精巣腫瘍後にJリーガーとなった元サッカー選手の宇留野純さん(37歳) 「がんを経験したことで、J1のピッチに立つ道が開けたんです」

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2017年7月
更新:2017年7月

  

うるの じゅん
1979年10月生まれ。埼玉県出身。高校卒業後、98年Honda FCに入団。2005年初め、精巣腫瘍と診断、手術。その後再発への不安と闘いながらもプレーし、その年のリーグベストイレブンを受賞。その後、J1ヴァンフォーレ甲府よりオファーを受け、06年に甲府へ移籍し、晴れてJリーガーになる。09~11年はJ2のロアッソ熊本でプレー。12年からはタイでプレーし、16年に入り引退を決意。現在は、ヴァンフォーレ甲府時代の同級生である長谷川太郎氏と会社を設立。主にストライカー育成を念頭に置いたスクールを展開し、活動している

サッカーのアマチュア最高峰リーグであるJFLのHonda FCに所属していた宇留野純さんが、突然がん宣告を受けたのが25歳のとき。手術後、医師からは抗がん薬治療を勧められるが、それは、サッカー人生に終止符を打つという意味でもあった。どうしてもサッカーを諦めきれなかった宇留野さん。そこから、彼のJリーガーへのチャレンジが始まった――。

突然のがん宣告

高校卒業後、Honda FCに所属した宇留野さん。がん発覚後の2005年には、JFLのリーグベストイレブンを受賞するなど、その活躍は目覚ましいものだった

ヴァンフォーレ甲府などで活躍した元Jリーガーの宇留野純さんが、精巣(せいそう)腫瘍を告知されたのは、浜松に本拠地を置くJFLの本田技研工業サッカー部(呼称:Honda FC、以下呼称で明記)に在籍していた2005年1月のことだ。

精巣腫瘍は男性の睾丸(こうがん)にできるがんで、宇留野さんの場合、下腹部にそれまで経験したことのない、刺すような痛みを感じたのが、病気発覚のきっかけだった。

通常、痛みは時間の経過とともに和らぐものだが、この下腹部の痛みは一向に収まる気配がなく、椅子に座って脚を組み直しただけでも激痛が走った。宇留野さんは、これを菌に感染して起こる「副睾丸炎」によるものではないかと思い、その日のうちに近所の泌尿器科のクリニックを受診した。

「僕の知り合いが副睾丸炎になり入院したのですが、その友人は、初め激しい痛みに襲われたと話していたので、それに違いないと思ったんです」

しかし、そのクリニックで超音波などの検査を受けたものの、睾丸の感染症ではないことがわかった。そしてその場で担当した医師から、「はっきりとしたことはわからないが」と前置きした上で、腫瘍の可能性があり、大きな病院で詳しい検査を受けるよう勧められた。

翌日、紹介状を携えて、宇留野さんはすぐさま地元の総合病院を受診。いくつか検査を受けたあと診察室に呼ばれた。

「99%の確率で精巣腫瘍だと考えられます。進行が早いので、すぐにも入院して手術をしたほうが良いです」

担当の医師は、淡々とした口調でそう宇留野さんに言った。

告知を受けたときの心境は、どうだったのだろう?

「あまりにも突然すぎて、実感が沸きませんでした。それまで、がんを意識したことは1度もなったし、知識もなかったので、他人事のように聞こえました。言われるがまま入院して、あっという間に手術を受けていたという感じでした」

抗がん薬が始まれば、サッカー人生が終わる

告知から2日後には手術し、がんの病巣がある右睾丸の摘出手術が行われた。幸い、その時点で、転移の所見は見られなかった。

「そのときは、治療の知識もなかったので、手術で腫瘍を取ってしまえば、もうそれで終わりだと思っていました」と宇留野さん。だが、治療はそれですんなりと終わるわけではなかった。医師から、手術後の抗がん薬治療を勧められたのだ。

「担当の医師からは、手術の結果、他の臓器に転移はしていなかったものの、腫瘍細胞が睾丸を突き破り、血管に侵襲している可能性があるので、抗がん薬治療をしたほうが良いと言われました。しかも検査の結果、僕の場合、非セミノーマ(非精上皮腫)という少しやっかいなタイプの精巣腫瘍だったらしく……、抗がん薬治療、さらには術後の方針として、再度手術を行い、後腹膜(こうふくまく)リンパ節郭清(かくせい)を行う必要も出てくるかもしれないと言われました」

医師から提示されたのは、シスプラチンを含む抗がん薬治療。効果は高いものの、副作用は強く、サッカー選手を続けられる保証はないと言われる。

抗がん薬治療が始まれば、選手生命が終わる――。初めて「がん」という大変な病気に侵されていることを実感した。

「命よりも、もうサッカーができないという絶望感のほうが強かったです。これまで、サッカーに打ち込んできた人生だったので……。これでサッカーを奪われると思ったら、すごく後悔させられた気持ちになりました」

ずっとJリーガーになりたかった夢。高校卒業後、すぐにその夢は叶わず、Honda FCに所属。ただ、大企業の恵まれた環境の中でサッカーを続けていくうちに、サッカーに貪欲に向き合っていた姿に、少し緩みが生じていた時期だったという。

「こういう出来事があったときに、初めて気づかされたというか。何でもっと若いころのようにサッカーに取り組んでこなかったのだろうと。自分自身、すごく後悔しました」

シスプラチン=商品名ブリプラチン/ランダ

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