夫婦二人三脚で成人T細胞白血病克服を目指す 前宮城県知事・浅野史郎さん
闘病中に最も心の支えになったのは妻です
浅野 史郎 あさの しろう
慶応義塾大学総合政策学部教授。1948年2月8日生まれ。宮城県仙台市出身。東京大学法学部卒業後、厚生省(現厚生労働省)に入り、生活衛生局企画課長などを歴任。93年11月、宮城県知事に当選。2005年11月まで3期務める。06年4月から現職。テレビのコメンテーターとしても活躍している。趣味はジョギング
「くすぶり型」が「急性型」に転化
成人T細胞白血病(ATL)は、HTLV-1というウイルスに感染することによって発症する難治性の血液がんだ。浅野さんは05年、献血をした際にHTLV-1ウイルスに感染していることが判明し、東北大学病院血液内科で3カ月に1回、検診を受けていた。
成人T細胞白血病の特徴は、HTLV-1ウイルスに感染しても大半は一生発症せずに終わり、発症するのは3~5パーセント程度であること、感染から発症まで通常、40~60年以上のタイムラグがあることだ。
主な感染経路は、キャリアーの母から子への授乳である。そのため、乳児期に感染し、50歳を過ぎてから発症するケースが多い。
浅野史郎さんもその経路で感染し、半世紀以上経ってから発症している。はじめは、治療の必要もない「くすぶり型」だったが、途中で悪性度の高い「急性型」に転化するという道筋を辿った。
「東北大学病院では、はじめに血液検査を遺伝子レベルまで行うことになって、血液中の白血球を調べたら、HTLV-1ウイルスが入り込んで自己増殖している細胞があることがわかったのです。これによってくすぶり型の成人T細胞白血病と診断されたのですが、深刻に受け止めなかったですね。何の自覚症状もなかったし、医師からも、生活面でとくに控えることはないと言われていましたから」
くすぶり型は、末梢血液中に異常細胞が少数存在する段階だが、治療をしなくても長期間変化が見られないことが多い。ただし、途中で急性型に転化するケースも少なくないという。
2009年も東京マラソンを完走
宮城県知事時代は改革派として全国に知られた
ジョギングを愛好し、フルマラソンに出場経験も
健康には人一倍自信があり、宮城県知事時代(1993~2005年)、マラソン愛好者として知られた浅野さんは、その後も分刻みのスケジュールの合間を縫ってジョギングを続け、フルマラソンにも出場している。09年の東京マラソンでは、4時間15分で完走している。
このように元気そのものだった浅野さんが東北大学病院の医師から急性転化を告げられたのは、東京マラソンの2カ月後、09年5月末のことだった。
「急性型の発症と認められます。治療を始める時期になりました」
医師からこのように伝えられたときは、さすがの浅野さんも少なからぬショックを受けている。
「急性転化する可能性はあると言われていたので、青天の霹靂というわけではなかったけれど、『自分は急性転化するはずはない』と楽観していたので、一瞬ですが打ちのめされました。そのあと、いろいろお話を聞いたのですが急性転化した場合、生存期間中央値が11カ月と聞かされ、事態の深刻さに身震いがしました」
しかし、ショックはそう長くは続かなかった。いちばん近くに強力な味方がいて、二人三脚で成人T細胞白血病と闘っていくことを約束してくれたからだ。その強力な味方とは、奥さんの光子さんである。
完治を目指すなら骨髄移植しかない
東北大学病院で急性型成人T細胞白血病の発症を知らされたあと、浅野さんは、東京の3つの医療機関を訪ねて、さまざまな意見を聞いた。成人T細胞白血病が症例の少ない珍しい血液がんであること、発見から30年しか経っておらずわからない点が多いこと、有効な治療法が確立されていないことなどが理由だ。
抗がん剤が効きにくいタイプで、抗がん剤治療をしても、いったんは寛解(*)になっても、すぐに耐性ができ、効かなくなる。どの医師も「成人T細胞白血病の完治を目指すなら、骨髄移植しかない」という見解で一致していた。骨髄移植は3年生存率が45.3パーセントと報告されており、高い確率で治癒を期待できる治療法はこれしかないというのが現状だった。
その結果、東京・白金にある東京大学医科学研究所付属病院で抗がん剤治療、国立がん研究センター中央病院で骨髄移植による治療を受けることに決めた。
*寛解=がん治療によって、症状が軽減して落ち着くこと
内助の功で名医とめぐり合う
クリスマスを国立がん研究センターで過ごす浅野さん。
医師がサンタクロースに扮して励ましにきてくれた
09昨年6月、浅野さんは東京・白金にある東京大学医科学研究所付属病院に入院し、成人T細胞白血病の研究と治療で高い実績をあげている内丸薫医師のチームの治療を受けることになった。そして、内丸医師のアドバイスにしたがって、成人T細胞白血病の「ミニ移植」(*)を多く手がけている国立がん研究センターの田野崎隆二医師のもとで、ミニ移植を受けることになった。
ミニ移植は、通常の骨髄移植に比べ、患者に与えるダメージが比較的少なく、成人T細胞白血病の治療に革命をもたらしたといってもいい移植法だ。通常の移植は、移植前に抗がん剤の大量投与と放射線の大量照射を行うため、ダメージが大き過ぎて50歳以上の患者には行えない場合が多い。そのため、発症平均年齢が60歳くらいの成人T細胞白血病の治療には適さないケースが多かったが、ミニ移植は70歳くらいまでは可能なので、成人T細胞白血病患者の多くが骨髄移植の恩恵を受けられることになったのである。
浅野さんが東北大学病院で急性転化を告知されてから10日もしないうちに、東京大学医科学研究所付属病院で治療を開始できたのは、政治力や人脈を利用したものではなく、奥さんの光子さんの熱意の産物といってよい。
「私自身は成人T細胞白血病になるわけがないとタカをくくっていましたが、妻は私のことを気にかけていて以前、新聞で東大の先生がこの病気を研究しているという記事を読んだことを覚えていたのです。ちょうど、友人がインターネットの検索で東京大学医科学研究所のATLセカンドオピニオン外来を見つけ、教えてくれました。『これだ』と思った妻がすぐさま東大に電話をかけたら、ちょうど内丸先生がいらして、数値を言ったところ、『すぐに来なさい』ということになったのです」
*ミニ移植=移植前に抗がん剤治療と放射線照射を行うが、フル移植ほど強力な前処置は行わず、他人の造血幹細胞をスムーズに生着させる方法
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