慢性骨髄性白血病の患者座談会「ずっと笑顔で」 患者同士の支えあいで長期にわたる不安や苦痛を乗り越える

参加者:東條有伸 東京大学医科学研究所先端医療研究センター分子療法分野教授
網 外志明 富山県在住
伊藤優子 会社員
葉山信幸 会社員
阿部 望 会社員
撮影:向井 渉
発行:2007年3月
更新:2013年9月

  

慢性骨髄性白血病にはおそれることなく、前向きに取り組んで

東條有伸さん

東條有伸(とうじょう ありのぶ)
東京大学医科学研究所先端医療研究センター分子療法分野教授。血液内科専門医として東京大学医科学研究所付属病院で血液疾患の診療に従事。同病院の血液腫瘍内科長とセルプロセッシング・輸血部長を兼任。インターフェロンが治療薬として認可された1990年代初めより分子標的薬が主役となった現在まで慢性骨髄性白血病の臨床研究に関与

 


阿部 望さん

阿部 望(あべ のぞむ)
30歳。東京都在住。会社員。妻、娘の3人家族。2004年1月慢性骨髄性白血病、急性転化期と診断。04年1月~04年2月AdVP療法。04年5月造血幹細胞移植。04年11月慢性GVHDによる閉塞性細気管支炎を発症。04年1月より会社を長期休職。06年8月会社に復職

葉山信幸さん

葉山信幸(はやま のぶゆき)
40歳。千葉県在住。会社員。2005年11月、慢性骨髄性白血病慢性期と診断。子供たちと一緒に遊び成長するのが生きがい


網外志明さん

網 外志明(あみ としあき)
35歳、富山県在住。妻、長女、長男の4人家族。現在休職中。2003年3月慢性骨髄性白血病と診断。03年9月造血幹細胞移植するが、再発。白血病と移植後合併症で閉塞性細気管支炎、薬物性糖尿病、骨粗鬆症後、白内障に

伊藤優子さん

伊藤優子(いとう ゆうこ)
40歳。東京都在住。会社員。2005年11月慢性骨髄性白血病、慢性期と診断


体験を役立てたいとブログ公開。ブログのお世話になった

編集長 今日は慢性骨髄性白血病(CML)で闘病されている皆さんに、お集まりいただきました。いい医療を作るには、医療関係者と患者さんと企業がよい関係で協力し合うことが大切です。そこで今回は、製薬会社のノバルティスファーマとの共催で患者さんと専門医の東條有伸さんにご出席をいただき、互いに本音の部分を話し合っていただきたいと思います。最初にご自分の病歴を含めて、自己紹介をお願いします。

葉山 私の場合、会社の定期健診で病気がわかりました。2年前にすでに白血球が9800あり、要観察でしたが、去年の今頃、それが2万8000になりました。専門医の受診を勧められ、大学病院でCMLの慢性期と確定しました。

伊藤 私も発覚は昨年の今頃です。流産後、体調が戻らず、白血球が異常に高い状態が続きました。そこで、大学病院の専門医に診ていただき、CML慢性期と診断されました。将来、ぜひ子どもを持ちたいので、慢性骨髄性白血病の治療をしながらの妊娠・出産についてお聞きしたいです。

阿部 私は約3年前の2004年1月、近所の大学病院での診察で発覚しました。すでに急性転化期に移行していて、薬だけではむずかしいと言われ、5月に妹にドナーになってもらって移植をしました。HLAミスマッチ移植だったため、今もGVHD(移植片対宿主病)が強く、免疫抑制剤を飲んでいます。3カ月前にようやく復職し、残業なしという形で働いています。
実は私、ウェブ上で「crambonの白血病闘病記」というブログを公開しています。 同じ病気の方に少しでも自分の経験が役に立てばと立ち上げたのですが、そこに編集部からご連絡をいただき、参加させていただきました。

伊藤 私もそのブログにお世話になりました(笑)。

移植後の合併症、そして再発長期に続く治療

 私は2003年3月、たまたま献血したときに病気がわかり、献血センターから電話をもらいました。当初は慢性期といわれましたが、最終的に移行期と診断され、兄がドナーになってくれて、9月に造血幹細胞移植を受けました。
診断された3月から移植を受ける9月までは、薬で治療していましたが、移植が成功していったんやめました。ところが翌年、閉塞性細気管支炎をはじめ、GVHDがいろいろな形で出て、1年ほど入院しました。そして翌年、染色体異常が見つかって再発ということになり、再び薬を飲み始めました。
再発後、再移植を勧められましたが、受ける気持ちになりませんでした。今は慢性骨髄性白血病の治療薬と気管支炎の進行を抑えるステロイドの両方で、何とかごまかしている状態です。

