膀胱がんと肺がんを乗り越え、今も講談の可能性に挑み続ける人間国宝の講談師、一龍斎貞水さん
がんは特別の病気じゃない。だから怖がらなかったのが復活の秘訣
一龍斎 貞水 いちりゅうさい ていすい
本名 浅野 清太郎。1939年6月29日生まれ。東京都文京区出身。55年5代目一龍斎貞丈に入門。66年真打に昇進し、6代目貞水を襲名。75年文化庁芸術祭優秀賞を受賞。02年講談で初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。09年旭日小綬章を受章。軍記物、史談などを幅広くこなし、とくに特殊な演出を使った「立体怪談」には定評がある
スイカの汁のような血尿を放置した
迫力満点の貞水さんの「立体怪談」
「怪談の貞水」の異名をとる講談師、一龍斎貞水さんが忙しくなるのは、何といっても夏である。照明と音響を巧みに使い、墓場のような不気味な演出が施されたホールの中で、貞水さんが繰り広げる「立体怪談」は全国に多くのファンを持つ。毎年梅雨が明けると、各地で納涼怪談が開催されるため、貞水さんはハードスケジュールに追われることになる。
貞水さんが初めて体の異変に気付いたのは、そんな時期のことだった。
「8年前だったと思いますが、夏場に仲間とワーッと飲んでいたときでした。トイレに行ったら、スイカの汁のような小便が出たんでアレッと思ったんです。血尿だということはもちろんわかりました。でも、程なくして普通の尿に戻ったんで深刻には考えず、『過労によるものだろう』と思って医者にも行きませんでした。我々芸人は独特の診断をするものなんですよ(笑)」
スイカの汁のような色ではなく、真っ赤な血尿が出るようになってきたのは、それから半年ほど後のことだった。
「これは大変だと思って、近所の泌尿器科に行って診てもらいました。先生に『がんですか』って聞いたら、『たぶんそうだ』ってことで、すぐに大学病院に行って検査を受けるように言われました」
内視鏡で取れるがんだった
家の近くにある大学病院で詳しい検査を受けたところ、膀胱がんであることが判明した。告知されたときの心境はどうだったのだろうか。
「ショックは意外になかったですね。がんはけっこう大きくなっていて、ピンポン球くらいの大きさと言われました。でもいい塩梅に、『膀胱の筋層には浸潤していなかったので、全摘手術ではなく、内視鏡手術で取れば治る』という先生のお話でしたから」
貞水さんの膀胱がんは、比較的性質がおとなしい筋層非浸潤性膀胱がんだった。このタイプは開腹手術ではなく、尿道から膀胱鏡(膀胱用の内視鏡)を差し込んで行う手術で対応できるため、体に与えるダメージは比較的軽い。入院期間は1週間から10日ほどだ。告知されたのは6月で、夏の忙しい時期が間近に迫っていた。そこで、日をおかずにその大学病院に入院し、手術を受けることになった。
「手術が終わったあと、先生から『ピンポン球より少し大きいがんがきれいに取れました』って言われました。尿道の細い穴からどうやって取ったんだろうと思ったけど、『きれいに取れたんだったら、まあいいや』っていう感じでしたね」
膀胱がんの内視鏡手術は、がんを丸ごと尿道から引っ張り出すわけではなく、電気メスでがんを削り取る方式で行う。膀胱鏡を入れるときにけっこう痛いのと、1週間くらい違和感が残るのは避けられないが、それ以上のことはない。入院したのは検査も入れて1週間ほどだった。
筋層非浸潤性膀胱がんは、悪性度は高くないので、抗がん剤や放射線による治療は通常行わない。ただ、再発率が30~40パーセントあるため、術後は定期的に検診を受ける必要がある。通常は3カ月間隔だが、貞水さんは2カ月おきに受けていた。
「友達に前立腺がんになったのがいて、『トイレが近くなってかなわない』と言ってたもんで、まめに受けることにしたんです。膀胱鏡を使う検査は前立腺のほうも併せて診てくれますから。トイレが近くなるのは、僕らにとっては重大事なんです。高座の途中で、『ここで、ちょっと厠に行かせていただきます』なんてわけにはいきませんから(笑)」
5年目の全身検査で肺がんが見つかった
このような事情でまめに検査を受け続けたが、再発をうかがわせる兆候は1度も出ないまま、3年、4年と過ぎていった。そして、5年目になってしばらくたったとき、主治医から「今回の検査は安心のため、頭のてっぺんからつま先まで、全身のCTを撮っておいたらどうですか」という提案があった。
「2カ月おきの検査では、CTは時々やる程度なんですが、先生は5年という区切りが来たので、そうやって完璧に診たうえで『完治しました』って言おうと思ったんでしょう。もちろん、こちらも異存ありませんから、やってもらったんです。そしたら、肺のほうに、影があることがわかりまして」
自覚症状は全くなかったという。貞水さんは同じ病院の呼吸器外科でPET(*)などの検査を受けた。その結果、初期の原発性肺がんとわかった。
「がん自体はまだ切れば治る大きさなんだけど、場所があまりいいところではないということでした。左肺の上のほう、大動脈にくっつくようにしてできていたんです。担当の先生は面白い方で、『これはバルチック艦隊です!』って言っていました。日本海海戦のとき、連合艦隊は、対馬海峡を北上してくるバルチック艦隊を前から左旋回して側面から攻撃したんですが、大動脈とがんの位置関係がそれと似ていたんです」
医師が克明に絵を描いて説明してくれたので、医師の言わんとすることは理解できたが、問題はそれにどう対処するかということである。
「『開けてみて癒着がひどい場合は、どうするんですか』って聞いたら、無理にやると大動脈に傷が付いて大量出血して死んでしまうので、その場合は一時的にバイパスを設置することになるというお話でした。そうなると、心臓外科のお医者さんもいないとダメですから、スタンバイさせた形で手術を行うということでした。でも、『僕がトントンとやれば、剥がれることが多いですけどね』ともおっしゃっていたので、そう深刻に考えていたわけではないです」
*PET=陽電子放射断層撮影
中学生のころからタバコに親しんでいた
肺がんを告知されたときの心境はどうだったのか。
「先生はタバコが影響しているというようなことをおっしゃっていたので、『やっぱり、なったなあ』と思いました。やめてから何年かたっていましたが、若いころからずっとチェーンスモーカーでしたから」
実は、貞水さんは中学生のころからの愛煙家だった。
「僕の育った東京の湯島というところは、湯島天神のまわりが色街ということもあって子供がませてて、中学生はみんなタバコを吸っていました。それも、『ピース』を短くなるまで吸うんです。ひでえヤツになると、短くなっちゃったのをマッチに差してスパスパやってました。だから、みんなヤニでツメが黄色くなっていましたよ。学校の先生もそのことはよく知ってるんで、『ツメを見せろっ!』って時々抜き打ちで検査をするんです。慌ててナイフで削ってごまかしていました(笑)」
貞水さんは講談の世界に入ると、タバコを1日60本吸うようになる。
「初めは『いこい』とか『しんせい』とか、そのあとは『ハイライト』とかフィルターの付いたのになりましたね。僕は、仕事(講談)は好きなんだけど、調子よくご機嫌をうかがって、仕事を取ってくるというのが苦手な性分で。だから、場つなぎにタバコが必要だったっていうのもありますね」
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