- ホーム >
- 患者・団体 >
- 患者会リレーインタビュー
乳がん体験から医療を考える会 イデアフォー 世話人/光延真知子、中澤幾子
「まず、目の前にいるこの私を、納得させてください」そこからが始まりです!
なかざわ いくこ
会員向けに年4回送付する『イデアフォー通信』の作成・編集・発行をしている通信担当世話人。事務所にて年4回(3・6・9・12月)行われている「再発おしゃべりサロン」開催も担当している。
みつのぶ まちこ
イデアフォーへの連絡や取材への対応をしている渉外担当世話人。世話人6人が週替わりに自宅で(土・日・年末年始以外夜2時間)無料電話相談を行っているが、そのメンバーでもある。
たわら もえこ
大阪外国語大学卒。サンケイ新聞記者を経て1965年より評論家・エッセイストとして活躍。95年より群馬県赤城山麓の「俵萠子美術館」館長。96年乳がんで右乳房切除。01年11月、「1・2の3で温泉に入る会」発足。
患者、家族、医療者、社会 4者の「フォー」として
俵 私が乳がん手術を受けたのは96年3月でしたが、その後、呆然としていて、猛烈に本を読んで勉強し始めたのは96年秋でした。中でも、イデアフォーが出した本、たぶん『わたしが決める乳ガン治療』だと思いますが、とても印象に残っていて、イデアフォーという名前を最初に知ったのもこのときでした。まず、名前の由来を教えてください。
光延 イデアはアイデアとか考えという意味で、フォーとは患者、家族、医療者、社会の4者という意味と、for(~のために)という意味の両方をかけています。「乳がんについてのインフォームド・コンセントが行われておらず、患者に情報が伝わらない。これを何とかしなければ」と考えた患者が、作った会なんです。
俵 会ができたのはいつですか。
中澤 89年です。
俵 今から15年前でしょう。当時、そうした発想は珍しかったのでは。
中澤 厚生省がインフォームド・コンセントの必要性を言い始めたのも、もっとあとのことでしたからね。私が入会したのは93年でしたが、やはりそのとき初めて聞きました。
光延 私は93年の12月ですが、当然のことと思い入会しました。
俵 イデアフォーは先鋭的で闘う患者会だという印象があるのも、そうしたコンセプトのためでしょうね。
中澤 患者会に優しさだけを求める人は、ちょっと違うと感じるかもしれません。同じ病を慰めあうというよりは、社会に発信するほうが、創設以来、割合としては大きいですね。私たちの会の特徴は代表を置かず、世話人による合議制をとっていることですが、世話人にも自分の情報を公開したい人が多いと思います。
俵 世話人は今何人?
光延 13人です。
俵 慶応大学病院の近藤誠さんとの関係はどのようなものですか。今までの講演記録を拝見すると、ほとんど近藤さんが参加されていますね。
中澤 創設当時のメンバーの主治医が近藤さんでした。いろいろな方に講演をお願いしていますが、総会でのQ&Aコーナーには、毎回近藤さんも参加していただいています。日本における乳房温存療法のパイオニアですし、共鳴できる部分もありましたので、何冊かの共著も出版しています。でも、会の顧問医ではありません。
光延 会を立ち上げた時点から、会長も顧問医も置かないという趣旨を貫いているんです。ですから、近藤さんを勉強会の講師にお呼びしたことはありますが、世話人会にオブザーバーとして参加されたというようなことは一度もないんですよ。
「急がなくていい」は医師としてすばらしい言葉
俵 それにしても、告知もせずに乳房を切除するなんてことが、いつごろまで当たり前だったんですか。
中澤 私の場合、最初にかかった総合病院の外科では、「悪いものだと思うので、たぶん切る」という曖昧な説明でした。「がんですね」と聞いても、はいとは言いませんでした。
光延 私も悪いものと言われました。「乳がんなら言ってください」と頼んだら「ご主人を連れてきてください」と言うので、「私のことだから、私に言ってください」と答えました。さらに、「もしがんだったら、温存療法でやってほしい」とこちらから言いました。
俵 よくそこまで勉強しましたね。
光延 しこりに気づいて病院に行ったら、エコー検査までするというのに何の説明もないんです。おかしいと思って、図書館で本を探しました。そこで、イデアフォーが93年に出した『乳がん・乳房温存療法の体験』を見つけたんです。そのあと、イデアフォーに電話して、近藤誠さんの『乳ガン治療・あなたの選択』と朝日新聞記者の生井久美子さんが書いた『私の乳房を取らないで』を紹介されました。慶応病院に電話をしたら、近藤さんが「診てあげるよ」と言われたので、紹介状をもらい、入院して3日目の病院を退院して、慶応病院に行きました。
俵 中澤さんは告知がなかったのに、いつ勉強し始めたの?
