がん患者や家族に「マギーズ東京」のような施設を神奈川・藤沢に 乳がん発覚の恩人は健康バラエティTV番組 歌手・麻倉未希さん
1960年大阪府大阪市生まれ。1981年「ミスティ・トワイライト」でデビュー。『スチュワーデス物語』の主題歌「What a feeling~フラッシュダンス」、『スクール☆ウォーズ』の主題歌のボニー・タイラーの「Holding Out for a Hero」のカバー「ヒーロー」、『乳姉妹』の主題歌でボン・ジョヴィの「夜明けのランナウェイ」のカバー「Runaway」がある。2017年TV番組企画で受診した人間ドックで乳がんステージⅡが発覚。同年6月左乳房全摘手術と同時に乳房再建手術を受ける。6月末退院、7月には音楽活動を再開する。現在、乳がん検診を呼びかける「ピンクリボン運動」を始め各種がんの啓発活動を行っている
「ヒーロー」や「フラッシュダンス」などの洋楽のカバー曲で大ヒットを飛ばした歌手の麻倉未希さん。彼女が乳がんを発見するきっかけとなったのは、あるTV番組の企画からだった。
番組からのオファーを受け人間ドックを受けたところ、思いがけず乳がんの疑いが。麻倉さんは、番組でその事実を公表するか、迷った末、公表すると大きな反響があった。
乳がんステージⅡ、左乳房全摘手術を受け、同時に乳房再建手術も受けた。退院後、歌手活動の傍ら、がん啓蒙運動に取り組む麻倉さんにその想いを訊いた。
TV番組の企画で乳がん発覚
麻倉未希さんの乳がんが発覚したのは、2017年4月、あるTV番組の企画で人間ドックを受診したことからだった。
当時、お父さんやご主人の病気のこと、また前年の2016年は歌手生活35周年のイベントやライブ活動など公私ともに多忙を極めた生活を送っていて、自身の健康チェックは後回しになっていた。
そんな折り、健康バラエティ番組「名医のTHE太鼓判」(TBS系)から出演依頼が来た。麻倉さんが人間ドックを受診し、それを番組のカメラが追うという企画だった。
「これまで多忙で自分の身体のことは後回しにしていたので、このオファーを逃すと健康診断に行くチャンスはいつになるかわからないと思い、出演依頼を受けました」
2017年4月6日、番組側が用意した都内のクリニックで血液検査を始めMRIやCT検査、胃や大腸の内視鏡検査、PET(陽電子放射断層撮影)、マンモグラフィ、エコー、その他多くの検査を受けた。
検査が全て終わった後、直接クリニックの医師から「左乳房にがんらしい影が2つ映っています」と告げられた。
そのときはまだ、検査のための鎮静剤が体に残って頭がボーッとしていて、深刻な話なのにあまり実感が湧いてこなかったという。
番組内で乳がんを公表すべきか
4月12日、「ひょっとすると腫瘍は良性かもしれない」と淡い期待を抱いて、クリニックから紹介された東大病院に精密検査を受けるため向かった。
そこでエコー検査と、左乳房にある疑わしい腫瘍の生検を行なった。検査終了を待たずに、医師から告げられた言葉で、「淡い期待」は見事に打ち砕かれた。
「左乳房に2㎝ほどの2つの影を確認しました。1つはボヤっと映っているので、もしかしたら良性かもしれませんが、もう1つはハッキリと映っていて残念ですが悪性です。詳しい検査結果が1週間後に出ますのでお越しください」
1週間後、ドキドキしながら東大病院を訪れた際に医師から「残念ながら2つとも悪性でした。幸い転移はありませんが、乳頭の裏側にもう1つ腫瘍が映っています」と告げられた。
病院の外で待機していた番組スタッフに乳がんであったことを告げ、「この結果を局に持ち帰ってどうするか判断してください。私は私でこれから先のことをどうすればいいか、考えて、事務所に連絡します」と話して、番組スタッフや事務所の社長と別れた。
麻倉さんは正直、この事実を放送するかどうか、迷った。
番組制作側はそれまで麻倉さんをずっと撮影しており、TV局もかなりの時間枠を取っている。そのことを気遣う麻倉さんに、事務所の社長は「キャンセルという方法もあるから」と言ってくれてはいた。
自宅に向かう車中で乳がん公表を決断
東大病院を後にした麻倉さんは、神奈川県藤沢市に帰宅するため東京駅からJR線に乗車した。車中、乳がん発覚のショックもさることながら、この結果を番組で公表すべきか、どうか頭の中で様々な思いが駆け巡った。
番組では長い時間の放送枠をもらっているのに、キャンセルしたら申し訳ない、番組で検査したことを自費でやればかなり高額の費用が掛かる。私の乳がんは番組が絡んでいて発見されたことを考えると、公表すべきではないのか。
私が歌っている「ヒーロー」は皆さんを元気づけるため歌っているので、同じようにがんを告知されている方に自分が公表して歌で元気づけられることもできるかもしれないと思ったり、一方、がんであることを公表したことで、がんだからと仕事がキャンセルになるリスクも考えなくてはいけない。
また、どのタイプの乳がんか、まだ判明していなかったので、がんのタイプによっては抗がん薬治療になり、入っている仕事もキャンセルしなくてはいけなくなる。仕事をキャンセルするにしても、その理由がハッキリしていれば、先方に納得はしてもらえる。それなら公表しよう、藤沢駅に到着する前に麻倉さんの気持ちは決まった。
乳房同時再建を希望した理由
乳がんを公表したのは2017年5月に放送された「名医のTHE太鼓判!」の中だった。放送されると、これまで番組内でがんだと公表した例がなく大きな反響を呼んだ。
麻倉さんは今後の治療のことを考え、東大病院で紹介状を書いてもらい4月下旬、自宅から近い湘南記念病院の乳腺外科を受診した。
5月初旬、MRIの撮影に湘南記念病院を訪れた際、東大病院で生検した結果が出ていた。
ルミナルAタイプの乳がんステージⅡでリンパ節に転移していないと思われるが、手術してみなければハッキリしたことはわからない。
左胸の2カ所のがん以外に乳頭の裏側にもう1つの腫瘍がある可能性があったこともあり、左胸全摘手術が提案された。
「乳房を失うのはつらい選択でしたが、歌い続けられるなら胸を失うことも仕方ないと思いました。家族と相談することも考えましたが、7月には仕事も入っていて時間が限られていたのでここで、あまり長引かせるよりはいいと思い手術する決断をしました。その際、お願いしたのは術後、すぐに歌えるようにして欲しかったので、麻酔の掛け方を工夫してほしい、ということでした」
幸いなことに主治医の土井卓子さんはオペラ歌手を何人か手術をした経験があり、通常の麻酔の掛け方でないやり方ができる麻酔医とのスケジュールが合う日に決めましょうと、トントン拍子で手術日は6月22日に決まった。
「もちろんリンパ節に転移していれば放射線治療になる可能性があるので乳房同時再建はできないことはわかっていましたので、万一リンパ節に転移していたら腫瘍を摘出した時点で塞いでください、とお願いしていました」
麻倉さんが乳房同時再建を希望していたのには理由がある。
「歌を歌う場合にはどうしても体のバランスが大事なのです。片方の乳房を失うとバランスが取りにくいという話を聞いていたので、歌い続けていくためには乳房再建が必要だったのです。同時再建をお願いしたのは、麻酔のリスクをできるだけ減らしたかったからです」
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