東京肝臓友の会 会長/中島小波
引き起こされた悲惨な被害 真正面から受け止め、誠意ある対応を

撮影:板橋雄一
発行:2004年8月
更新:2013年4月

  

中島小波

なかじま さなみ
昭和40年、長男の出産で子宮破裂をおこした際の輸血でC型肝炎に感染。その後、夫であり医師でもある故中島弘道氏の設立した「肝炎の会」の運営に関わり、現在は「東京肝臓友の会」会長を務める。本業はピアノ教師でもある。

俵  萠子

たわら もえこ
大阪外国語大学卒。サンケイ新聞記者を経て1965年より評論家・エッセイストとして活躍。95年より群馬県赤城山麓の「俵萠子美術館」館長。96年乳がんで右乳房切除。01年11月、「1・2の3で温泉に入る会」発足。



医師と患者会、双方の立場と関係

 あなたがお書きになった「草創期の思い出」(東京肝臓友の会々報“肝臓の広場”)を読ませていただいて、とても感動しました。病状がかなりお悪かったあなたのご主人が、患者会を立ち上げるのは並大抵のことではなかったと思いますよ。しかも医師という立場で。私も多くの患者会を知っていますが、医師が音頭をとって立ち上げた患者会というのは聞いたことがないです。きわめて異例のことですよね。

中島 そうかも知れませんね。立ち上げるとき、医師の中には反対する方もおられました。

 そうでしょうね。前回対談をした婦人科がんの患者会「あいあい」を主宰されているまつばらけいさんが、“医者と患者の間には暗くて深い川がある”っておっしゃったの。私はああ、うまいことをいうなと思って聞いていたの。

もともと私は女性問題や教育の改革運動をずっとやってきたので医療には疎かったんですけど、自分が病気になり必要に迫られ勉強してみると、埋めがたい溝があることに気がつきました。そんなときにこの「草創期の思い出」を読んで、あなたのご主人のような医師がもっと沢山いてくれたら、医者と患者の間に暗くて深い川は生まれないのに、と思う反面、ご主人も病んで初めて患者の心が分かったのかなとも思いました。

中島 そうですね。病んだから患者の心が本当に分かったんだと思います。立ち上げるきっかけになったのは、入院しているとき、同病の患者さんたちに医者であることが分かってしまったんですね。そのうち患者さんたちが相談に来るようになり、いつの間にか会議室を借りて皆さんの質問に答えるようになったんです。医師としての使命感が目を覚ましたんだと思います。

 「草創期の思い出」の中にご主人が詠まれた短歌が載っているけど、その中の『肝炎の会に入会せしひとり医師なることをかくしいたりき』という歌では、患者会に入りながら医師であることを隠していたわけですよね。どうしてでしょう。なぜ医師が患者会に入ることをためらったり隠したりするのかしら。

医師の間には、患者の領域に踏み込んではいけないと言うような不文律のようなものがあるのでしょうか。

中島 どうなんでしょう。今でも会員の中に医師の方がおられますが、ご自分からは積極的に医師であることをおっしゃらないですね。

 でも医師だからこそ患者の気持ちを一番分かりたいのではないかしら。患者としても医師にこそいろいろなことを分かってもらいたいと思う。あなたはお医者様の奥様だったから、その辺のところ分かりませんか?

中島 患者と医師ってまったく相反する立場ですから、場合によっては自分の存在理由を否定されかねない、といった不安もあるのではないでしょうか。外からは推し量れない葛藤があるんだと思います。

 それでも医師としての使命感が葛藤に打ち勝ったんでしょうね。『開業医と患者の会の推進者と我が二つの立場に惑いつつ在り』『医師我の長病む恥をさらすともままよと患者の会を作りぬ』という短歌を見ると、本当に迷いつつ踏み切られたんだなと言うことが伝わってきます。そういう意味でご主人は“もっとも患者に近い所に来てくれた医師”だと思うし、“治したい、治りたい”という会のモットーがご主人の意思そのものを表していますよね。

“治したい人と治りたい人が一緒になって議論し発言する”。治療の理想だと思います。その点にとても感動しました。

中島 本人も残された最後のエネルギーを患者会に注いでいましたから、そのように言っていただけて喜んでいると思います。

 例えば、ご主人は会としてさまざまな要望を出しておられるけど、医師でなければ思いつかない項目が多いんですね。ふつうの患者会だと情報提供や相談にのることが主な活動になるけれど、医師が加わることによって、医療の内側を知ってこその、根本的な改善要望等が出せる。活動ができる。これは素晴らしいと思いましたよ。

中島 そうですね。うちの会では患者ではない医師の方も入会していますが、情報交換や会報を作る上でとても役に立ってくださっています。

 そうでしょうね。専門家である医師がいるといないとではずいぶん違うでしょうね。やはり医師であるご主人が立ち上げたからこそだと思いますよ。もっともっと多くの医師たちに、患者会というものを認識してもらい参加してもらいたいと願いますね。

国の血液事業政策による感染

 ご主人が亡くなられてからはあなたが意思を引き継いでおられるんですね。

中島 はい。途中紆余曲折はありましたけど。平成2年4月、「肝炎の会」と「東京肝臓病友の会」が合併して「東京肝臓友の会」になってからは私が代表をつとめてもう14年になります。

 ご立派よね。会の運営は皆患者さんなの?

中島 私自身を含めほぼ全ての人が患者ですね。

 私は肝臓病のことはよく分からないんですけど慢性になるとかなり辛い方も多いのではないですか。

中島 そうですね。うちで事務局長をやっている男性は、まもなく肝臓がん治療のために入院するんです。インターフェロンと他の薬を併用することでウイルスが格段に減るという、辛い副作用のある治療をずっと続けていたらウイルスが消えたんですね。ところが病状は進んでいて、肝硬変になってから、肝臓にできたがんの芽が次々と成長し、それを一つ治療するとまた次のがんが見つかるというように、モグラ叩き状態で、今回4つ目の治療をするんです。

 あなたもそうだったんですか?

中島 私もC型肝炎です。一番下の息子を出産したときに子宮破裂を起こしてしまって輸血をしたんです。

 輸血が原因?

中島 はい。同時にフィブリノーゲンという止血剤も使っていますのでどちらで感染したかは分かりませんが。インターフェロンの治療をやりましたが私の場合、ウイルスは消えませんでした。

 今現在の状態はどうなんですか?

中島 現在は非常に安定しています。

 C型肝炎は予後が一番怖いんでしょ?

中島 終末像はがんですから。いつも頭の隅にはそれがあります。今病状は落ち着いてますが、ウイルスはまだいますからいつ暴れだすかわからない。

 完治はないんですか?

中島 ウイルスが排除されてしまえばあります。うちの事務局長も普通なら完治なんです。ウイルスがいなくなったのですから。それなのにがんが発生する。10数年前肝硬変になってから発生したがんが次々に現れてくる。

 こわい病気ですね。でも経緯を伺っていると人災とも言えるのではないですか。

中島 その通りなんです。今の50代後半から70代の人たちに肝臓がんや肝硬変が多いんですよね。それは戦後の予防接種が原因ではないかと言われています。

 針を使い回したことが原因で?

中島 そうですね。それが感染の一番多い原因だと言われています。もう少し若い人たちの原因は血液製剤が多いです。

 それはエイズと同じケースね。そうすると肝臓に関しては、針の使い回しという劣悪な条件の中で感染したケースと、輸血も含め血液製剤の中にウイルスが混入していて感染したケースに分かれるわけだけど、いずれにしても人災によるところが大きいわけですよね。

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