がんと闘っていくには何かアクションを起こすこと 35歳で胆管がんステージⅣ、5年生存率3%の現実を突きつけられた男の逆転の発想・西口洋平さん
一般社団法人キャンサーペアレンツ代表。1979年大阪生まれ。神戸商科大学(現・兵庫県立大学)卒。人材紹介会社であるエン・ジャパン株式会社に新卒1期生として入社。関連会社出向、子会社への転籍を経て現在に至る。2015年2月ステージⅣの胆管がんと告知される。子どもを持つがん患者同士がつながることの出来るコミュニティサービス一般社団法人キャンサーペアレンツを立ち上げ、抗がん薬治療を続けながら仕事と並行して活動を続けている
35歳という働き盛りに西口洋平さんを奈落の底に突き落とした胆管がんステージⅣの宣告。
西口さんには当時、幼稚園年長組の娘さんがいた。「この娘のためにも家族のためにもいま死ぬわけにはいかない」。そう思った西口さんは同じ思いを抱えるがん患者と手を携えて生きていくことを決意する――。
「悪性腫瘍って何ですか?」
人材紹介会社の営業職としてバリバリ働いていた西口さんが身体の異変に気づいたのは、2014年の夏ごろのことだった。白っぽい下痢が続いて体も疲れやすくなっていた。最初のうちは仕事のせいかなと思っていたのだが、休んでも休んでも疲れが取れず、下痢は続き体重が減っていった。
近所の病院に行くも、下痢止めをくれるぐらいで症状は一向に収まらない。
年末になって病院に行くと、「胃と腸の内視鏡検査をしましょう」ということに。結果、画像には異常はなかったが、念のため生検をすることになった。
年明けにその検査結果を聞きに行くと、主治医は「細胞の異常はありません」と告げた。が、そのとき西口さんは目が黄色くなり、皮膚が痒くなる症状が出ていた。
「黄疸が出ている。これはおかしい。どうも怪しいので検査入院してください」と主治医は言った。翌日から紹介された病院で検査入院することになった。2015年2月のことである。
検査入院した2~3日後、主治医は「胆管に悪性腫瘍がある可能性が高い」と告げた。主治医に「悪性腫瘍って何ですか?」と聞き返した。当時、西口さんは〝悪性腫瘍〟という言葉を知らなかった。
主治医は「がんのことです」と答え、はじめて自分が35歳で胆管がんに罹ったのだと知った。その後、主治医は胆管がん手術の手順を話すのだが、主治医の説明も頭の上をただ通り過ぎていくだけだった。
診察室を出て、最初に母に電話を入れた。
「自分の人生はここで終わりなのか」、そう思うと母と話しながら涙が止まらなかった。電話の向こうで母も泣いていた。
母との電話を切り、トイレに駆け込んで気持ちを落ち着けた西口さんは、次に奥さんに電話を入れ自分が胆管がんであることを伝えた。このとき、2カ月後に小学校に入学する娘の倖(こう)さんがいた。
「娘の入学式には出られるのだろか」「自分が死んだら家族はどうなるのだろう」などいろんな思いが頭を過(よぎ)った。
胆管がん告知された翌日、奥さんと一緒に改めて主治医の説明を受けた。奥さんは主治医から一通りの説明を受けた後、治療期間や治療費について医師に質問したのが西口さんにはいまでも強く印象に残っているという。
「自分はパニクっているのに、冷静にお金のことを質問できる妻を、正直『すごいな』と思いました」
胆管がんの手術はとても難しく、12時間くらいはかかると説明を受けていた。
胆管がんステージⅣ 5年生存率3%
開腹してみると、腹膜やリンパ節への転移があり、外科的治療は出来ず終了した。
「そのことを私は手術から3日後、医師から聞かされましたが、家族は手術後すぐに聞いて絶句したそうです」
手術すれば治る可能性がある、と主治医から聞いていた西口さんも大きなショックを受けた。胆管がんステージⅣと告げられたからだ。手術までの期間が2週間あったので、ネットなどで胆管がんについて調べていた。だから胆管がんのステージⅣなら、5年生存率は3%であることも知っていたのだ。この数字は絶望的な数字で、「これで5年以内に確実に死ぬんだな」と思ったという。
「あとどのくらい生きられるのか」と主治医に質すも、答えを濁された。やっとのことで主治医は、「ただこの症例で5年生きられたら奇跡に近い」と告げた。
がん告知から3カ月後 職場復帰
