大腸がんを患って、酒と恋愛を止めました 多彩な才能の持ち主の異色漫画家・内田春菊さんが大腸がんで人工肛門(ストーマ)になってわかったこと
1959年長崎県生まれ。1984年『シーラカンスブレイン』で漫画家デビュー。1993年初めての小説『ファーザーファッカー』がベストセラーになり直木賞候補に。翌1994年『私たちは繁殖している』『ファーザーフアッカー』両作併せて第4回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。また『キオミ』では第112回芥川賞候補に。またミュージシャン、女優、映画監督と幅広い活動をしている。現在、WEBサイト「renta!」で『がんまんが~私たちは大病している~』連載中。著書に『南くんの恋人』など小説・漫画など多数
今や女性のがん死因No.1は大腸がんである。その大腸がんが見つかり人工肛門(ストーマ)を造設することになった漫画家・小説家・俳優・ミュージシャンと多彩な才能を発揮し活躍している内田春菊さん。大腸がん発覚の経緯と人工肛門(ストーマ)になってからの生き方を赤裸々に語ってもらった。
内田春菊さんが体調に異変を感じたのは2015年の秋口のことだった。実は、内田さんは2015年の5月から糖質制限ダイエットを始めていたのだ。
糖質制限ダイエットを始めるきっかけは、2015年春に長女と次女の高校、中学の卒業、入学式が重なり式典に着て行くスーツがきつくて着られなくなったことが原因だった。
糖質制限ダイエットを始めると面白いように痩せてきて、内田さんは夢中でのめり込んでいった。4カ月で10㎏近く痩せることに成功した内田さんだが、その一方で便秘がひどくなっていった。
最初は糖質制限での食生活の変化もあり、体質が変わったことで便秘になったのかぐらいにしか思っていなかった。
しかし、便秘はひどくなる一方で、その上、ガスを出すと便器に血が飛び散るようにもなった。
「それまでも少しは下血していたのかも知れませんが、ウオッシュレットを使っていたので気づかなかったんですね」(内田さん)
だから内田さんは、てっきり便秘で力んでいるうちに痔になったものだとばかり思いこんでいた。
そんなある日、47歳でがんで亡くなった友人の曲を若い人が演奏するというライブに、亡くなった彼と共通の友人と行くことになった。ライブが終わった後、その彼と2人で飲みに行った。実はそのライブには亡くなった友人の奥さんも来る予定だったのだが、子供が風邪を引いたとかでライブには来られなかった。
「だから2人だけで飲んでたので、話し易かったのだと思います」
気になっている症状を何となく話すと、彼は「一度病院で検査してもらったほうがいい」と勧めてくれた。彼は大腸がん経験者だったのだ。
医師から「一刻を争います」と告げられる
その彼の勧めもあって痔の治療で評判のいい近所のクリニックを受診すると、医師から「念のため内視鏡検査をしましょう」と言われた。
そこで、その医師が内視鏡をお尻の中に入れようとするのだが、これがなかなか入らない。
やっとのことで少し中へ入ったかなと思ったら、すぐに抜かれ「大きい病院で検査してもらってください。一刻を争います」と医師から告げられた。
内田さんは「一刻を争うということはがんかも知れないということですね」とその医師に訊ねるのだが、「大きい病院に行ってください」と言うばかりで、「がんだともがんでない」とも言ってはくれない。
「でも、これって『がん』だと言っていることと同じですよね」(内田さん)
家に戻ると、内視鏡検査での精神安定薬服用で意識が朦朧(もうろう)としていた頭で子供たちに「なんか、がんらしいよ」と話すと、15歳だった娘が「死なない?」と心配して聞いてきた。
そのとき「死ぬようながんじゃないよ」と答えたのだが、それでも内心「本当にがんなのかなぁ」と思ってもいた。
医師から「人工肛門は免れない」の言葉に愕然とする
内田さんは男2人女2人の子供を持つシングルマザーである。その子供たちを取り上げてくれた大学病院を受診し、改めて詳しく検査をすることにした。
結果はやはり大腸がんステージIと診断された。
大腸がんと診断された内田さんだが、周りにはがん患者が多かった。また、がんについての本もかなり読んでいて大腸がんは治る確率が高いことも知っていたので、比較的冷静でいられたという。
