直腸がんになった経験を活かし、がんをネタに笑いをとるようになった「ゆーとぴあ」ピースさん 『がんをネタに笑わせるのは、がんを経験したボクたちの使命です』

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2017年12月
更新:2019年7月

  

ゆーとぴあピース ほあし しんいち
1955年大分県生まれ。1977年、城後光義さんとともに「ゆーとぴあ」を結成。長いゴム紐をくわえ思い切り引っ張って顔で受ける″ゴムパッチン″で一躍、茶の間の人気者に。1989年に解散。1996年に再結成。2008年に再び解散。2015年ピースさんが直腸がんになったことで「ゆーとぴあ」が復活し現在、寄席やライブハウスなどで活動中

がんは運が左右する。「ゆーとぴあ」のピースこと帆足新一さんは59歳になるまで1度も、胃と大腸の内視鏡検査を受けたことがなかったが、友人に説得されてしぶしぶ受けた大腸の内視鏡検査で直腸がんを早期のうちに発見できた。

がんを経験したピースさんは、元の相棒でがん患者の先輩でもあるホープ(城後光義)さんとも、がんの話題で盛り上がるようになり、2008年に2度目の解散をしたはずの2人が、ときどきコンビを組んでステージに立つようになった。

山あり谷ありの芸人人生

結成当時の「ゆーとぴあ」のピースさん(右)

ゴムパッチンで一世を風靡(ふうび)したお笑いコンビ「ゆーとぴあ」のピースこと帆足新一さんは昔気質の芸人である。

はじめは歌手志望だったので内山田洋とクールファイブの付き人をしていたが、自分が歌手向きでないことを悟ってお笑いの世界に転じ、同世代の芸人とコンビを組んでステージに出るようになった。しかし、しばらくは鳴かず飛ばずの状態が続き、コンビを解消しては他の芸人と新たにコンビを結成するということを繰り返した。

転機が訪れたのは、1人で群馬県伊香保のストリップ劇場に出ていたときのことだ。その劇場には仲良しのマギー司郎さんも出演していて、彼から3歳年上のお笑い芸人・城後光義さんを紹介されコンビを組むようになった。「ゆーとぴあ」の誕生である。

結成後2、3年は、まったく人気が出なかったが、ゴムパッチンをやられたときオーバーアクションで痛がるようにしたところ、大受けするようになり人気が沸騰した。

引く手あまたとなった2人は人気お笑い番組にバンバン出演し、CMにも数本出た。しかし、浮き沈みは芸能界の常である。一時の勢いがなくなると、ホープさんとピースさんはコンビを解散し、それぞれの道を歩むことになった。1989年のことである。

その後、2人の共通の友人である石倉三郎さんが間に入って96年に「ゆーとぴあ」を再結成。ゴムパッチン芸に改良を加えてステージに立つが、人気は復活せず08年に再度解散。その後、2人は別々の道を歩むようになり連絡を取り合うこともなくなった。

ピースさんが直腸がんを告知されたのは、この2度目の解散からしばらくたった2014年9月のことである。

おせっかいな友人のおかげで早期発見

インタヴュー中のピースさん

きっかけは親しい友人に誘われて受けた胃と大腸の内視鏡検査だった。

「この時は東中野にあるクリニックで受けたんですが、胃も大腸も内視鏡検査を受けるのはこれが初めてでした。僕はヘビースモーカーで、ピースライトを1日3箱吸っていたうえ、毎日ビールをジョッキでがぶがぶ飲んでいたんで、胃で引っかかるんじゃないかと思っていたんですが、引っかかったのは大腸のほうでした」

ただクリニックの医師は、がんの疑いがあることは一言も言わず、直腸にちょっと大きいポリープがあるが、ウチの機器では対応できないので、大きな病院に行く必要があるという言い方だったので、ピースさんはとくに不安を感じることもなく紹介されたJ医大病院を受診した。

「初めて行ったときはいろんな検査を受けさせられて、1週間後にまた来るように言われたんで、行ったら『実は、直腸がんでした』って言われたんです。がんのことは頭になかったんで、言われたときはへこみました」

しかし、そのあと担当のS医師から詳しい説明があり、いろんなことを知らされた結果、ピースさんは、自分はかなりラッキーだと思うようになった。

何よりもラッキーだと思ったのは、何の症状も出ないうちに、たまたま受けた内視鏡検査をきっかけに早期発見できたことだ。

「見つかったがんは大きさが4×3cmくらいあったんですが、表層に留まっていて、ステージⅠの早期がんでした。主治医のSドクターから『症状もないのに、よくこの段階で見つかったね。あと1年遅れていたら、人工肛門になっていたかもしれない』と言われたときは、東中野のクリニックに連れて行ってくれた友人に心の中で手を合わせました。渋るボクを説得して連れて行ってくれたんですから」

もう1つ、幸運だと思ったのは、お腹をメスで切り裂く手術を受けなくても、がんを取ってしまえることだった。

内視鏡を使ったがん切除は、少し前までは内視鏡的粘膜切除術(ERS)が主流で、2cmくらいまでしか対応できなかった。しかし、最近は病変がある部分を、粘膜下層を引きはがすように切除する内視鏡的粘膜剥離術(EMS)が普及し5cmまで対応可能になっている。ピースさんのがんはこれを使って切除することが可能だった。

ピースさんが内視鏡粘膜剥離術による手術を受けたのは12月上旬のことである。

術前にS医師から、全身麻酔にするか部分麻酔にするか、選択するように言われたのでピースさんは全身麻酔を選択した。

「当り前じゃないですか。部分麻酔だと、肛門から器具を差し込まれて自分の直腸がじりじり切り取られる音を聞く羽目になる。マゾッ気のあるヤツなら、そっちのほうがいいって言うかもしれないけど俺はノーマルなんで絶対イヤでした」

内視鏡的粘膜剥離術による手術は内視鏡室で行われ、レーザーで病変がある部分の粘膜と粘膜下層をはがすようにして切除したあと、異常がないことを確認したうえで終了した。

その後の経過は順調で痛みや出血は見られず、ピースさんは動き回ることと水を飲むことに意を注いだ。

つらかったのは空腹感だった。

「術後2日目に3分粥、3日目に5分粥になり、4日目からは全量出るようになったけど、重湯のようなお粥ですからすぐ消化されてお腹がグーグー鳴りだすんです。つらいので退院予定日の前日、朝方、病室に来たSドクターにダメもとで『腹が減って死にそうなんで今日退院させてください』ってお願いしたんです。そしたらOKが出たんです」

ピースさんは退院に際してS医師からは次のことを守るよう求められた。

1:食事に関しては、退院後、固いご飯を腹いっぱい食べてはダメ。しばらくはうどんのような柔らかいものを中心に食べるよう心掛ける。

2:少しなら飲酒もOKだが、ビールはカロリーが高いので1杯まで。望ましいのは焼酎のお湯割りやウイスキーの水割り、ハイボールなどである。

3:すぐに全面禁煙は無理だと思うのでタバコは1日1、2本なら吸ってもいい。

帰宅後、ピースさんはこの指示をしっかり守り、食事はうどんや日本そば、お酒はビールからハイボールに切り替えた。

喫煙は、未練がましく1日1、2本吸うくらいなら、きれいさっぱり止めたほうがましだと思い全く吸わなくなった。

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