マインドフルネス・ヨガ:それでいいのだ! 第30回 考えたくないことを考える能力 <ゆらゆらごろごろのポーズ>
知人の1人が肺がんを患い、コロナ禍にあって手術の予定が延び延びになり、緊急事態宣言が解除された後に手術に臨んだところ、腫瘍が想定よりずっと大きくなっていたという話を聞きました。
そういう例はほかにもたくさんあることでしょう。実際、新型コロナウイルスの影響で、がん患者の2割が通院の予定を延期したり中止したりしていたことが、調査会社などのアンケートでわかりました。
WHOは最近になって、新型コロナウイルスに世界人口の約10%がすでに感染している可能性があると発表しています(根拠は示されていません)。2019年の世界人口は77億人と推定されているので、その10%は7億7,000万人。現在(2020年10月7日)の新型コロナによる死亡者数は世界で205万人と推定されています。それで計算すると致死率は0.14%、予想より低い。だから「そんなに恐れる必要はない」と続くのかと思ったら、「これは世界の大多数が依然として危険にさらされていることを意味する」という指摘でした。
危機管理能力とストレス
〝危機管理能力が高い〟というのはどういうことなのだろうか、考えさせられます。
深刻な危機について、そういう事態を想像すること自体が、緊張や不安などのストレス反応を伴います。つまりあまり心地よいことではありません。
日本にはむかしから言霊信仰があります。深刻な危機を考えたり話題にするだけで、深刻な事態を招くという考え方です。
厄災を口にしただけで「縁起でもない」となり、縁起直しに「鶴亀鶴亀」とまじない言葉を唱えるシーンが、昔の時代劇や芝居では出てきます。今ではさすがに縁起直しのまじない言葉を唱えている人は見かけません。そもそも生命保険や損害保険がこれだけあたりまえのことになったのは、深刻な事態に備えるという考え方が一般化したからでしょう。
それでもです。日本が戦争に負ける可能性に言及しただけでも非国民呼ばわりされた、とそこまでさかのぼらなくても、すごく身近な例として、どういう死を迎えたいか本人が家族で話し合っておくことでさえ、かなり抵抗されてしまいます。
「そんな縁起でもない」と一蹴されがちです。
日本における尊厳死の問題点として挙げられるのが、当事者が自らの意思で事前に選んだ尊厳死であっても、本人の意思疎通ができなくなった後で、家族や医師により終末医療の方針が変えられてしまうという現状があることです。
ネガティブ・ケイパビリティと身体の内部感覚への探求
万が万訪れる自分や家族の死についてもそうなのですから、万が一でも起こりえる深刻な事態、それらを想定する必要性を頭ではわかっていながらも、危機的状況について実際にイメージしたり、考えたりすることに心理的な負担を感じてしまいます。そのため結果として、現実に機能するような防災対策が十分とられてないという現状を私たちは理解しないといけないのかもしれません。
福島第一原発の一連の危機対応を振り返っても、深刻な事態が起こることをリアルにイメージして、話し合ったり検討することをしてこなかったことに集約されます。最近、東京証券取引所が終日ストップしたのも、危機対応システムは用意されていたのに、リアルにイメージしてそれらを具体的に運用する話し合いがされてなかったので、実際上も機能しなかったというではありませんか。
そうならば、危機対応の前提として、不安や緊張を伴う〝危機的状況の想像〟をその負担をできるだけ小さくしつつ、私たちは必要な準備を行えるような仕組み作りを目指すべきなのかもしれません。
ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)は、まさにこの「考えたくないこと」を考えるために必要な力ではないかということで今注目されています。「消極的能力」などと訳されることもあるこの『ネガティブ・ケイパビリティ』をタイトルにした著作の作者、精神医でもある帚木蓬生(ははきぎほうせい)氏は、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」、あるいは「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」と説明しています。
テクノロジーが猛烈な勢いで進化し、世のなかの仕組みやルールがめまぐるしく変化し、複雑性が増し、想定外のことが次々と起こる予測困難な状態。そのなかで起こった新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、さらに私たちの仕事や生活を一変させ、状況を正確に把握できない、先がまったく見えない、すぐには答えを出せない、どうにも対処できないという場合に襲ってくる不安と無力感を、軽く見てはいけないと思うのです。 そんなときに支えとなる概念が、ネガティブ・ケイパビリティと自分の身体の持つ内部感覚への探求心ではないでしょうか。
今回紹介するのはゆらゆらごろごろ身体を動かすことで、身体の歪みを調整していくヨガです。楽で気持ち良いほうに動かせば良いとする技法は、日本独自の身体法・操体法を編み出した橋本敬三氏の考え方にも依っています。
自分の内部感覚(快・不快)に基づいて、生体のフィードバック機能を洗練させることが重要です。
<ゆらゆらごろごろのポーズ>
仰向けに寝て、両膝を立てます。両脚を伸ばしての状態と比べて腰背部が緩やかに伸ばされます。普段の生活で腰背部が反り気味の人が多いので、これだけで、腰や背中は楽です。
両膝を胸のほうに引き、両手で膝を持ちます。
①前後にゆらゆらと動かし、腰背部の上から下まで交互にマットに軽く押しつけます。
②左右にゆらゆらと動かします。右の腰のほうに重心がくるときと左の腰に重心がくるとき、自分の体はどう違いを感じてるのか、感じ分けながら行います。
これをやってみて、とくに気持ちよさを感じないならやってもやらなくてもいい。不快な感じがしたらやめましょう。気持ちが良かったら、ゆらゆらごろごろと続けてください。
がんサバイバーやそのご家族でヨガのご体験がありましたら、ぜひ体験記などをお寄せください。kokokara@center.email.ne.jp
●こころとからだクリニカセンター
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