東條 私は、インターフェロンが主役だった時期から多くの慢性骨髄性白血病患者さんの治療を担当してきましたが、以前はインターフェロンの投与を受ける患者さんと、その効きが悪いために移植を受ける患者さんが半々くらいでした。ところが、分子標的薬の登場によって、慢性骨髄性白血病の治療指針は劇的に変わり、移植を受ける患者さんは減りました。今日は、そんな様変わりした治療についてお話しし、患者の皆さんと率直に意見交換ができれば、と思っています。

移植を受けたら、人間が変わってしまった

編集長 では、慢性骨髄性白血病と治療についてお聞きします。網さんは、闘病が最も長いですが、いかがでしょうか。

 移植で治り、もう治療をすることはないと思っていました。でも、再発して移植を奨められたとき、移植は2度といやだからと別な方法をお願いしたら、それは薬による治療でした。移植をしないですんだのはよかったと思いますが、副作用が強く、服用がつらいです。正直、ほかに選択肢がない、というのが現状です。

葉山 移植って、そこまでつらいんですね。

 (苦笑)移植も移植後もつらいですね。人間まで変わってしまいました。私は今より30キロも体重があり、ウェイト・トレーニングを趣味としていた人間でしたから、普通の人より力もあり元気でした。今は力もなく、風邪をひいてばかり。一気に年をとった気分です。つまり、普通より元気な状態から、最初の移植後にここまで悪くなりましたから、もう1度同じだけ下がったら、どうなってしまうのか。そう思うと、もう1度移植を受ける気にはなれません。

阿部 私の場合、最初に行った化学療法が効きましたが、寛解にはなりませんでした。そこで、移植をすることになりました。

治療開始して約1年、病気以前とほぼ同じ生活に

編集長 葉山さんと伊藤さんはお2人とも治療歴が1年ほどですが、いかがでしょうか。

葉山 薬での治療をはじめたとき、先生から、「飲める人と飲めない人がある」と聞きましたが、私は飲めて効いたので、ラッキーだったと思います。最初の3カ月で白血球の数がすごく減りました。「最初にこういう結果が出た人は予後がいい」と主治医にも言われ、一応安心していますが、このあとどうなるのか、それが不安でした。でも、長期の成績の結果によると、効果が持続することがわかり、安心しています。

伊藤 私も最初から薬での治療を行っています。3カ月ほど休職しましたが、その後復職し、現在は病気になる前と変わらない生活を送ることができています。

東條 皆さんそれぞれに大変だったことと思いますが、網さんはとくにご苦労されましたね。でも、網さんの選択肢には、私も同意見です。移植後に再発した場合、再移植は大きなリスクをともないます。時間的な間隔も必要ですし、移植後の合併症もリスク要因になる。とくに呼吸器の症状は、合併症の中でも慢性的に続く、コントロールのむずかしい症状です。

むくみと筋肉の痙攣、この副作用がなくなれば…

編集長 副作用についてお伺いします。網さんはいかがですか。

 飲み始めた当初に比べるとかなりよくなりましたが、むくみと、筋肉の「つり」がひどいですね。むくみについては、夜横になると水分が上がって顔がむくみ、朝は目が開かなくなる。日中は1~2時間立ち仕事をすると、靴が履けないほど足がむくみ、むくみで筋肉が圧迫されて痛みも出る。今もこうして座っているだけで、体が屈折するお腹のところに水がたまっています。
一方の「つり」は最初、全身がつって眠れませんでした。今でも鉛筆を持って何か書くと、それだけで指がつって動かなくなるような状態。極端な話、唇までつるんです。

東條 免疫抑制剤と両方の副作用が重なっているのだと思います。ただ、治療を続けるうち、体がある程度馴染んで症状が軽くなることも期待できます。その結果、徐々に免疫抑制剤を減らせるかもしれません。また、新しい免疫抑制剤が認可されたり、治験薬として使えるようになると、副作用も軽減できる可能性があると思います。

編集長 医療的にできることはそれほど多くないのですね。その中で頼りになるのは患者同士の支え合いですね。

阿部 そのとおりだと思います。この病気はとにかく時間がかかります。ステロイドひとつを減らすにも何カ月もかかったり、減量がうまくいかずにまた増やしたり、そういうことをくり返していると、じわじわと不安が募ってきます。同じ病気で苦しんでいる方はけっこう多いと思います。互いにどうサポートし合うか、また、医療関係者にどうサポートしていただくかは、大きなテーマだと思います。


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