度重なる試練を乗り越え、現在も女医として多忙な日々を送る小倉恒子さん
戦場に立って20年。ピンチを切り抜け生の輝きを放ち続ける

取材・文:吉田健城
発行:2008年4月
更新:2013年8月

  
小倉恒子さん

小倉 恒子 おぐら つねこ
1953年千葉県松戸市生まれ。
1977年、東京女子医科大学卒業、耳鼻咽喉科専門医。
34歳で乳がんを発症し、左乳房胸筋を含め切除。
47歳で再発(胸骨転移、縦隔リンパ節転移)
52歳で再々発(骨転移、腹腔内リンパ節多発転移、肺転移)、
54歳で肝転移、両胸水貯留。
現在、エンドレス(生きている限り続ける)の抗がん剤治療中。
毎日耳鼻科診療中


副作用で涙が止まらない

『Will―眠りゆく前に』

子供たちにあてたメッセージをまとめた『Will―眠りゆく前に』

小倉さんは乳がんの手術を受けてから13年後の2000年に胸骨と縦隔リンパ節に転移が見つかっているが、このときは抗がん剤と放射線による治療を受けて休戦状態に持ち込んでいる。

再々発がわかったのはそれから5年後の2005年10月のことだった。見つかったとき、がんはかなり進行しており、お腹の中のリンパ節にたくさんできたがんは、ジャガイモくらいの大きさになっていた。発見が遅れたのは、当時の主治医の健康が優れず検診を受けられない状態が1年近く続いたからだ。

小倉さんもこのときは、ダメかもしれないと思ったようだ。いつ終着駅に到着してもいいように2人の子供にあてて、長い長いメッセージをひと月以上かけてテープに吹き込んでいる。(これはのちに文章化され『Will・眠りゆく前に』(ブックマン刊)として刊行されている)。

しかし、それによって気持ちがお別れモードに傾いてしまうようなことはなかった。常日頃、医者として患者さんを診てあげられなければ生きている価値はないと考えている彼女は、すぐに気を取り直し、自分の勤務先の1つである松戸市立病院のO医師に主治医になってもらい、がんとの戦いを開始した。

治療法は化学療法しかない。最初はタキソテール(一般名ドセタキセル)を週に1回40ミリグラム投与する「ウィークリー・タキソテール」で行くことになり、2005年11月に治療がスタートした。予定では3週投与して1週休むサイクルで6クールやることになっていたが、それをスケジュール通り完遂できる患者は極めて少ないのが実情だ。

写真:耳鼻科で治療中の小倉さん
耳鼻科で治療中の小倉さん。
仕事を休んだ日は1日もない

抗がん剤に副作用は付きもの。「下痢に悩まされたし、髪の毛が抜け落ち、爪も5倍ぐらいの厚さになって剥がれました。鼻血を止めるのが仕事なのに、鼻血も毎日出ました(笑)。
でも、この程度は予想されたことです。困ったのは、涙が止まらなくなって1分間に1度くらい涙がこぼれ落ちるようになったことでした。親しくしている眼科のH先生のクリニックで診てもらい、副作用で涙点(目頭のそばにあるまぶたの縁の小さな孔)に膜がかかった状態になっているのがわかりました。すぐに涙点を切開していただいたんです。そしたら涙がこぼれなくなったので、ホッと胸をなでおろしました(笑)。でも涙点はすぐにくっついてしまうので、それ以降も週に1回、H先生のところに通って、この厄介な副作用を何とか乗り越えることができたんです。
仕事を1日も休まずにタキソテールの投与をスケジュール通り完遂できたのも、この難問をクリアできたことが大きかったですね」

タキソテールは、かなりがんに効果をあげているように見えた。お腹の中にたくさんあったリンパ節転移は中心が壊死し、CEAマーカーの数値も再発(2000年)以前のレベルに下がっていた。しかし、一安心したのもつかの間、がんは別の場所に病巣を作り始めていた。

増え続ける「胸水」

それを示すサインは「胸水」だった。胸水はさまざまな原因で生じるが進行がんの患者の場合、がんが胸膜の表面に転移・浸潤し(がん性胸膜炎)、浸出液を出すことによって生じることが多い。

タキソテールの投与が終わって間もない2006年6月、小倉さんは市立病院で腰の痛みをこらえながら耳鼻咽喉科の外来で診察にあたっていた。それを知ったベテラン看護師のKさんは、小倉さんが単なる腰痛ではないと直感し、夕方、診察時間が終了したあと、通りかかった放射線科のS医師に相談した。さっそく放射線科でCTなどの造影検査が行われることになり、S医師は小倉さんの胸に大量の胸水が溜まっているのを知った。それだけでなく、肺野にも間質性肺炎のものとおぼしき影が映っているのも見逃さなかった。

「S先生は、びっくりした様子でした。『こんなに胸水で肺が圧迫されて、苦しくないの? 両方に1度にこれほど胸水が溜まるって、どういうことなんだろう……、肺野のほうに影が見えるけど……これ、間質性肺炎のようにも見えるけど……』とおっしゃっていました。
歯切れが悪いので、『このたくさんの胸水は、がん性胸膜炎ですよね?』ってかまをかけたんです。そしたら口を濁してすぐ主治医のO先生に電話を入れたんです。
でもO先生は会議の最中で身動きが取れなかったんですね。別な診療科にも当たったようですが『本人が苦しがっていないなら、明日にして欲しい』という返事だったので、S先生は、困った様子でした。『先生ならどうなさいますか?』って伺ったら『ステロイドと利尿剤だね、とりあえず』とおっしゃるんで、『それなら家に帰ればありますから』って言って、ご好意に感謝して帰宅したんです」

帰宅後、彼女はステロイドと利尿剤のさじ加減を教えてくれる内科医を探した。いくつか伝を手繰るうちに小倉さんは元の同僚である腫瘍内科医A氏に行き着く。

そして、肺を圧迫している胸水と、胸水が生じる原因となっている新たながんとの闘いをA医師の勤務する大学病院で開始することになる。その大学病院はクルマで30分くらいのところにあったので、フルタイムで仕事を続けながら週1で通うことは十分可能だった。

タキソテールの副作用で間質性肺炎に

抗がん剤はタキソール(一般名パクリタキセル)を使うことになった。週に1回、120ミリグラムを投与し、それを3週続けて1週休むというサイクルだ。前回のタキソテールのときは最初から6クールと決められていたが、今回は期限が設定されていなかった。

「A先生が『白血球が音をあげるまで、エンドレスでやるよ』と宣言したんです。でも骨髄抑制はタキソールよりタキソテールのほうが強く出ると聞いていたんで、大丈夫だと思っていたんです。そしたら、やり始めてすぐ白血球が1週間で4600から1600まで下がって、タキソールが投与できなくなったことがあったので認識が改まりました」

こうして新たな戦いが始まったが、今回は同時進行でもう1つの戦いもスタートしていた。タキソテールの副作用で生じた間質性肺炎に対する戦いだ。間質性肺炎は肺胞の中や周辺に炎症がおきて壁が厚くなり肺が固くなって呼吸困難にいたる厄介な疾患だ。治療はステロイド剤、免疫抑制剤が使用されるが効かないケースも多い。

幸い小倉さんの間質性肺炎はステロイド剤が効くタイプで事なきを得たが、ステロイド剤は副作用が強いことで知られる。治療を開始した当初は16錠で、それから8錠、4錠と量は減っていったが、これによる血圧の上昇はのちに脳梗塞という形になって現れる。


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