5年生存率の低さに打ちのめされた西口さんだったが、彼にとって幸運だったのは、手術が開腹しただけで終わり、体力的な負荷が軽かったこと、開腹手術の傷が落ち着いてから内視鏡で胆管にステントを入れる手術をして、胆汁が流れるようになったことだった。この半年、胆管が詰まって胆汁が流れなくなって、黄疸症状が出て疲れやすくなっていたからだ。
胆汁が流れるようになったことで体の疲れもなくなり、食事もおいしく食べられるようになった。
「自分は本当に死ぬのか」と思うぐらいに元気になっていった。
ただ、がん細胞は依然として体内にあるので、抗がん薬(*ジェムザール+シスプラチン)を週1回、2週間行って1週間休む治療を3月中旬から行った。副作用として脱毛や吐き気があると聞いていたのだが脱毛もなく、吐き気もそんなに強いものではなく通院でもやっていけると、4月の上旬に退院した。
元気を取り戻した西口さんは、胆管がんを告知されてから3カ月後の5月に職場に復帰した。そのときにエン・ジャパンのグループ会社に転籍していた。いくら元気になったとはいえ、以前のように働くことは無理だと考えて、残業なし、9時~18時の勤務にしてもらった。そのうち1日は抗がん薬治療に充てるので実質週4日、残業なしの勤務体制を2015年4月から翌年6月まで続けた。
*ジェムザール=一般名ゲムシタビン
「働き方を変えよう」
抗がん薬治療を1年やっているうちに、シスプラチンが使えなくなった。1種類の抗がん薬が使えなくなった。
「がんを完治させるために何とか手術ができないものか」、と一縷の望みを託してがん研有明病院を訪ねた。しかし、ここでも「こんな状態で手術なんか出来ません。いまやっている治療を出来るだけ長く続けていくことが考えられるベストの選択だと思います」という医師の答えが返ってきた。
抗がん薬治療を1年間続けてきていたので、手術できる状態になったのではないかと思っていた西口さんは、「手術が出来ない状態は1年前のときと何も変わっていないのだ」と悟り、今の働き方を変えようと決心する。
当然、収入も減るが、家族と過ごす時間を多くするためと、2016年4月に立ち上げた「キャンサーペアレンツ~こどもをもつがん患者でつながろう~」の活動に力点を置くためでもあった。早速、会社と相談して週2~3日の勤務としてもらった。
現在、週1日のペースで通院し、ジェムザールの投与を受けている。それを3週間やって1週間休みというサイクルだ。
「キャンサーペアレンツ」を立ち上げる
35歳でステージⅣの胆管がんになった西口さんは、「小さな子どもがいて、そんなに長く生きられそうにもないといった同じような境遇のがん患者と情報交換しながら励ましあって生きていけないか」と思っていた。だが、身近では同じ境遇の人は見当たらなかった。
2015年の秋頃、国立がん研究センターから約6万人の人が小さい子どもを持ちながら、がんと告知されているという数字が発表された。
これを目にした西口さんは、「自分と同じような境遇の人がこんなに多くいるのに身近で何故、見つからなかったのだろう。それは誰も自分がここにいると手を挙げないからだ。誰も手を挙げないなら自分が手を挙げよう」と決めた。
西口さんは早速、友人にこの構想を相談した。すると彼の会社のコンペで「お前が考えていることを提案してみないか」と言われ、急遽「キャンサーペアレンツ」のコンセプトを作成してプレゼンに臨んだのだが、そのときは反応がイマイチだった。
だが「この会を必要としている人は必ずいる」と考え、自前でサイトを立ち上げ、2016年4月にスタートした。
いざスタートしてみたものの最初のうちは全くといっていいほど反応はなかった。
とにかく「キャンサーペアレンツ」のサイトを知ってもらい会員を集めることが第一と考え、各媒体宛てに、「キャンサーペアレンツ」のことを取り上げて欲しい旨のメールを送り続けた。
その甲斐あって「週刊ダイヤモンド」が「終活」の特集を組むにあたって「キャンサーペアレンツ」を取り上げてくれることになった。2カ月前に出したメールだった。
「趣旨がちょっと違うんだけどな」と思いながらも、兎も角取材を受けた。
西口さんにとってラッキーだったのは、その特集記事がヤフーニュースに取り上げられたことだった。凄い反響があって会員は一挙に200人にまで膨らんだ。
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