渡辺亨チームが医療サポートする:膀胱がん編
サポート医師・赤倉功一郎
東京厚生年金病院泌尿器科部長
あかくら こういちろう
1959年生まれ。84年千葉大学医学部卒業、同大学泌尿器科入局。
90年千葉大学大学院修了、医学博士。
90~93年カナダ・ブリティシュコロンビアがんセンターがん内分泌学科・ポストドクトラルフェロー。千葉大学助手、講師、助教授を経て、2002年より現職。
前立腺がんの臨床的基礎的研究に従事
痛みのない、ピンク色の尿は、膀胱がんの前兆だった
佐々木秀樹さんの経過 | |
2005年 6月13日 | 血尿に気づき、病院へ。膀胱がんの疑い |
6月20日 | 膀胱鏡検査で膀胱がん発見 |
朝のジョギングから戻ってトイレに入った佐々木秀樹さんは、血尿を見つけた。
「結石では」と思い、病院に駆け込んだところ、膀胱鏡検査により膀胱がんと判明。
これからどんな治療をすることになるのだろうか。
血尿のことで頭が一杯
2005年6月13日の月曜日、関西の茨木市に住む佐々木秀樹さん(59歳)は早朝ジョギングを終えて汗だくになって自宅へ戻って来た。現在機械メーカーの子会社で部長となっている佐々木さんが20年以上続けてきた日課である。
冷蔵庫からペットボトルの水を取り出していっきに飲み干すと、タバコに火をつける。健康にはとても気を遣っており、職場検診もまめに受けている佐々木さんだが、学生時代から続く喫煙の習慣だけはどうしても改めることができない。
シャワーを浴びる前に尿意を覚えてトイレに向かう。このときふと正月に会った中学校時代の同窓会のことが頭に浮かんだ。みんなが排尿のことをさかんに話題にしていたからだ。
「俺は最近やたら小便が近うなって来てな」
「こっちは便所に立っても、小便が出始めるのに時間がかかって困っておるんや」
「それは前立腺肥大やな。排尿障害やで」
「みんなそんな年になってしもうたんやな」
「そういえば、今日は坂田が来てへんけど、あいつは尿路結石というのにかかったらしいで」
「血尿が出て、えらい痛い思いをしたらしいな。病気になってもそんな痛い思いをするのはごめんやで」
旧友たちのそんな会話を思い出しながら、佐々木さんは勢いよく放尿する。
「俺は小便のほうは快調やな。まだ結石の心配は全然いらへん」
が、そう思った次の瞬間、佐々木さんはギョッとした。自分の尿が濃いピンク色に染まっていることに気づいたのである。もちろん初めての経験だった。
「血尿(*1)や。これは坂田と同じ結石かもしれへんぞ」
すぐにそう頭にひらめいた。
「今は痛みはないけど、これから痛くなるんやろか?」
背筋がゾクッとするのを感じる。
「今日は会社に行く前に病院へ寄らんといかんな」
たちまち血尿のことで頭の中がいっぱいになる。
いつも2膳と決まっている朝食だが、この日はあまり食欲がなく、1膳だけで箸を置いた。
「今日はあんまり食べへんのやね」と訝しがる妻の節子さんには、血尿のことは話さないまま、「今日はちょっと早めに出社せないかんから」と食卓を離れる。
痛みのない血尿は要注意
佐々木さんは朝8時30分に開院するエビデンス病院の初診窓口を訪れた。初診問診票を手渡されたので、そのなかに最近の体調や生活習慣について記入する。もちろん朝血尿があったことや喫煙の習慣があることについても正確に書いていく。
泌尿器科の外来で待つと10分くらいで診察室の中に呼ばれた。40歳前後のがっしりした体格の医師が待っている。胸の名札には「石田」と書かれていた。
「血尿があるということですね? いつからですか?」
「今日の朝気づいたばかりなんですわ。ジョギングから戻って小便をしたら、血が混じっていまして。これは結石かもしれへんと思うて……」
「確かに尿路結石でも血尿が見られることがあります。ただ血尿は悪性の場合もありますからね。膀胱がん(*2)などのがんは、血尿で見つかることが多いんですよ」
佐々木さんは、あまり予想していなかった病名を聞いて、ドキッとした。
「おしっこは問題なく出ていますか?」
「ええ、その点は今のところあまり問題ありません」
「痛みはありませんか?」
「はい、まったく」
「血尿は初めてのことなのですね?」
