人生イコール、プロレス。だから腎臓1つでもリングに立つ! 腎臓がんから奇跡の復帰を果たした“絶対王者”プロレスラー・小橋建太さん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2009年10月
更新:2018年9月

  
小橋建太さん

こばし けんた
プロレスリング・ノア所属。プロ入り後、人一倍のトレーニングでプロレス界を代表するレスラーになる。01年に肘、膝など5度の手術で長期欠場。復帰後、GHCヘビー級王座を獲得すると13度連続防衛に成功し、絶対王者と呼ばれる。06年6月、腎臓がんが見つかり、7月に摘出手術。07年12月2日、日本武道館大会で546日ぶりに奇跡の復活をとげる。

腎がんで片方の腎臓を摘出したスポーツ選手が、現役復帰した例は過去に例がない。このありえないことを、小橋建太さんは成し遂げている。術後、プロレスラーとして再びリングに上がるまでの1年半の間、彼は何を思い、どのような道程を経て「奇跡の復帰」を果たしたのか。

セカンドオピニオンをまわり、治療法を模索

腎臓に腫瘍があることがわかったのは、06年6月19日に行われた所属団体であるプロレスリング・ノアの定期健康診断のときだった。

検査を担当した医師から、なるべく早く精密検査を受けることを勧められたため、小橋建太さんは3日後、家の近くの病院でCT(コンピュータ断層撮影装置)検査を受けた。

2日後に、結果が出た。

まず医師は腎臓の上のほうに4センチ大の腫瘍があることを告げた上で「腫瘍には良性と悪性がありますが……」と前置きの説明をはじめたが、小橋さんはそれを遮って「先生、がんですか?」と単刀直入に尋ねたという。

「そうに違いないと直感したんで、結論を先に聞いたところ、ほぼ間違いないという。腎臓がんは他のがんと違って開けて病理検査をしないと悪性かどうかの判断はつかないんですが、CTに映しだされた腫瘍は医学書に出てくる典型的な腎臓がんの形状だったんです。お医者さんからは、『腎がんは抗がん剤や放射線が効かないので、がんができた右の腎臓を全部手術で取るしかない』と言われました」

このあと、小橋さんはがんについて勉強し、がん専門病院や大学病院を3施設回って、自らセカンドオピニオン(第2の意見)を受けている。

全摘出手術ではなく、部分切除術(がんとその周囲だけを取る)でも治療は可能ではないか、と思ったからだ。

「右の腎臓を全部摘出すると腎臓が1個だけになるので復帰が難しくなるけど、部分切除なら半分残る。腎臓が1.5個あれば、復帰できると思ったんです。でも、そんな単純なものじゃないようで、どのお医者さんも部分切除だと再発の可能性が高まるので、全摘のほうが生存率が高いという意見でした」

2年間休んでいた高山選手との復帰戦にどうしても出たかった

最終的に、治療はセカンドオピニオンを受けた医師の1人、横浜市立大学病院の中井川昇医師に委ねることにしたが、思いどおりにならないことがあった。

手術を受ける日取りである。

小橋さんは、ひと月後の7月下旬に手術を受けようと思っていた。

「そうしたいと思ったのは、中旬に武道館で脳梗塞で2年間休んでいた高山善廣選手の復帰戦が組まれていて、それにどうしても出たかったからです。手術日についても、中井川先生は反対で『腎臓がんは進行が遅いタイプが多いけど、中には速いタイプもある。もしそうだとしたら取り返しがつかなくなる。今すぐ手術を受けることをお勧めします。生きていれば、なんでもできる。まずは、生きましょう』と言われました」

この主治医のアドバイスを受けて、小橋さんは全摘出手術を決断。

7月3日に、横浜市大病院に入院した。

筋肉が分厚くて腹腔鏡のメスが腎臓まで届かない!?

