「人ありてこそ、我あり」の姿勢が、がんを追い払う強運をもたらした スキルス胃がんの手術後も声優業を精力的に続ける声優界のベテラン・たてかべ和也さん
本名・立壁和也。1934年7月25日生まれ。北海道喜茂別町出身。日本大学芸術学部卒業後、芸能界入り。1960年代から声優として数多くのテレビ番組、映画、テレビゲームなどに出演。国民的人気アニメ『ドラえもん』のジャイアン役を26年間務め、不動の人気を得る。現在、ケンユウオフィス取締役
たてかべ和也さんは自分のことを「不謹慎ながん患者」と言う。自分の病期を覚えていなかったうえ、抗がん剤の名前も記憶していない。しかも、かなり病状が悪化しているのに手術よりも仕事を優先しているからだ。それでも、たてかべさんは最善の治療を受け、苦痛やストレスの少ない闘病生活を送ることができた。何がそれを可能にしたのだろう?
アニメの発展とともに歩んだ声優界の重鎮
『ドラえもん』のジャイアン、『はじめ人間ギャートルズ』のドテチン、タイムボカンシリーズ『ヤッターマン』のトンズラー――アニメファンならずとも、彼らの独特のダミ声にはきっと聴き覚えがあるだろう。その声の主は、たてかべ和也さん。日本のアニメの発展とともに半世紀を歩んだ声優界の重鎮だ。
たてかべさんが都心にある大学病院で胃がんと診断されたのは75歳の誕生日を迎えた直後、09年7月27日のことだった。がんは悪性度の高いスキルス型だった。
四半世紀にわたって務めてきたジャイアン役を、05年3月に後進にバトンタッチしたあとも、たてかべさんは声優、および声優の指導者として活躍していた。09年も年初から『ヤッターマン』のトンズラー役を担当しながら、若手声優の指導、講演活動、声優志望者向けの案内書の刊行なども精力的に行っていた。
そんな多忙な日々を送っていたたてかべさんが、胃の不調を感じるようになったのは09年5月、ゴールデンウィークが明けたころだった。
「胃がもたれ、食欲もなくなり、体重が10キロも減りました。はじめは市販の胃腸薬を飲んでみました。しかし、良くならないので近所のかかりつけのクリニックに行って診てもらったところ、胃炎だろうということで薬を処方されたのです。しかし、それを飲み続けても症状が改善されなかったので、再度、そのクリニックに行くと先生も心配顔になり、検査をしようということになったのです」
レントゲン、CT、胃カメラの順に検査を行ったあと、医師は都心にある大学病院あての紹介状をしたためて、たてかべさんに渡し、その大学病院で詳しい検査を受けるように言った。
「先生は、“がん”という言葉を1度も使いませんでしたが、そりゃ、わかりますよ。胃カメラで丁寧に見たあと、すぐに紹介状を書いてくれたんですから」
手術よりも仕事を優先
たてかべさんはその大学病院に3日間検査入院したあと、胃がんを告知された。悪性度の高いスキルス型で、ステージ(病期)は4期だった。
「自分のことなのに、ステージも覚えてなかったんですよ。先生は大手術になると言っていたし、その前に抗がん剤もやるような話もしていたので、初期のがんではないと思ったけど、それまで1度も入院したことがなかったせいか、がんと言われても自分のことのような気がしなかったんです。
死の予感? それはありました。でも、死への恐怖みたいなものは全くなかった。この年まで元気に働かせてもらい、役にも恵まれて、いろいろやってこれたんだから、もう十分という気持ちでしたからね」
告知のあと、医師は患者の希望や都合を聞いたうえで治療方針を決めることになるが、たてかべさんがこだわったのは、レギュラーでやっていたトンズラー役を最後までやりきることだった。『ヤッターマン』は番外編を含めると、11月まで仕事があった。
それを聞いた主治医は、まず抗がん剤を試し、その様子を見て手術が可能ならば、タイミングを見て手術を行うという治療方針を示した。
さっそく、抗がん剤の投与が始まった。たてかべさん自身は薬剤名を記憶していなかったが、投薬の状況からTS-1(一般名テガフール・ギメラシル・オテラシルカリウム)とシスプラチン(一般名)の2剤併用と思われる。
親友が示したたてかべさんへの気遣い
今まで大病を患ったことがなかったたてかべさんは、がん闘病について「貴重な人生経験ができる」と前向きに考えたという。死への恐怖感はなかったが、1つ気になったのは葬式のこと。たてかべさんには妻子が無い。しかも、1人っ子で兄弟もいない。そのため、葬式は事務所に面倒をかけることになる。
所属事務所は、トップ級の声優の1人、堀内賢雄さんが社長を務めるケンユウオフィス。堀内さんは27年前、たてかべさんが才能を見いだして声優の世界に引き込んだ人物である。それ以降、2人は常に行動を共にし、02年に堀内さんが前の事務所から独立してケンユウオフィスを立ち上げた際、たてかべさんも役員として経営に参画し、若手の指導・育成などで力を発揮してきた。このような関係だったので、2人は気兼ねなくなんでも話せる仲だった。
たてかべさんは、堀内さんとの酒の席で、軽い口調で葬式の話をした。
「賢雄(堀内さん)、俺、がんで死ぬかもしれないけど、葬式は内輪でやってくれればいいから」
「いやいや、カベさん(たてかべさん)、それはできないよ」
「なら偲ぶ会なんてどうだ?」
「それもダメだよ。葬式は盛大にやるから」
そんな会話をして、「俺たちって何て楽観的なんだ」と大笑いしたそうだ。
そして、堀内さんはこう言った。
「カベさん、葬式の心配より、まずがんを治すことを考えなくちゃ。事務所ぐるみでバックアップするから」
堀内さんは、たてかべさんの診察や治療があるときは、2人いる事務所のチーフマネージャーのどちらかを付けてサポートさせてくれた。
「これはありがたかったですね。僕は1度も入院したことがなく、事務的なことが苦手なんで、入院や保険の手続きなんかを自分でやることになったら、ものすごいストレスになったと思うけど、一切のことはマネージャーがすべてやってくれたので本当に助かりました」
抗がん剤はよく効いて、がんは大幅に縮小した。しかし、副作用も軽微なものではなかった。
「もともと頭には毛がなかったけど(笑)、でも、ヒゲが生えなくなりました。爪が黒ずむとか、涙が出やすくなるとかいった副作用もありました。しかし、何といっても、いちばん悩まされたのは貧血。ちょっと動くたびにフラフラして休まなきゃいけないんで、本当に困りました。それだと仕事ができなくなるので結局、11月中旬から輸血を受けることになりました」
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