腹腔鏡の利点を活かした「福永方式」に国内外からの見学者が殺到する 安全で確実な「胃がんの腹腔鏡下手術」の普及が患者さんを救う
癌研有明病院
消化器外科医長の
福永哲さん
今や胃がんの半数以上が早期がん。腹腔鏡下手術の対象になる人も増えています。しかし必ずしもその術式は確立されたものではありませんでした。これに対し、腹腔鏡下手術の特性を生かした手術方法を開発し、安全性と確実性を高めたのが癌研有明病院消化器外科医長の福永哲さんです。その手術や講演には、今や国内外から見学者が殺到しています。
腹腔鏡の利点を生かした術式の改良が始まった
内視鏡ほど、短期間に医療の常識を変えてしまった道具も珍しいのではないでしょうか。
日本で、内視鏡による初めての手術として胆嚢摘出術が行われたのは1990年5月のことです。それからわずか18年ほどの間に、内視鏡を使った手術はあらゆる部位に広がり、外科手術のあり方を変えてしまったといってもよいほどです。がん治療でも体にやさしい手術、負担の少ない手術といえば、まず腹腔鏡や胸腔鏡など内視鏡が登場すると言ってもいいでしょう。
開腹手術に比べて術後の回復が早いこと、術後の痛みや出血も少なく美容的にも傷痕が小さいなど、患者さんにとってはいくつもの利点があります。さらにがんの場合、医学が進んで全ての人に同じ手術を行うのではなく、病態に応じて不要な切除はしなくてもいいことがわかってきたこと、つまり全体として手術が縮小化する方向が出てきたこと、そして内視鏡自体の性能が著しく向上してきたことが、内視鏡による手術を後押ししてきたといえます。
しかし、その一方で問題点もありました。福永さんは、1994年、つまり内視鏡による手術が始まって間もない頃から、胃がんを中心に大腸がんや食道がんなど消化器のがんを対象に腹腔鏡下手術を行ってきました。その頃はまだ「開腹手術と同じことが腹腔鏡でできる、つまり開腹手術ですることをそのまま腹腔鏡で真似て胃がんをとろうという考え方だったのです」と語っています。それがまた、腹腔鏡下で手術をすることに対する批判をかわすことにもなったといいます。
そこには、腹腔鏡というレンズを通して術野を見て、腹部に挿入した長い器具を操作して行う腹腔鏡下の手術には、直接お腹の中を見て、器具を操作する開腹手術に比べるとハンディがあるけれど……といった消極的なニュアンスも感じられます。開腹手術をお手本にそれに少しでも近づこうとしていたのです。福永さんは、最初からこれに疑問を持っていました。
「開腹手術の真似をすると言っても、実際には手術の環境が違います。腹腔鏡下手術には、腹腔鏡の利点を生かした術式が必要だと思ったのです」。ここから、積極的に腹腔鏡の利点を生かして、誰でも安全に簡単にできる腹腔鏡下手術を目指して、術式の改良が始まったのです。
モニターを見ながら、患者さんに負担の少ない腹腔鏡下手術中の福永さん(左写真中央)
技術的に腹腔鏡でできない胃がん手術はないが……
胃がんは、男性ではがん死の2位になったとはいえ、今でも罹患率はトップ。1番多くの人が発症するがんです。
福永さんによると「すでに、技術的には腹腔鏡でできない胃がん手術はないと言えます。しかし、技術的に可能であることと行ってよいかどうかは別問題。『胃癌治療ガイドライン』では早期胃がんと進行胃がんの1部が腹腔鏡下手術の対象になっています」と言います。ガイドラインでは、腹腔鏡による手術は臨床研究としての治療法と位置づけられ、胃粘膜のがんでリンパ節転移がないもの(T1N0)、あっても胃の近くのリンパ節に限られているもの(T1N1)、粘膜下層まで(T2N0)入った軽度の進行がんも対象とされています。癌研でもこれにそって腹腔鏡下手術が行われています。ただし、「ガイドラインはあくまでも治療の適応についての目安を提供するもので、進行がんに腹腔鏡下手術を行うかどうかは、施設によってばらつきがある」(福永さん)そうです。
胃がんの腹腔鏡下手術はなぜ難しいか
早期胃がんの中には、口から入れた内視鏡で内側から胃がんを切除する内視鏡的粘膜切除術(EMR)の対象になるがんもあります。したがって、基本的にはEMRの対象からはずれる早期胃がんが腹腔鏡下手術の対象になるわけです。1番多いのは、胃の出口側3分の2を切除する手術ですが、入口側を切除したり、出口を残して胃を切除する手術なども腹腔鏡で行われています。
検診や内視鏡検査のおかげで、今では胃がんの50パーセント以上が早期がんで発見されています。腹腔鏡下手術の対象になる症例もかなり多いことになります。実際に、大腸がんでは、すでに腹腔鏡下手術のほうが開腹手術より多くなっています。ところが、大腸がんに比べると胃がんの腹腔鏡下手術はそれほど多くはないのです。
「胃がんの場合、今は年間数千人が腹腔鏡下手術を受けていますが、まだまだ開腹手術が中心です」と福永さん。解剖学的に胃の周囲は複雑で、リンパ節郭清が難しいこと、さらに胃切除後の再建方法もまだ十分確立されていないことなどが、その理由のようです。それぞれが、それぞれのやり方で工夫して腹腔鏡下手術を行ってきたのです。
しかし、だからこそ福永さんの腹腔鏡の利点を生かした手術法が脚光を浴びているとも言えるのです。
改良を加えた結果生まれた「左側アプローチ」
福永さんによると、腹腔鏡下手術はカメラで術野を拡大して見ることができる、開腹手術では上から術野を見下ろして手術することになりますが、腹腔鏡だと胃を真横から見るなど臓器を水平に近い視点から見ることができるのが、大きな特徴だといいます。
つまり、水平の位置から好きな部位を拡大して、見ることができるのです。
こうした利点を活用した新しい術式を作るべく、少しずつ改良が重ねられました。その結果生まれたのが「左側アプローチ」です。ふつう、開腹手術では執刀医は患者の右側に立ってそこから主要な血管やリンパ節郭清を行っていきます。これに対して、福永方式では、「腹腔鏡は水平の位置から胃を見ることができるので、これをもちあげて裏側から切っていく。それがちょうど左側から進入していくことになるのです」。
胃がん手術で、とくに重要なのは左胃動脈と腹腔動脈周囲のリンパ節郭清です。胃がんは、リンパ節転移を起こしやすいがんです。早期胃がんでも、この部分のリンパ節はとくに確実に郭清する必要があります。胃周囲の重要なリンパ節は、胃の裏側に多いのです。胃の左側から入り込んでいくと、「浸出液などで視野が汚れないうちにリンパ節郭清など大事な操作ができるのです」と、福永さんは説明します。腹腔鏡下手術では、視野の確保は絶対条件の1つ。視野がよければ、それだけ手術が簡単になるのです。
もちろん、この他にも進入経路や血管の露出のさせ方、脂肪組織や臓器の避け方、剥離の方法など、小さな工夫があちこちに積み重ねられています。手術を補助する助手のテクニックにも工夫がされています。こうした術式を完成させたのが、2005年のことです。これを学会などで発表したところ、大きな反響を呼んだのです。今では、福永さんの手術には必ず見学者が並び、腹腔鏡下手術の名医として、国内外の学会や講演に招かれています。おかげで、関東地方を中心に、福永方式はかなり普及してきているそうです。
脾静脈を露出させ動静脈間のリンパ節を郭清する*『腹腔鏡下胃切除術』医学書院刊より
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