めました。そうしたら、ネットの中に「どんぐりの会」の会員のアドレスがあって、宗教も政治も関係ないし、代替医療の宣伝もしない。がんの部位も問いませんというので、入らせてもらったんです。

 入会して、何がいちばんよかった?

中村 率直に自分を話せたことですね。入ったその場で親しくなって、それこそ「1、2、3」でつらさとか、友人にも家族にも話せないことも話せてしまう。患者は元気なようでも、孤独です。落ち込むこともけっこうある。会を知って飛びつきました。 「どんぐりの会」は椚さんの性格もあって、本当に自由に話せます。定例会が月1回で、体への負担もさほどない。しかも、私は半年に1カ月ほど入院しますが、その間はみんなが病院に来てくれます。会があるから、そういうことができるんですね。おかげさまで「どんぐりの会」の定例会には北海道や鹿児島からも来るんです。

 月に一度そんなに遠くから? すごい。

家族が入れる患者会に遺族会ができた理由

 中村さんが告知を受けたのは何歳?

中村 53歳です。社長に会って、今までのように猛烈に働くことはできないけれど、それでも使えるというのなら、置いてほしいと話したんです。社長が快諾してくれて、ひとつの安心を得ました。

けれども、仲間はやっぱりいないんです。家に帰っても、自分ひとりががん患者。女房や娘にさえ、はっきり言ってわからない。

 ですから、私、家族で入るというこの会に興味があるんです。うちの会は本人だけでしょう。最初は乳がんの会で始めましたが、肺がんの人も胃がんの人も入りたいと言ってくるから、会員の資格を乳がん患者からがん体験者と書き換えました。

ただ、中村さんの話を聞いてしみじみ「男の人が会にいるのっていいな」と思った。うちの会では男の人は断っているのよ。温泉に入る会だから(笑)。

中村 (笑)混浴。

 みんなそう言うのよ。だけど、混浴の温泉を選んで男の人と一緒に入るというのも、なんだか複雑だし面倒くさいし(笑)。

中村 家族が入れることともうひとつ、うちの会の特徴は遺族会があることですね。

 そのようですね。どんな経緯で家族を受け入れ、遺族会ができたの?

 たとえば、奥様ががん患者で、告知をしていない。どう支えたらいいかわからないというので、家族の方が入会されるわけです。そして、奥様が亡くなったあとも、ハイさよならではむなしい、ここに来れば何でもしゃべれると、月一度の定例会に参加される方が少なからずいたんですね。

あるとき、そうした方のひとりが「妻を亡くした人間は、居場所がない」と発言されたんです。そのとき、すでにご本人は亡くなっているけれども、「どんぐりの会」をふるさとのように感じていらっしゃる家族が多いことに思いいたりまして、 「遺族の会を作りませんか」と声をかけました。

中村 それが分科会の「青空の会」です。

 一緒に定例会をやらないのね。

中村 シンポジウムを開催するときなどは全員が協力しますが、定例会は別々ですね。多少むずかしいんですよ、元気な僕たちを遺族の方たちが見るということが。

 そう思いますよ。立場が微妙に違いますからね。遺族に思い出させてしまうし。

中村 それでも、遺族会を作ったのは、いろいろな人を抱え込むことができる患者会にしたかったからです。そのためにも、さっき話した「宗教、政治、代替医療に関る活動はしない」は基本だと思います。とくに、「効いた」とか「がんが小さくなった」という情報に弱い患者会は、代替医療の狩場みたいなものですから、業者が狙ってくるんです。

 よくわかります。うちの会は旗揚げからまもないから、よくメディアに載るでしょう。そうすると、知らない人から「ぜひ寄付をしたい」と電話があるんです。すべて代替医療ですよ。お金はのどから手が出るほどほしいけれど、やっぱりお断りしています。

うちの会は三つの約束としてホームページにも載せています。ひとつは、会で知り得たことはほかには絶対にもらさないこと。ふたつめは、自分が助けてもらうだけでなく、人を助けることも忘れないこと。三つめは政治と宗教と物品の販売には絶対に会を利用しないこと。この三つを守れない方は即刻退会してもらいますと、ホームページにばしっと書いてあるんです。

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