しかし、医師の次の言葉で内田さんは愕然(がくぜん)とする。
「腫瘍ができている個所が肛門から2㎝のところなので、いますぐ手術をすると人工肛門(ストーマ)は免れません」
内田さんは「人工肛門という言葉は知っていましたが、それがどんなもので自分の体がどうなるのか、心配になりました」と話す。
それはそうだろう、人工肛門と聞いて「ラッキー」と思う人はまずいないだろう。当然、内田さんもそう思った。そもそも人工肛門のイメージは〝サイボーグ人間になるのだ〟ぐらいしか想像が湧いて来なかった。
だから「まず抗がん薬を使用して腫瘍を小さくして距離をかせげば、肛門を切除せずにすむかも知れません」という医師の説明に、内田さんは抗がん薬治療への抵抗はあったものの「副作用は、つわりよりひどくはない」と言われ、術前の抗がん薬治療を受けることを決断する。
「人工肛門になっても、かあちゃんはかあちゃん」
3日間入院して右鎖骨の下に抗がん薬用のポートを埋め込む「皮下埋め込み型中心静脈ポート」の手術を受けた。ポートから抗がん薬を太い血管に2日間かけて投与する。
だから内田さんは抗がん薬の入ったパックを首から下げパーティや食事会、着物のトークショーに出演したり、がん発覚前から通っていた自動車の教習所にも通って無事運転免許も取得した。
また抗がん薬の副作用で髪の毛が抜けたときのためにとバッサリとショートヘアにし、金髪に染めたりもした。
結局、髪の毛は抜けなかったが、抗がん薬治療の副作用はあった。手の指先が水など冷たいものに触れると、ピリピリと痺れるようになった。だから料理などするときは子供たちに手伝ってもらったりもした。
それと便秘は一向に良くならないで、ますます酷くなっていったこと。また膣も痛くなって出血したりしたので、婦人科系のがんも疑って検査もしてもらった。幸いそちらはなんでもなかった。
そんな副作用に苦しめられた内田さんだが、隔週6回(3カ月)1クール行った結果、抗がん薬が良く効いて腫瘍はかなり小さくなっていた。
しかし、肛門からの距離が稼げなかったことで主治医は「肛門を残すのはやはり危険」と判断し、内田さんの人工肛門造設手術が決定した。
正直、人工肛門にはなりたくなかったという内田さんだが、「肛門部の再発の可能性が増すわけで、そうなればとても大変だと主治医から聞かされていたのであきらめたのが本心です」
でも最後の最後までそうならなきゃいいなと思ってもいた。
ただ主治医の説明を聞いていた19歳になる娘が「『人工肛門になってもかぁちゃんはかぁちゃんだから』と言ってくれたのにびっくりして、やっとがんなんだという自覚が出てきました。遅いですよね」と内田さんは笑いながら話す。
人工肛門は小さくてまるで梅干しのよう
2016年4月、腫瘍の摘出と人工肛門を左の脇腹に造設する手術日が決まった。
内田さんは看護師から「手術当日の付き添いの方は?」と訊ねられたが、手術日が平日だったことと手術時間が5時間半もかかるというので、子供たちには付き添いは頼まなかった。
さらに「ご両親やご主人は?」とも聞かれたが、「どちらもいません」と答えた。
内田さんは親や兄弟とはいろいろあってとうの昔に縁を切っていて、また3番目の夫とは2005年に離婚、最近まで付き合っていた彼とはがん発覚直前に別れていたからだ。
「世間一般では、こういう手術をする場合誰かが立ち会うのが普通なんだなぁ」と、内田さんはそのときはしみじみ思ったという。
手術は結局3時間半で終了し、麻酔から目が覚めるとベッドの脇に出産のときお世話になった産婦人科の先生が立っていた。
「私が手術の付き添いが誰もいないと言ったので、可哀そうに思った看護師さんが先生に頼んでくれたのですね」と内田さんは話す。
術後の傷は内田さんが想像していたよりも大きく、肛門部分を閉じて縫い合わせたことでお尻の割れ目がなくなり、2つあった膨らみが1つになっていたのには、病院のシャワールームの鏡で見て驚いたという。
ただ左脇腹に造設した人工肛門は「小さくてまるで梅干しのようで、先生に可愛らしい作品に仕上げてもらいました」と笑う内田さん。
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