中澤 その2年くらい前に、どこかの病院に切らない治療をしている医師がいるという生井さんの記事が、朝日新聞に出ていたんです。それを思い出して探したら、たまたま家にあった雑誌に温存療法やイデアフォーの本のことが出ていました。そして、記事に温存療法をやっているのは慶応病院と出ていたので、慶応病院に行ったのです。
初診の患者は別のクリニックでエコーを受け、その結果をもって診察を受けるのですが、近藤さんに会ったのですが、近藤さんははっきりがんだと告げて「手術はいつにする?」と聞きました。「早いほうがいいですね」と答えると、「ずいぶん長くかかってここまでの大きさになったのだから、そんなにあわてなくてもいいでしょう」という答えでした。
俵 それはすばらしい言葉ですよ。私は、手術の前に仕事が忙しく、本を読む余裕がありませんでした。でも、急がなくてもいいと言われたら、私でも勉強できただろうにと思います。多くの医師が「1日でも早く」と言うことが、すべてのつまづきの始まりだと思いますね。
ところで、この間『再発後を生きる』を拝読してすごくよかったので、会の総会で販売させていただきました。
よくこれだけの方が実名、写真入りでお出になったわね。親兄弟にも黙っている人がたくさんいるのに。
光延 そこを変えたいと思って、公募した再発の体験記ですし、それに賛同した執筆者の方々だったからでしょうね。イデアフォーの体験記は、いつも実名なんです。がんは病気であって、悪いことではないんですから。
俵 私も「卑下することないのに、なんで私は温泉に入れないんだろう」と思って会を作りましたが、がんの問題を超えて美醜の意識が差別を生んでいることに気づきました。「誰かが作り出したスタンダードに近くなければ醜い」という思考回路が、すべての人に染みついているのよ。乳がんではないのに温泉に入れない、入らない人がたくさんいるのを知っていますか?
光延 裸を見られるのがいやで?
俵 そう。太り過ぎているとかしわしわの体をさらしたくないといった理由で温泉に入らない女性が、4割くらいいると思う。そのことと手術の傷跡が気になって入れないのは同じなんです。美意識と差別に関しても、深く考える必要があると思います。
同じカテゴリーの最新記事
- 日本骨髄腫患者の会 代表/堀之内みどり 最新の情報と会員の絆を武器に難病に立ち向かう
- ウィメンズ・キャンサー・サポート 代表/馬庭恭子 婦人科がん。その微妙な心のひだを分かち合う場として
- NPO法人生と死を考える会 副理事長/杉本脩子 悲嘆の先に見えてくるもの
- 支えあう会「α」 代表/土橋律子、副代表/五十嵐昭子 がん体験から命を見つめ、自分らしく生きる
- NPO法人血液患者コミュニティ ももの木 副理事長/大橋晃太 入院患者の生活の場に人間的な温かみを
- 社団法人銀鈴会 会長/久永進 不可能を可能に持っていく努力
- リンパの会 代表/金井弘子 がん治療の後遺症「リンパ浮腫」を知る
- 内田絵子と女性の医療を考える会 代表/内田絵子 乳がんになって教えられたこと、出会ったこと 多くのことを人生の勲章に
- 財団法人財団法人がんの子供を守る会 会長/垣水孝一、ソーシャルワーカー/近藤博子 がんと闘う子供を育み、サポートする社会環境を目指して
- 社団法人日本オストミー協会 会長/稲垣豪三 内向きの活動ではなく外に向けて発信する患者会の活動を!!