「ええ、そうです」
「痛みがない血尿ということになると、やはりがんという疑いもありえます(*3膀胱がんの症状)」
「ええっ!? そうですか」
佐々木さんは、がんを告知されてしまったかのように、もう背中に冷や汗をかいている。
「直腸診(*4)をしてみましょう」
石田医師は佐々木さんに、診察台に乗って、お尻を向けて横になるよううながした。自分でパンツを下ろすと、まもなく医師の指が肛門から侵入してくるのがわかる。そこで指は何かを探るように動いているようだった。
「前立腺は異常ないようですね」
触診を終えて石田医師はカルテに何やら書き込みながら話す。
「では、今日は採血と採尿をして、あとは超音波とCTの検査をしましょう。その検査の結果が金曜日にはわかりますから、17日にお越しください。必要ということになったらそのとき膀胱鏡検査をしたいと思います。尿道から内視鏡を入れて調べますが、この検査はちょっと痛いですよ」
「えっ、そうなんですか? 怖いなあ」
そのあと佐々木さんは看護師から紙の採尿コップを渡された(*5尿検査)。便器の前に立つ。まもなく放尿が始まるが、佐々木さんはまたも血尿を見たのである。思わず便器の前でつぶやく。
「うわあ、これはほんまにやばいで」
膀胱鏡で乳頭状腫瘍を発見
「佐々木さんの尿の中からがん細胞が見つかりました。どこのがんかはまだわかりませんが、画像検査では尿管や腎盂にはがんはないようです。発生頻度からいって、膀胱がんの疑いが濃厚だといえます。今日は膀胱鏡検査をしましょう(*6膀胱鏡)」
6月20日、佐々木さんは石田医師からこう告げられた。「がんかもしれない」と、ある程度覚悟していたとはいえ、やはり「がんがある」と言われれば「どうしよう」と、うろたえてしまう。診察室の隣の検査室に案内され、検査着に着替えた。
「この台を使って検査します」
検査台は、分娩台と同じかっこうをしている。看護師に「ちょっと恥ずかしいなあ」とこぼしてみせながら、佐々木さんは上に乗った。
「膀胱鏡を入れるとき、ちょっと痛いので、麻酔をしますが、麻酔にアレルギーはありますか?」
石田医師から聞かれて、ちょっと考える。
「あっ、大丈夫だと思います。歯の治療で何度か麻酔をかけたことがありますから」
すぐに麻酔薬が用意される。佐々木さんの敏感な部分にキシロカインゼリーと呼ばれるゼリー状の麻酔が塗られた。10分間ほどのうちにそこはまったく感覚を失っていった。
内視鏡が挿入されていくのがわかった。痛さこそ感じないが、下半身からは今まで経験のない違和感が伝わってくる
「見えましたよ。これが佐々木さんの腫瘍です」
石田医師が治療台の脇のモニターを示した。そこには、ブドウの房のようでもあり、海の中のイソギンチャクのようにも見える不思議な物が映し出されている。石田医師が説明する。
「表在性膀胱がんの典型である乳頭状腫瘍と呼ばれるものです。比較的タチの良いタイプで、1個しかありませんから、手術もそれほど難しくないと思います。ただし、腫瘍の近くに赤く見える部分があるので、手術のときはここも調べることにしましょう」
表在がんか浸潤がんかの診断が治療の方法にかかわる最重要因子
こうして膀胱鏡検査は30分くらいのうちに終わってしまう。
「何が原因で私はあんなへんなものができるんでしょうか?」
診察室に戻ると佐々木さんは石田医師に聞いてみた。
「そうですねえ」と、医師は佐々木さんの問診票を見直す。
「ああ、タバコを吸っておられるのですね?」
「えっ、吸うてますけど。何か関係があるんですか?」
「喫煙は膀胱がんのリスクが高くなるのです(*7膀胱がんの危険因子)」
「はあ、そうなんですか」
「タバコが犯人かどうかはわかりませんが、少なくとも共犯者といえるでしょう」
佐々木さんは「いよいよタバコも止めどきかな」と思っていた。
「では、来週治療方針についてご説明しますから、またお越しください」
佐々木さんは翌週の再来院の予約をしてから病院を出る前に、まだ何本か入っているセブンスターの箱をごみ箱の中に捨ててしまった。
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