写真:小橋建太さん

手術は、従来の開腹手術よりダメージの少ない腹腔鏡下手術で行われることになっていたが直前になって思ってもみない問題が生じた。

「手術前日の夜8時ごろに、中井川先生が病室に来て、『小橋さんは、筋肉が分厚くて人の3倍もあるので、腹腔鏡下手術だと内視鏡カメラや超音波メスが腎臓まで届かないかもしれない。そうなった場合は、横からバッサリ切ることになります。それで、いいですか?』と言われたんです」

「横からバッサリ」というのは、通常の開腹手術になるという意味だ。

これだと腹の横のところを30センチくらいメスで切るので筋肉が切断され、リハビリに時間がかかる。できれば避けたいところだが、小橋さんは「そうなったらお任せします」と答えた。手術を前にして、当面はがんを治すことに集中しようという気持ちになっていたのだ。

しかし、懸念された事態は起きなかった。

翌7月6日に行われた手術は、機材が何とか腎臓に達し、予定通り腹腔鏡下で行われ、5時間半かかったものの無事終了した。

「手術後、麻酔が切れると傷口がものすごく痛んでしばらく眠れない状態が続きました。縫い目がちぎれるんじゃないか、と思うくらい激しい痛みでしたね。もちろん痛み止めは処方されるんですが点滴も飲み薬も全然効かなくて、座薬を入れてもらって少しの間痛みがやわらぐ感じでした。プロレスラーだから痛みには慣れていると思うかもしれないけど、ケガや打撲による痛みとは全然違うんです。それにリングの上では気が張っているけど、病室では落ち込んでいますから」

腎臓の機能などが改善されるまで多少時間がかかったため退院は予定より少し遅れたが、それでも術後3週間後の7月27日には退院することができた。

高脂肪・低タンパクの腎臓食で、体重が20キロも落ちた

大変だったのは、退院後からだった。

「退院前に中井川先生からしばらく家で安静にしているように言われたので、1日中ソファに体を沈めてボーッとしていたんです。でも、毎日そうやっていると精神的な部分が病んでくるんですよ。200メートル先のコンビニに行こうとするだけで、じっとり汗をかいて、フラフラするんで、『この先、どうなってしまうんだろう』と不安になりました」

そんなことに耐えられなくなった小橋さんは、8月下旬、中井川医師に電話を入れて、「体を動かしたい。これ以上じっとしているのは無理だ」と伝えた。

「そしたら『水中歩行ならいいでしょう』と言われたので、水中歩行を2時間ぐらいやるようになったんです。そのあと道場でも、軽いトレーニングを始めたけど、復帰に向けて光が見えてくるような状態ではなかったです。それどころか、どんどん遠ざかっていくように思えて。ある日、風呂に入ろうとして鏡を見たら、体全体の筋肉が落ちて体型が変わっちゃってるんですよ。体重も20キロ以上落ちてて、ショックもショック、すごく落ち込みました」

筋肉が急速に落ちたのは、厳しい食事制限を課せられていたからだ。

小橋さんが課せられていた食事制限は、高脂肪・低タンパクを徹底することだった。

「プロレスラーは筋肉を作るため、高タンパク・低脂肪の食事をするのですが、正反対になったんです。高脂肪・低タンパクの腎臓食をやるようになってから、体重はどんどん落ちました。この腎臓食は徹底していてエビフライなんかも、普通はエビが8~9割で衣が1~2割ですが、逆なんです。分厚い衣の中に、マッチ棒みたいなエビが入っているんです。はじめは、『何だ、これっ』て思いました(笑)」

筋肉がどんどん落ちるので、それを止める手段はないものかと思った小橋さんは、9月に整形外科医やサプリメント(栄養補助食品)の製造会社の人などを集めて、腎臓に負担をかけないタンパク質やアミノ酸のような食べ物はないかを調べて欲しいと頼むが、結局ないとわかり、ますます落ち込むことになる。

人気投票で1位になった、との知らせに感激した

落ち込むと、気持ちが前に進まなくなる。小橋さんは日課となっていた道場での軽いトレーニングすら、やる気がうせてしまった。

「行きたくない気持ちのほうがはるかに強くて心の9割を占めているんだけど、1割のもう1人の自分が無理やり引きずっていく感じでした。光は全然見えないけど、見えるようになりたいという気持ちでそうしていたんです。でも、道場で体を動かしていても、『何のために道場に来ているんだ?』と、そんなことばかり考えていました」

そんなとき、大きな励ましになったのはあるケータイ・サイトが行ったプロレスラー人気投票で1位になったという知らせだった。

「感激しました。もう何カ月もリングに立っていなかったし、まわりからも復帰は無理、そのまま引退……と言われていた中で、こんなにたくさんの人が自分を待ってくれているんだと。ファンの存在が、励みになりました」

ファンにひとこと感謝の気持ちを伝えたかった小橋さんはその年の12月、術後初めてリングに上がり、ファンに近況報告を行った。しかし、とても復帰宣言をできるような状態ではなかった。

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